小説A

□切りたいと言ってそれには誰も気付いていなかった
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死にたかったのか。
そう問われればそうではない。今まで『病んでるやつ』の典型的行為として馬鹿にすらしてきたその行為。少しの興味があって、それに加えて楽になれるかもしれない、という期待。二つの感情が混じって渦巻いて、いつの間にか狩屋はカッターを手にしていた。
回復してきた理性が怖いと感じてなお、興味と期待はそれにまさった。手が震えて、それに伴って震えたカッターの刃は手首の皮膚を呆気なく裂いた。血が出る。手の甲へと伝って垂れた。なま暖かい紅色の液体を見て、確かに狩屋は心がすっと楽になるのを感じた。血が収まってくればなにか物足りなくなり、自傷行為を、自らを意味もなく傷つけるその行為を求める。
それはまるで麻薬のように。
狩屋はカッターの刃を血に染め続けていた。比喩ではなく、手は真っ赤になって。初めて独り暮らしの利点を見つけた。切っても切っても誰にも気付かれない。まるで苦行から解き放たれたような解放感。
ああ俺これでもう苦しまなくてもいいんだ。簡単なことだったのにもっと早く気が付けばよかったなああはは。
そこで狩屋の視界はぼやけてきて、ふらりと上半身がよろめく。あ、と思った時にはもう遅かった。少しの衝撃と回転した視界。少しずつ視界がホワイトアウトしていく。なんか星みたいできれいだ、とそう狩屋は思った。真っ赤になった手から、カーペットへと血が染みる。狩屋は気が付いていない。麻痺したかのように四肢の感覚は失われていって、狩屋の視界は暗転した。狩屋が腕を切りつけたところは、蹴られて痣になっていたところばかりだった。切り傷に、痣はかき消される。抵抗すら許されない狩屋の、無意識の防衛本能だった。

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