小説C

□160センチ、あと1センチで消滅
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「誠くん、新聞取ってー」
母が水音響くシンクから、声を張った。苗木誠はテレビに目を向けたままに椅子から立ち上がる。『議員 汚職事件で記者会見』とテロップが片隅に浮かんでいて、またダメだったんだ、とこまるがこぼした。最近は、めっぽう多い。
取ってきた新聞を掲げると、皿を洗う母は置いといて、と言った。さっき座っていた椅子に戻って、目の前に新聞を置く。
「ありがとうね、誠くん」
「別に……大したことじゃないから」
誠も軽く笑った。
「なんだ、また汚職事件か」
出し抜けに父が起きてきた。テレビを一瞥してから、誠が置いたばかりの新聞を手に取った。「最近は多いな」
マグカップのココアをすすりながら、こまるも呟く。「学生の平均身長が伸びてるからね」
なんだか耳が痛くなって、誠は頬杖をついて顔をそむける。身長なんて、二年で一センチ伸びればいいほうだ。
「伸びたとしても、お兄ちゃんにエライ人は務まらなさそうだけどね」
誠の心境を読み取ったのか、こまるが不意に言った。別段からかっているわけでもなさそうだった。「だから、このままでいいよ」
 今日は文化祭の振替休日だった。こまるは学校に行ったし、父も母も仕事へ出た。
「……やっぱりもう伸びないのかなあ、コマエダさん」
誠が身を起こしながら呟くと、その横に光が集まった。それは、人の形に形成されている。わずかに光と粒子をまといながら、その姿は徐々にはっきりとしたものになっていく。
「……さあ。それはキミ次第じゃないかな?」
柔らかな笑みで、現れた彼はそう言った。
「……そんなこと言ったって、ボク自身じゃなにも出来ないし」
「まあまあ、そのためにボクがいるんだからさ。現に、今までで結構伸びたじゃない」
「でもコマエダさん、早く寝ろとかもっと食べろとかしか言ってくれないじゃん……」
「それじゃあ、お望みに応えよう。三食の栄養バランス、カロリーの計算、入浴後の効果的な運動……そうだね、スクワット五十回を五セット、五分間の休憩の後に背筋で姿勢を良くするベースを作ろうか。間食、夜食は禁止。十時前には就寝すること」
すらすらと言葉を紡いでいくコマエダを、誠は苦笑を伴って見つめる。「いや、やっぱりいいや……」頬を掻きながら、ソファにもたれた。
「ええと。キミの身長は今、百六十センチだね。このペースで行くと、全国的な成長の度合いを鑑みて……六十歳の頃には百七十センチに達しているはずだけど」
「えっ、本当に!?」
「ただしこれは、生涯ずっと身長が伸び続ける想定だから……高校生で身長の伸びが止まるとすると、伸びるのは……あと一センチ」
「上げて落とされた……」
「あはっ、そんなつもりじゃなかったんだけどな!」
顔の横で手をひらりと振って、コマエダは楽しそうに笑う。誠は、目の前で立っている彼を、見ていた。
「コマエダさんは、身長何センチなの?」
「ボク?一応、百八十センチに設定されてるみたいだけど……。男子高校生の平均よりは、少し大きめかな」
「ふうん……。あっ、あのさ、他の人にも同じ『コマエダさん』が傍についてるの?」
誠の問いに、コマエダは少し考え込むような素振りを見せる。
「うーん……。いや、確か一人一人違うのがついてるはずだよ。コイズミとかヒナタとか、ミオダ、とかね。それぞれ個性があってさ」
「そうなんだ!」
「そう。例えば、コイズミは写真を撮るのが得意、ヒナタは人の話を聞くのが上手い、ミオダは楽器とか歌が好き、みたいなね」
「コマエダさんは?」
「ボクは……少し、ツイてるだけさ」
「ツイてる……?」誠はくり返す。「宝くじが当たるとか?」
「ボクが普通に生きてたら、そうなんだろうね」
「……そっか」
「まあ、苗木クンの担当になっただけでも少しツイてるとは言えるけど」
「それを言ったら、ボクだってそうだよ」
「ささやかだね」
「そうかな」
「でも、そのくらいの幸運がちょうどいいのかもね」
誠は内心嬉しかった、『コマエダさん』が、端的に言ってしまえば、ちゃんと個人として確立していることが。全員一律のコンピューターシステムではなくて、一人一人に個性があることが。そしてそのコマエダが、自分のところに来てくれたことが。
それはなんて、ツイていることなのだろう。
「……苗木クン、忘れてない?」
コマエダが真剣な面持ちで言う。「ボクはずっとキミのそばにはいられないってこと」
「……うん」つい、うつむいた。
「……だからさ、……」
「だいじょうぶ、……ちゃんと覚えてるよ」
「……なら、いいんだ。それにしても苗木クン、キミはもう少し食べた方がいいよ。最近、ちょっと体重が減ってきてる」
「……食べたくないな。……身長、伸びちゃうから」
「……今更だよ」
「体重が減ってるのは知らなかったし、わざとでもないけど……うーん」
誠はさらに深く体重を背もたれに預けて、天井を仰ぐ。しばらくそうした後に、はっとコマエダに視線を向けた。
「そうだ、コマエダさん!ボクの横、座ってよ」
そうして示したのは、空いている自分の横だった。ぽんぽんと叩くと、コマエダは不思議そうな顔をする。「座るって……どうして?変わったお願いだね」
「だって……いつもボクの前に立ってるだけだから」
「ごめんごめん。つい癖っていうか……」
そう言ってコマエダは、苗木の隣に腰掛ける。真横にコマエダがいる。初めての光景に少し、心が弾んだ気がした。コマエダの横顔を見るのは初めてで、なんとなく目を逸らした。
「ねえコマエダさん」コマエダが応じる。「なに?」
「身長って、そんなに大切なのかな」
最近少し、そう思う。そんな生まれつきのものに頼るなら、別になんだって同じじゃないかと。そのくせそれを顔とかにすると、差別だと騒ぎ立てる人がいる。なんだか、くだらない。
「……ボクもそう思うよ。でもそれがなかったら、ボクはいないからね」
「……そう、だよね」
「うん、でも……バカみたいだとは思うよ」
コマエダは息を吐いた。どこか遠くをみつめるみたいに、焦点の合わない瞳をむこうに向けている。「だからさ。……苗木クンがそんなものに振り回される必要はないよ」
「……うん」
誠がコマエダに目線をやると、思わず目が合った。いつもの柔らかい笑みは口元にあるが、どこか真剣な表情をしている。「苗木クン」彼は名前を呼ぶ。
「ボクにもね、名前があるんだ」
「……教えてくれるの?」
「もちろん。ボクの正式名称はね、『コマエダナギト』。なんとなく、苗木クンに似てるでしょ?」
「本当だ……!」
「ステキな偶然だけど、なんとなくね、これはなるべくしてなったんじゃないかって思うんだ。……ツイてたね」
コマエダナギト。誠は反芻する。ナエギマコト、コマエダナギト。確かに似ていた。なぜコマエダはこの名前を教えてくれたのか、誠には分からない。漠然と寂しさが襲い来るけれど、きっと分からないのだ。
「……コマエダ……ナギトさん」
彼は笑った。
「ありがとう」コマエダは微笑んで、答える。「どういたしまして」

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