小説A

□The best thing about me is You.
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おじゃまします、とC太の声が玄関に反響した。A弥は、ん、とそっけない応答。毎回きちんと靴を揃えて脱ぐのに、C太の性格が表れている。
靴下でフローリングを歩く、柔らかい二人分の足音。この音がこうして響くのは何度目か、数えきれない。A弥が言う。
「先に僕の部屋行ってて。……お茶とオレンジジュースどっちがいい?」
C太は少しだけ考えて、A弥が飲むほう、と当然のように微笑む。A弥は呆れたようにはいはい、と言って歩き出した。その背が廊下の角に消えるのを見送って、C太は階段を上る。廊下突き当たりがA弥の部屋、もう見慣れた簡素な扉。もうくぐり慣れた簡素な扉。入るよ、と誰もいない部屋に言って、C太はA弥の部屋に足を踏み入れた。今までと何一つ変わらないA弥の部屋。カーペットを踏むふわふわとした感触。何気なく部屋を見回して、C太はテーブルの前に腰を下ろした。
静寂。幾ばくかの静寂が訪れて、C太はそれに身を任せる。とんとんと、階段を上ってくる音がした。音がやんで、ひたひたと廊下を歩く音。それから扉が開く。A弥が片手で持っている盆に二人分の飲み物。二つともお茶だった。A弥は足で蹴って扉を閉める。テーブルの上に、持っていたそれを置いた。コップの中身が揺れる。ありがとう、とC太が言った。
「……お茶でよかった?」
「うん。ありがとう」
A弥は二つあるうちの一つに口をつけた。一口飲んで、また置く。結露してコップを伝い落ちた水滴が、びしゃ、とテーブルに広がった。
「ねえA弥」
C太がだらりと床に上半身を投げ出す。暇ー、と、手持ちぶさたにそうこぼした。寝転んだ態勢のまま、カーペットの上に座っているA弥の腰に腕を回し、抱きつく。腰に顔をうずめた。
「……暑い、C太」
A弥は無表情でC太の襟元を掴む。軽く数回引っ張って、だがそれでもC太は離れる気配を見せない。そればかりか襟を掴んでいるA弥の腕を掴み、引っ張って、A弥を自分の上に倒れこませた。
「ちょ、C太……」
「いいじゃん。遊ぼうよ」
悪びれずにC太は言う。A弥はもう諦めたようで、大人しくC太にぼふりと体重を預けた。
自分の上にかかる心地よい重みを感じながら、C太はA弥を見つめた。頭を撫でると、少しくすぐったそうに目を細めた。猫みたいだ、と思う。オレが飼い主なら一生離さないけどなあ、と何気なく考えながらも、C太は頭を撫で続ける。A弥のにおいだ、と追懐の中の記憶を呼び起こしながら、C太はそれに思考を馳せる。C太はA弥の頭を撫でるのをやめて、A弥の腰に腕を回して抱きしめた。華奢な体つき。すぐに折れてしまいそうだった。
なんかA弥って守りたくなるんだよな、それはオレがA弥のこと好きだからなのか、それともA弥には庇護欲を掻き立てるなにかでもあるのか。
「……ねえ、きっとA弥ってさ、オレがいなくても一人でちゃんと生きていくんだろう
ね」
心なしか、A弥がワイシャツを握る力が強くなった気がした。
「……それでも、C太がいないと、嫌だよ」
「いや、例えばだよ?例えばオレとA弥が最初から他人でずっと出会わなかったとしてさ」
そしたらA弥はきっと平気で一人でいたんだろうなあ、って。
穏やかに、穏和に、C太は口を開いた。
「多分、C太がいなかったら……僕、ずっと一人だったと思う」
「だからさ、オレ、A弥を見付けられてよかったと思って。A弥のこと見付けられてなかったら、多分、オレも一人だったよ」
C太は表情を緩めた。口が、緩やかな弧を描く。
「オレ、A弥と会えてよかった」
邂逅できていなかったら。
オレはなんだったんだろうか。A弥がいるからオレがいるのか。A弥がいなかったらオレは。
依存でもいい、A弥といられるなら全てがどうでもいい。そんなベタな台詞を吐きはしないけれど。
「僕も、こうしていられないのは、寂しい。から、C太といられてよかったと、思う」
ふふ、と目を細めてC太は笑みをこぼす。
「もう、このまま寝ちゃおっか?」
おどけてC太はそう言った。もう昼は過ぎている。おあつらえ向きに今日は暖かく、ついまどろんでしまいそうな気候だった。
「……もうちょっと、ゆっくりしたらね」
A弥も微笑する。二人は目をあわせて、微笑み合った。二人のシャツがかさかさと擦れる音が、静かな部屋を埋める。それは幸せな幸せな、なんてことない音だった。

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