小説A

□子供
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見渡す限りの草原。そこに、キノは立っていた。草が風に揺らめき、まるで水面のようにその色を変える。明るい緑、暗い緑。キノは振り返ってみた。だが、それでも草原は広がる。遥か遠くに山脈がぽつりとそびえるだけで、草原はどこまでも続いていた。
「あの国、滅びたってさ」
不意にエルメスが言った。あっけらかんとした、いつものエルメスの口調だった。遠くから、声を張り上げるように。
「……やっぱり、そうか」
キノは地面に膝をつき、長い草に隠れて咲いている、小さな赤い花を見た。儚げで、それゆえ美しい赤い花を見た。指先で花弁をなぞり、掬いあげるように花に手を添える。
「なにがいけなかったんだろうね?
馬鹿な王様?それとも勇敢な民衆?自分の意思を貫いた王様?それともそれに暴力でしか対抗できなかった民衆?それとも、それを止めなかった旅人とそのモドラド?」
強い風が吹いて、エルメスの言葉は途中からぼんやりとしか聞こえない。風にあおられてなお散ることのない、赤い花から視線を外した。それから少し考えて、言う。
「……分からない。何がいけなかったのか、原因は、ボクには分からない。ひょっとしたら、原因なんてなかったのかもしれない。そういうことも、ある」
「シュガー無量、ってやつ?」
「……諸行無常?」
「そうそれ!」
キノの視界に何かが飛び込んできた。驚いて見上げると、それは無数に宙を舞っている。
「綿毛、だね。種を風に乗せてより遠くへ運ぶための」
手を伸ばす。綿毛はまるでそれをかわすかのように、舞い上がる。ふわふわと、誰かに触られることを拒むように舞う。
「驚いた……、綺麗だね。とても、綺麗だ」
「長い時間のなかで生み出された、自然の知恵だね。彼らは強いよ。個体の死によって、団体の存続を得るんだから」
キノはまた、赤い花を見た。一層強い風が吹いて、綿毛が猛烈な速さで空に飛んでいく。揺れる赤い花の近くに、綿毛が落ちることはなかった。
「あの国の門番さ、言ってたよね」
「ああ……」
「この国の近くに、綺麗な草原があって、それはそれは幻想的だって。とてもとても綺麗だ、って」
草が揺らめき、綿毛がキノの髪についた。それをつまみあけて、キノは息を吹きかける。すぐに上空へと昇っていき、どれがキノが飛ばしたものかわからなくなった。
「だからボクたちは、今ここにいる……それを見に」
「キノ、気付いてなかったと思うけど……役所に置いてあった書類、見た?」
キノが少し眉を寄せた。
「大掛かりな工事をして、大きなプラネタリウム建設予定だって。その予定地は、ここ」
目を見開いて、それからキノは絶句した。
「……わからないよ。大人の考えることは、いつもそうだ」
風が弱くなっていく。風の鳴る音も聞こえなくなっていって、やがて止んだ。綿毛が、ゆっくりと降下する。赤い花は少しずつ、揺らがなくなった。
「わかりたいと思う?」
「……わからない。ただ……」
「ただ?」
「……今彼らの考えが分からないことを、ボクは、幸せに思うよ」
いくつかの綿毛が地に落ちた。そのうちのいくらかは、赤い花の近くに落ちた。キノはそれを、ただ見ていた。
「その綿毛さ、同じ場所に種が集まって落ちたりすると、芽が出ないのもでてくるんだ」
「充分な栄養が得られないから?」
「そう。自然に淘汰されていって、残ったものがまた種を残す。人間はそれができないんだね」
キノはまた赤い花と、その近くの綿毛を見た。
「栄養が得られない、か……」
キノはなにもしなかった。ただ見つめていた。しばらくそうしていて、おもむろに顔を上げる。
「行こうか、エルメス」
「もう?」
「ああ。……ボクがここにいる意味は、もうないよ」
キノはエルメスに向けて歩き出した。足元の草をかきわけて、踏みながら歩いた。草に隠れて見えない綿毛を、花を、踏んで歩いた。エルメスの前に立って、シートを軽く叩く。景色とは不釣り合いな、けたたましいエンジン音が響いた。排気口からガスが噴出されて、草が揺れる。その風で、赤い花の近くの綿毛が舞い上がり動く。エルメスに跨って走り出したキノは、もうそれを見てはいなかった。

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