小説A

□依存対象を乗り換えて
1ページ/1ページ

ビンの蓋をひねって、開いた。
からからと乾いた音をたてて、手のひらへといくつもの白い錠剤がこぼれる。一気に口に含んで、コップの水をあおる。一筋、口の端からたれた。
A弥はそれをカーディガンの袖で拭って、コップを机に叩きつけるように置いた。ぐらぐらと揺れて、だんだん揺れが大きくなって、倒れた。耳障りな音だった。A弥はそれを気にもせず、ベッドへとその身を投げる。大きく弾んだ体は、しばらく身じろぎひとつしなかった。だが、ふいに勢いよく起き上がる。ドアをバンと開いて、階段を騒々しく駆け降り
る。洗面所へとそのまま走り入った。白磁の洗面器へと顔を近づけて、そしてそのまま、喉の奥に指をつっこんで嘔吐した。胃液の酸味が不快感をしつこく与える。吐いても吐いても治まらぬ吐き気。消化しきれなかった白い粒が、歪な形で残っていた。うえ、と最後に嘔吐いて、蛇口をひねる。流水がすべて洗っていく。両てのひらで水を掬って、口をすすいだ。それでもいまだ不快感は消えない。舌に触れる歯の感触が気持ち悪い。仕方がないので蛇口を回して閉じた。静かになった空間で、廊下を歩いてくる足音が聞こえた。
まずい、と思ったがもう遅い。
無慈悲に開く扉。その向こうに覗いた、薄茶色の猫毛。その左手にはビンが握られてい
た。顔の高さまで持ち上げて、からん、と揺らしてC太は首をかしげた。
急に吐き気が再び襲ってくるのを感じた。鼓動が速くて、息苦しい。大量に摂取した錠剤のせいではなかった。
もう中身が残り少なになった薬のビンを、C太はじっと見つめる。その視線はラベルへと動き、C太は呟くように言った。
「……風邪薬。一回三錠、服用は十五才か
ら。A弥、風邪なんて引いてたっけ?」
C太が一度目を閉じて、そして開いたときに
は、C太は視線だけを動かしてこちらを見てい
た。射抜かれるような鋭い視線が、刺さる。
何も言えなかった。
するとやがてC太は徐に目を伏せ、緩慢な動作でビンの蓋をひねった。少しだけ残っている錠剤をてのひらにすべて落として、それを、口に含んだ。
「C太……!」
制止しようとして前へ踏み出しながら腕を伸ばすと、逆に腕を捕まれて引っ張られた。バランスを崩してC太へと二、三歩動いたところで、唐突にC太にキスをされた。C太はまだ錠剤を飲み込んではいないはずだった。それ以外はもう何も考えられない。錠剤のことすら。
そして唇が離される。
C太はA弥の目の高さまで左手のこぶしをかかげる。その手を開くと、飲み込まれた形跡のない錠剤があった。
「ごめんね、A弥。さっき、口に入れるふりしただけ、だったんだ」
言い聞かせるようなゆっくりとした口調。そしてC太はくすりと笑った。安堵で崩れ落ちそうになる。洗面器についた腕で辛うじて支えた。
C太は微笑をたたえたまま、蛇口へと腕を伸ばす。A弥が身を避けた。水道から水が流れる。C太はそれを右手で掬って、左手の錠剤と一緒に飲み込んだ。少なくとも十はあったはずだ。A弥が呆然とするのをよそに、C太は無表情で蛇口をとじた。
「……ふうん。なんか気持ち悪いね」
表情を変えぬまま興味なさげに言い放つ。がくりと膝が折れて座り込むA弥の真っ正面に、C太は目の高さを合わせるように片膝をついた。そして笑う。
「A弥。オレなら大丈夫だから」
「……でも……」
「まあ、確かに少し気持ち悪いけど」
そう言って、また唐突にA弥の唇に自らのそれを重ね合わせた。だがそれはすぐに離される。
「ねえA弥、オレがいればもう薬なんていらないよね?」
A弥がC太の袖を握りしめる。肯定だと、C太も分かっていた。
顔あげて、と言われて従えばまた口付けられる。短いけれど、それで十分だった。
「それなら、このくらい安いものだよ」
そう言ったC太の足元に、空になったビンが転がっていた。

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ