小説B

□殺したいくらいに、キミが好き。
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彼の声が遠くなると共に、視界が滲んだ。
苗木の首にかけられている手は、未だその細い首筋を締め上げている。下腹部に彼の重みを感じる。横たわる苗木の四肢は、抵抗することもなく床に投げ出されていた。指先がぴくりと、痙攣するように動いた。
涙でぼやけた視界。それがだんだんと遠くなっていく。瞳に溜まった涙が、一筋頬を伝って落ちた。喉に食い込む、細い指。呼吸を妨げるそれが、急に力を抜いた。枷が外れて、突如外気が気管に流れ込んでくる。乾いた喉を切るようにそれは冷たくて、肺が、うまくそれを処理してくれない。呼吸ができなくて、苗木は腹を抱えこむ。腹部の中心がひくつく。びくりとその体が跳ねた。彼はその苗木を、微動だにせずに見下ろしている。温かいような、その目線。それが、さっきの行為とは正反対で。じわりと口内に唾液が沸いてくる。舌の上をなぞるように落ちるそれ。乾ききった口の中を、ゆっくりと満たした。
冴えわたるように、手足に血が巡るのを感じる。鼓動に合わせてじわりじわりと、指の先に向けて熱さが滲んでいく。それに伴って、頭も冴えてきた。
目の前の彼は、やはり優しく苗木を見つめている。その視線をぐったりと受け止めて、苗木は横を向くように、頭を床に預けた。
そのうち、彼の手が伸びてきて、苗木の頬に冷ややかな手をあてがう。
苗木は動かない。それはするりとなめらかに、さっきまで自分で絞めていたところを上から押さえた。
苗木は動かない。少しだけ赤くなった、締め上げられた跡。指先が柔らかにそこをなぞった。
苗木は動かない。ただ脱力し床に体を任せて、横を向いていた。その横顔を、彼は見つめる。その双眸はどこまでも優しかった。苗木は、それを見てはいなかったけれど。だがそれでも、彼は苗木から視線を外さない。涙の浮かんだ目を見て、頬の乾いた涙の跡を見て、そこからまた首筋を両手で握り込んだ。それでやっと、苗木はゆるやかに彼を見る。その目には、非難の色も侮蔑の色も含まれてはいない。ただ潤み、眉は悲しげに寄せられている。
ようやくぶつかったその視線に、彼は満足そうに目を細めた。苗木はまた横を向く。
耳鳴りがする。高く、耳をつんざくような音。なにか気配を感じて、苗木は視線だけを彼に向けた。彼の口が開閉する。どうやら、名前を呼ばれたようだった。顔を向け直すと、彼の口が弧を描く。もう一度、彼の口がもう一度、動く。耳障りな高音がおさまってきた。やっと、彼の声が直に耳朶を打つ。
苗木は彼の名を呟こうとした。それでも声は出なかった。
彼の手が首に動き、また圧迫され始めたのが分かった。

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