小説A

□服従と信頼
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苗木はそこで言葉を止めた。十神クン、と言いかけて、途中で言葉を飲み込んだ。だが十神は聞き逃さない。振り返り、なんだ、と尋ね返した。
「い、いや!なんでもないよ十神クン!」
「……どうも怪しいな。お前がそうやって歯切れの悪い時は大方何か企んでいるか……」
メガネのフレームを直すカチリという音。
「……遠慮している時だ」
そこで苗木は十神に背を向けた。
「そ、そんなことないって……本当になんでもないよ」
言いながら苗木は心の中で溜め息をつく。自分の情けなさに腹が立ってきた。なんでこんな簡単なことができないのだろう。白夜クン、そう呼ぶだけだ。名前で、呼ぶだけ。もし迷惑に思われたら、そんなことばかり考えて少しも行動することができない。
少し前向きなのが唯一のとりえなんだ。ここでやらなくてどうする、苗木誠!
「……なあ苗木」
つい驚いて肩を揺らした。少しわざとらしいような言い方に、違和感を覚える。
「な、なに?……。十神クン」
十神は嘲るような笑みを浮かべた。
「十神、という人間はこの世に何人もいるだろう。区別がつかないと不便だ、そう思わないか?」
「それは、つまり……」
名前で呼べと。そういうことだ。
チャンスが向こうからやってきた。これを逃せば、おそらくもう機会はない。
「そうだね、……白夜クン」
嬉しさのような、もどかしさのような、そんな恥ずかしさがこみ上げてくる。それを隠しながら十神を見ると、やはり口角を吊り上げながら苗木を見ていた。
「……白夜クン。苗木って人も、この世には何人もいるよ」
「……俺が誰かの名前を呼ぶのは、お前くらいだ。必要ない」
「そ、そうなんだ……」
十神は苗木に向き直る。苗木の目を見つめて、苗木と目を合わせた。
「……いいか。お前が十神十神と呼ぶ度に、他の十神のやつらのことも呼んでいるのかと思うと腹が立つ。今後一切十神と呼ぶな。呼んだらなにか罰を与える」
いつになく真剣な口調だった。そんなの返事をする前から決まっている。いつも十神の命令には逆らえやしないのだから。頷いて、十神を見返した。
「分かったよ、白夜クン」

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