小説A

□咀嚼、嚥下。
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気持ち悪い。
ただひたすらに気持ちが悪かった。
動物の死骸を噛み砕いて飲み込む。粉々になっては喉の奥に押し込んでいく。至福の表情を浮かべては咀嚼し、舌で舐め回し、血生臭い火を通しただけの死骸の欠片を飲み込んでいく。気持ち悪い。気持ち悪い。
自分の成長に気が付いたのは半年、少なくとも一年よりは少ないくらい前。髪は伸びるし、背も伸びる。元々細い体型だったがわずかに筋肉がつき、たくましくなった。自分を見る周囲の目も少し変わった。友人を見るそれから、異性を見るようなそれへと。生憎周りに興味がなかったから気付きはしなかったが。
呼び出されたのはいつだったか。相談がある、そんな在り来たりな理由で家に呼び出された。大して仲良くもなかったくせにのこのこ足を運んだのが馬鹿だった。部屋の扉を開くと男子数人が待っていた。予想外のことに唖然とする間も驚く間もなく部屋の真ん中で押し倒されて手を押さえつけられた。今から自分がされる行為を想像できた時にはワイシャツのボタンはほとんど外されていて、いくつかむしり取られているのもあったようだった。もっともそれに気が付いたのは全て終わった後、嗚咽と涙と鼻水とよく分からない液体とでぐしゃぐしゃになりながら服を着ていた時だったが。
その間のことはよく覚えていない。辛うじて思い出せるのは下腹部に感じる痛みと生暖かい舌の感触だった。そこから先はもう何も。
今になって考えてみるとよく休日にそんなことを白昼堂々とやる気になったものだ。その図太さと無鉄砲さには感服する。
そんなことを無関心に考えられるようになるほどにはまあ傷は回復したらしい。だがその代わりに『食べる』という行為はできなくなった。今では見ることすら気持ち悪い。成長すればまた、周囲からそういうふうに見られる対象になるのではないか。そして自分の体型を、成長を制御できる方法といったら食事しか思い付かなかった。
だから食べなくなった。両親と一緒に食事をするときは無表情で死肉を噛み砕き喉の奥に押し込んだ。酷い時は丸飲みさえした。できる限り時間を短縮するように努力した。終えた後はトイレに早足で向かい、指を喉の奥の柔らかい部分に突き立て嘔吐した。真っ白な陶器を自分の胃液と嘔吐物が汚していくのを見るとなんとなくほっとしたような気分になった。
そんな事を繰り返していくうちに体重はみるみる落ちた。当たり前と言えば当たり前だが周囲からの目は気持ち悪いものを見るようなそれに変わった。
ある日の事だった。件の男子生徒の一人からすれ違いざまに『お前みたいのを犯したのかと思うと気持ち悪い』と言われた。それほどまでに体型は変わっていた。ダイエット、という範疇を越えるまでに。
だが僕はそのとき、初めて自分の体を制御下にしたのだと、優越と安心を感じた。
そこまでは良かった。どうやら僕は忘れてはいけない人物を忘れていたようだ。目ざとく気付く、気付かないほうがおかしい。よりにもよってC太が気付かない訳がなかった。
いつもの柔らかな笑みからは想像できない程冷たい表情で問い詰められた。だけどその中には心配と、形容し難い暖かいなにかが隠れていた。
なんなの。その一言しか言われなかったが、それは嫌というほどに僕を縛り付けた。心配してくれていると分かっているからこそ冷や汗が流れ、声がかすれた。あ、といううめき声のような音しか出てはこなかった。あとは息が漏れる音。まさか犯されて成長するのが嫌になった、なんて言える訳がない。言おうものなら相手を本気で殺しそうな気がしたし、そもそもそんなことを告白できるほど僕は心が大きくなかった。言わなかったし言えなかった。
ただ誰もいない旧校舎の廊下で短くキスをされたとき、C太のためなら何かを食べられるかもしれない、と頭をよぎった。

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