小説A

□絶望的に平穏だね
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ボールとボールか弾き合って、転がる。固い音だった。ひとつが人工芝の上を転がり、穴に落ちる。
「ボク、ビリヤードってよく分からないんだよね……」
玉から目を離し、十神は苗木に目を向ける。苗木は先程ボールが落ちていった穴を見つめていた。
「なに、至って単純だろう。
……この白の玉を一番小さい数字が書いてある玉にぶつけ、玉をテーブルの穴……ポケットに落とす。相手より先に9が書いてある玉を落とせばいい。」
そう言って十神はまたキューを構える。
「もう1と3は落とした。一番小さい数字、2の玉にこの白の手球を当てる。
……玉のどこを突くかによって軌道が大きく変わる……一ミリでもな」
狙いを定める十神はまるで、一枚の絵画のように美しいと思った。惚けるように眺める。またからんからんと固い音がした。目が合うと、フン、と笑う。
「お前もやってみるか?」
「……う、うん。じゃあ」
見よう見まねでキューを構える。
「こうかな……」
食い入るように手球を見る。
「……違うな」
こうだ、という声は耳元から聞こえた。後ろから手が伸びてきて、自分の両手にそれぞれ添えられる。十神の香りと微かに感じる息遣いに気をとられ、左手のキューを取り落とす。
「キューのひとつも満足に持てないのか、お前は」
上から握り直される。思わず肩が跳ねた。
「……なんだ、緊張しているのか?」
くすりと笑う声がくすぐったい。
「ち、違うよ。十神クンが……っ」
「俺が、何だ?苗木」
「……そ、そんなことよりほら、どうやるのさ、ビリヤードって?」
また耳元でフン、と笑う声がした。
「……まあいい。右手でキューを体の近くで握っている部分があるだろう。そこはそのままだ。左手でキューの先を支える。人差し指と親指で作った輪の中にキューを通す形にしろ。あくまで柔らかくでいい。力を抜け」
それから、と耳の後ろから声は続ける。
「右腕の肘は直角だ。いいな。そこを支点にして振り子のようにキューを振る。……やってみろ」
右手で握り左手で支える。右肘を直角にし、そこを支点に。
「そんなに固くなるな。力を抜け」
苗木は一度、深く息を吸い込んだ。同じようにして吐く。そして、軽く息を止めた。キューを振る。脱力して、柔らかく。ボールはまっすぐとまではいかないが、別の玉に当たる。そこから少しだけ転がって、止まった。
「……悪くない」
体を離しながら十神は言う。
「……ルールに則って言えば誉められたものではないがな」
「初めてなんだから仕方ないじゃないか……」
少し拗ねたように言うと十神はキューを手に取り、それの先を眺める。
「……特訓、だな」
「……ボク一人じゃ無理だよ」
「初歩の初歩だけ教えておいて後は放り出すような真似をすると思うのか、この俺が?」
キューをテーブルに立て掛ける。滑り落ちた。からんからんと音が響く。
「じゃあまた明日、だね!」
「わざわざ時間を割いてやるんだ。途中で逃げ出すのは許さんぞ」
「勿論だよ!」
苗木は倒れたキューを拾い上げ、もう一度テーブルに立て掛けた。
「……出るぞ。もうすぐ夜時間だ」
十神がドアを開け、部屋から出る。苗木も後に続いた。もうキューは倒れなかった。

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