小説A

□相違点はなんだろうと
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もしかしたら、もうこんなジェノサイドとは離れられるかもしれないと思った。忌み嫌っていた訳ではない。嫌悪していた訳でもない。最初は悦楽を感じていたかもしれない。でも、それはだんだんと薄れていった。なのに彼を見ると、鏡を見ているかのような錯覚に陥ると共に、胸が疼くのはなぜだろう。掻き毟って心臓を抉り出したくなる。鼓動を刻むそれを握りつぶしたくなるのはなぜだろう。白い髪はシーツの上に無造作に広がっている。長い睫毛は下まぶたの白さと際だって一層浮いているように見えた。
超高校級の希望とか絶望とか、幸運だとか。もう聞き飽きた。そもそも全部江ノ島が仕組んだことなのに超高校の幸運だとかとんだ戯言だ。抽選、そんなもの本当にあったとでも。黒幕としてのただの駒だった。ただ彼女が絶望という名の希望に襲われた時、自分はなぜあそこにいないのだろうと思った。
狛枝の左腕には包帯がきつく巻かれている。動脈に刺さった針から繋がる生命維持装置。引き裂いてしまいたい。こいつの、息の根を止めてしまいたい。心拍は安定している。ピコンピコンと電子音が鼓動を刻む。呼吸をするたびに麻酔が息の通り抜ける音をたてる。ガスが抜けているみたいだった。
肌は真っ白だ。ひょっとしたら死んでいるのかと思うほど。ただ、左腕の包帯を境に、指先まで青白い。血は通っているのか、と疑うほど。これが超高校級の絶望の腕なのか。ただの駒だったはずなのに、死して尚彼女は僕にまとわりつくらしい。
何重にも巻かれた包帯を、少しずつ解いていく。包帯の先がリノリウムの床に触れ、たゆんでいく。素肌が見えた。ぱさり、と包帯を投げ捨てる。ほとんど接合部はわからなかった。
最新の技術で神経まで縫合しているんだよと、アルターエゴで江ノ島を再現したモノクマが得意気に教えてくれたのを覚えている。だからコロシアイして無茶苦茶なことしても大丈夫だね、なんて悪趣味に笑っていた。
実際悪趣味だ。死体から腕を切り取ってそれを自分にとっつけるなんて。狂ったように笑って死んだ彼女の死体を崇拝するあまりそうした者、崇拝するあまり死体を守ろうとした者。ちょっとした紛争状態になった光景を監視カメラから眺めた。絶望とはこういうことをいうのかと思った。
縫合の境目を指でなぞる。腕を回って綺麗な円を描いていた。本人が望んで縫い付けたのだろうか。ぬいぐるみみたいに簡単に取り替えられはしないことを知っていて。腕を『取り替える』ことの裏に隠された残虐さを知っていて。
でも望まないまま自らの腕を切り取られたんだとしたら、あるいは切り取られたことにも気付いていないのだとしたら。どちらが苛虐なのだろうか。
心拍装置の音だけが響いている中、僕は彼の、彼女の腕に魅入っていた。ふと、青白い指がぴくりと動いた。顔へ目をやると、彼の暗いグリーンの瞳が、じっと僕を見つめていた。
「……遅いお目覚めだね、狛枝凪斗くん」
唖然としたように軽く目を見開いたまま、彼は動かない。
「……苗木……誠……超高校級の……幸運……黒幕……コロシアイ……照合、完了……起動……」
ぼそぼそとなにかを呟いた。相変わらず表情と呼べるものはない。軽く目を瞑ったと思うと、すぐそれは開く。
その表情には、さっきとはうってかわって明るい笑みが浮かんでいた。
「ひっさしぶりだねえ、苗木い!!!どう!?どうどう!?循子ちゃんだよ!?!?」
声は江ノ島のものではない。でもそのしゃべり方も、話す時に手をせわしなく動かす癖も、紛れもなく江ノ島そのものだった。
彼、いや、彼女は愉快そうに嘲った。うぷぷぷと、懐かしく腹立たしい笑い声だった。
「コイツ……狛枝、だっけ?なーんかぱっとしないねー」
どうでもよさそうに付け足す。でも僕の頭には目の前のことなんてあまり入ってはこない。最後の裁判の前、嬉々として語る江ノ島の声が響いていた。
「……そ。だからアタシは死ぬわけ。最後くらいせいぜい絶望をたっぷり味わってくるし?……それに、アタシが死んだ後だってこれよりもっと素晴らしい絶望が待ってるから」
江ノ島が一度手を振ると、モニターに彼女のホログラムが映しだされた。笑っている。やがて、飛び散る血飛沫と共に江ノ島の体がいくつかに切り刻まれる。デフォルメ調のかわいらしいナイフで、さっくりと。それでもなお笑顔から表情を変えないところに狂気を感じる。切り刻まれた彼女の横から右に向かって矢印が伸びる。その先にはいくつかのモノクマの人形があった。同じように体を切り刻まれて、そしてそこに、かり取られた江ノ島の一部分がとりつけられた。体はモノクマなのに一部分だけ人間の生々しいパーツで、気味が悪いように感じた。
「アタシの全身にはねー、アタシの意識がこれでもかっていうくらい埋め込まれてんの。だからそれを移植された人は、アタシになる」
「……ふーん。まさかずっと、君のままでいる訳じゃないだろ?」
「まあさすがに限度はあるけどねー。アタシと苗木が再会を喜ぶ時間くらいはあるはずだよ」
「僕にそんな感情があればいいけどね」
僕は確かにそう言った。
あのとき江ノ島はなんて返してきたか、覚えていない。目の前でうぷぷぷと笑い声をあげているこいつは、僕になんと言ったんだっけ。
「……そもそもさあ、超高校の幸運に超高校の絶望が乗り移るってどうなんだろうねえ?だから居心地が微妙に悪いのかな」
自分の、彼女の左腕をさすりながら江ノ島は言った。
「……それは、僕に対する嫌味?」
「やっだなあ、違うって。そもそも苗木は実際『幸運』でもないでしょ?」
確かにそうだった。でも、その言葉は僕を否定しているように聞こえた。『苗木誠』を否定されているように聞こえた。別にそんなことはどうでもいい。元々僕なんてあってないようなものだ。
それを江ノ島が確立させてくれた。
その点では感謝はしている。でもそれは結果論だ。本当なら僕は、こいつを憎んで憎んで憎悪して嫌悪して、忌むべきなのだろう。でもそれをしないのは、僕に『絶望』の素質があるからなのか。それを知っていて江ノ島は僕に『幸運』なんて才能をくっつけたのか。
でももう僕は、あんな虐殺は望んでいないんじゃないのか。
「……僕らに、再会を喜ぶ時間はあったかな」
江ノ島。江ノ島は何も言わない。針を投げ捨てた。床に血が付着した。
江ノ島の呼吸が荒くなる。自分の左腕を強く握る。指が傷跡に食い込んだ。
鼓動が速まる。望んでいたはずなのに、今、僕は確かに絶望している。
「なえ……ぎ……」
パーカーの胸元を掴まれた。爪に血がこびりついているのかと思ったら、剥げかけた赤い付け爪だった。
「アタシは……アンタを許すよ」
「……江ノ島……?」
「……こんな絶望、初めてだよ、苗木」
そうだ。僕は『彼女』の生命維持装置の針を、引き抜いた。
「結構、アンタと黒幕できて、楽しかったよ」
「……僕も、そう思うよ」
江ノ島が床に崩れ落ちた。
「……じゃね、苗木」
脱力した。江ノ島は確かに、死んだ。ごめんと、口から漏れでた。
もうきっと聞こえてはいないけれど。
もう裁判は開かない。
オシオキも待ってはいない。
僕はクロなのに、誰も指摘してはくれない。論破してもくれない。
それを幸運と呼ぶのなら、僕は、超高校の幸運なのかも知れなかった。

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