小説B

□死によって重なる
1ページ/2ページ

ロイヤルミルクティーが飲みたいですわ。
夜時間になる三十分前、セレスはふと思い立った。
「……食堂に向かいましょうか」
相変わらずの優雅な足取りで、セレスは部屋を出る。こつこつと、ヒールが廊下を叩く音が静けさの中で反響していた。
さて、それでも誰かがいるかどうか。
「……自分で紅茶を淹れるなんてはばかられます」
セレスは心配気な様子で眉を八の字に持ち上げる。そうしてため息と共に食堂のドアを開けると、食堂の奥でぼんやりと人影が浮かんでいた。
盛り上がった二つのツインテールで、江ノ島だということが辛うじて分かる。
「……誰?」
セレスがドアを開いてすぐ、そう声がかけられた。いつもの彼女らしからぬ、鋭い声。
「……江ノ島さん……ですわね」
暗闇で、慎重に足を運ぶ。ほとんど何も見えないのに、よくあそこまで行けたものだ。幾分か距離が縮まって、江ノ島の表情がようやく窺えるくらいにはなった。
「ああ、セレスティア……えっと……ごめん」
「セレス、と呼んでくださって結構ですわ」
やはり何か、元気がないような、そんな様子に思える。
「……アンタは、どうしたの?」
「いえ……紅茶が飲みたくなりまして」
「あー、好きそうだもんね、紅茶!」
……やはり杞憂だろうか。あっけらかんとそう言う江ノ島は、さっきまでの暗い雰囲気は全くない。
……まあ、わたくしには関係のないことですけれど。
どちらにせよ、調度いい。セレスは密かに微笑んだ。
「……淹れていただけません?」
「え?いれるって……何を?」
「もちろん、紅茶ですわ」
そこで始めて、江ノ島はそれらしい笑みを浮かべた。
「マジい?アタシ全然だよ、そういうの」
「……では、教えて差し上げますわ。厨房に参りましょうか」
厨房の扉は、江ノ島の背の向こうにある。それに視線をやってにこりと微笑むと、おずおずと江ノ島が歩き出した。
……中々従順ですわね。彼女は、意外と使えるかもしれません。
足元に注意しながら、セレスが一歩目を踏み出した瞬間。
「……暗いっしょ。大丈夫?」
振り返りざまに手が差しのべられる。セレスは若干の驚きを感じた。驚き、というより、意表を突かれた。まさか彼女がこんな紳士さを兼ね備えていたなんて。
「……では、お言葉に甘えます」
セレスは江ノ島の手に、白くしなやかな手を重ねた。ひやりと温度が奪われていく。とても、冷たい。
そのセレスの手を引いて、江ノ島は苦もなげに歩き出す。テーブルにぶつかることも、椅子の足に引っ掛かることもなく。
「……ずいぶん、目がよろしいんですのね」
セレスとしては、単純に感想を漏らしただけだった。だが江ノ島にとっては。
「……あ……そうかな?生まれつき目がいいんだよね、アタシさ!」
大して大きくもない違和感を、それでもセレスは敏感に察知する。
なにか嘘をついている。
そう気付きながらも、セレスはあえて気が付かないふりをした。
……まあいいでしょう。
今は、紅茶が最優先ですわ。ですがそれが終わったら……。
その唇の隙間から、セレスは僅かに笑みを綻ばせてみせた。
厨房の扉を開く。江ノ島が電気のスイッチを入れたパチンパチンという音の後に、蛍光灯が明かりを灯した。
暗闇にやや慣れた瞳に、光が刺さった。
「で……ロイヤルミルクティーだっけ?どうしたらいいの?」
「……そうですわね。忘れていました」
「忘れてたんだ……」
呆れる江ノ島を尻目に、セレスは厨房に視線を巡らせる。
「……さて、江ノ島さん。普通のミルクティーと、ロイヤルミルクティーの違い。お分かりになりますでしょう?」
「え……いや……分かんないけど……」
「……まあ良いですわ。違いは、ミルクを入れる順番です。通常のミルクティーと違って、ロイヤルミルクティーは、牛乳で直接紅茶を煮出すのです」
「ふうん、味って変わるの?」
「何をおっしゃっているのですか?ミルクティーとロイヤルミルクティー……後者のほうが圧倒的なコクとなめらかさ、上品な風味を備えているのです。……では、始めましょうか」
まずは、茶葉にお湯をかけて葉を開かせる。紅い粉末状の葉にお湯をかけるのに、少しくらい熱湯をこぼすかと思いきや。セレスの懸念をよそに、江ノ島は存外器用にお湯を注いでみせた。
「牛乳と水の割合は……このくらいですわね」
セレスがそう言ったところで、江ノ島はぴったり容器を傾けるのをやめた。
「この時、これを沸騰させてはいけません。沸騰すると、紅茶の味が出ませんから」
これが一番難しい。沸騰直前まで温めて、そのギリギリのお温度を保つ。江ノ島はどこか手慣れていた。思わず驚きの言葉をかける。
「……野宿、とかでけっこうやるからさ」
「……意外とワイルドですわね。そういうのとは無縁な方だと思っていましたわ」
茶葉を濾しながら、江ノ島はからからと笑う。そうして、素人目で見ても美味しそうなミルクティー、ロイヤルミルクティーがカップに注がれた。



「……及第点、といったところですわね」
そう言って、セレスはカップをことりと置いた。
「初めてにしては上出来です。さすがわたくしが見込んだことはありますわ。……ですが、少し煮立たせる時間が長すぎたようですわ。渋みがありますもの」
セレスは、一口しか口をつけていないカップを見ながら言った。
「そんなこと言ったってさー、アタシ初めてなんだよ?一回目でセレスを満足させられる訳なくなーい?」
手を頭の中の後ろで組みながら、江ノ島は唇を尖らせた。
それを見たセレスは、やはりとばかりに優雅に微笑む。
「……ええ、ですから、回数を重ねれば良いのです。貴女がまたわたくしに紅茶を淹れてくだされば……」
「アタシをなんだと思ってるんだっつーの…ま、いいけどさ」
冷めてしまう前にと、セレスはカップを持ち上げた。縁の部分に口を付けると、ミルクの甘い香りが紅茶の気品を引き立てる。
……中々、悪くありません。教育のしがいがあるというものです。
ですが。まだ心を許してしまう訳にはいきません。わたくしのプライドが……そう悲鳴を上げておりますもの。しかしいずれ彼女は……Bランク、程度には登りつめてくださるでしょうか。
すべて胃に流し込みそうなのをこらえて、セレスは口をカップから離す。そしてそのまま……テーブルに置いて立ち上がった。
「……あれ、残すの?」
「……もし貴女が、次に紅茶を淹れてくだされば、その時は。
……全部飲み干しますわ。
楽しみにしております、江ノ島循子さん」
セレスはそこで、笑みを消した。江ノ島が少しぎょっとしたのが分かる。
「……貴女、なにか隠してらっしゃいますね?」
「え!?別になんも隠してないけど……」
セレスは微笑んで、首を傾げながらきっぱりと言った。
「嘘です。わたくしはウソの天才ですから、人の嘘を見破るなんて容易いのですわ」
「だ、だからなんも……」
江ノ島は狼狽している。このさまを見れば、セレスでなくとも分かるぐらいに。
「……わかりました。そこまでおっしゃりにくいのであれば、結構です。……ですが」
セレスが江ノ島へと距離を詰めていく。江ノ島は思わず後ずさるも、そのうち壁によって阻まれた。
「ち、ちょっと……」
江ノ島の肩口が壁にぶつかる。もう後ろに下がれない江ノ島に、セレスがぐっと顔を近付けた。
「……いつか必ず話していただきますわ。わたくし、隠し事をされるのは嫌いですから」
その距離で、セレスは笑みをこぼす。
「せ、セレスちゃん……」
「……駄目ですわ江ノ島さん。隠し事とは徹底的にやるものです。完璧でなければ相手を騙せませんから」
自分をセレスちゃんと呼んだ彼女。
彼女が次に紅茶を淹れた時にでも、また問い詰めてみようか。
きっと、そんなに先のことではないだろうから。
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ