小説C

□くすくすと笑いあえるような
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狛枝が寝返りをうった。さっきまでは苗木に背を向けていたのに、今は無防備に寝顔を晒している。肩で身を浮かして、後ろ手になっていた腕を前に持ってくる。その手を伸ばして、彼の片目を隠す白い髪をすいた。苗木のほうに投げ出されたもう一つの手を、上からやわく握った。その手に軽く力をこめながら思う、彼の手はいつも冷たい。冬でも、夏でも。髪を撫でていた手を下から滑りこませて、両手で包みこむようにした。やっぱり冷たい。
エアコンの低く静かな音がしていた。まだ昇ったばかりの陽が、カーテンごしに彼の肌をふんわりと彩っている。白さが、際立った。綺麗だと思う。彼は白い。どこか浮世離れしたような、地に足がついていないような、そんな白さ。人混みのなかにまぎれていても、一瞬で苗木の視線をつかまえるみたいな。つかみどころがないのだ、捉えきれない。こうしていると普通なのに、と苗木は狛枝の頬に手のひらをあてがう。息遣いを感じる。それが一瞬ゆるやかになって、握った指先が、ぴくりと動いた。狛枝の目が薄くひらく。彼はそのまま、やわらかに微笑んだ。「おはよう」やっぱり綺麗だった。
「おはよう、狛枝クン」
手はそのままで、狛枝は仰向けになる。前髪を片手でかきあげると、そのまま天井を見つめた。苗木が、上体だけを起こす。「どうしたの、狛枝クン?」狛枝は軽く首をかしげた。
「……別に、なんでもないよ。ただ、穏やかだなと思ってさ」
枕元のデジタル時計が時刻を変えるのを、苗木は見た。変わらずそれは、一秒二秒と時を刻んでいく。五時三十二分、ゼロ三、ゼロ四、ゼロ五。苗木は少し身を乗り出して、狛枝の肩に両手をついた。体が沈みこむ。彼の白い肌に、薄暗い影が落ちた。苗木クン、と名前を呼ばれる。ふわふわした。白い手が伸びてくる。頬をするりと撫でられる。くすぐったくて、目を細めた。もう片方の手も伸びてくる。両手で包まれるみたいに、手で覆われた。ひんやりと熱が奪われていく。「あったかいね」彼がくすりと笑った。「つめたいよ」苗木も口角を上げる。カーテンが揺れた。木の枝が風を切る音と、風が窓を叩く音がした。それに混じって、アラームも鳴り出した。五時四十分ゼロ一、ゼロ二、ゼロ三。苗木は狛枝の首の横に手をついて、もう片方の手でスイッチを切ろうとした。それより早く、狛枝が一時停止のボタンを叩いた。
「スヌーズかかっちゃうよ」苗木が手を引っ込める。「これでいいよ」平然と狛枝は笑った。
マットレスについていた手を引き寄せて、苗木はベッドに腰を落とした。ぼふりと、少し弾んだ。狛枝が体ごと、顔を苗木に向ける。自分の頭の横を、手のひらで二回叩いた。どこか楽しそうにも見える。それが合図だと気付いて、苗木は狛枝に顔を向けたまま、そこに寝転んだ。狛枝はにっこりと笑った。半袖から伸びた白い手が、苗木の頬を撫でた。
「……狛枝クン、今日、なんの日かわかる?」
その合間に苗木は尋ねる。狛枝の手が、ふと止まった。視線が合う。やっぱり彼は楽しそうだった。
「……二月十四日、でしょ、苗木クン?」
「……そうだよ」
バレンタイン、狛枝が小さく呟いた。
突如アラームが耳をつんざく。誰も止めようとはしなかった。
「……ボクは、キミがいればいいよ」
二月十四日、五時四十五分ゼロ一、ゼロ二、ゼロ三、ゼロ四。
やたらとゆっくり時間が流れているように感じる。なんだか寂しさがやってきて、苗木は狛枝の胸元に顔をうずめた。頭の後ろをぽんぽんと撫でられる。くすぐったくて、心地よかった。
ボクはキミがいればいいよ、もう一度彼がささやく。答えるようにシャツをぎゅっと握りしめたとき、アラームがふと止まった。

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