小説C

□アンビヴァレンス
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「ねえ苗木クン、ボクはね、キミのことが大好きなんだよ!」
狛枝は無邪気だ。だからこそ彼の歪みは、目立つ。
「……ボクは、……嫌いだよ」
苗木はこらえるみたいに首を振った。けれど、険しく眉をひそめるそれとは真逆の表情を狛枝は浮かべる。
苗木に同調したことなんて一度もない。
「それは悲しいなあ。でもキミは、ボクを嫌いであるべきだよね……!キミは自分自身の絶望ですら忌み嫌っているし、そうであるべきなんだよ!」
狛枝は自らの体を抱く。
うっとりと虚空に視線を這わせ、体を震わせる。苗木のことを語りながらももう苗木は眼中になく、その目の先には得体のしれない光がある。
苗木はそんな彼に背を向けた。
早く目が覚めればいい。
「あれ、苗木クン、聞いてる?まあ仕方ないよね……嫌いで嫌いでしょうがないボクのたわごとなんてさ……」
少しだけ振り返って、苗木は狛枝を一瞥する。狛枝にとって残念なのか、それが当然なのか、判断がつかない。彼はころころと表情を変える。けれど純粋な喜の笑顔を、苗木はまだ一度も見たことがなかった。
苗木が怒れば怒るほど、狛枝が喜ぶ訳ではないらしい。だんだんと苛立ちが募るのを感じる。けれど狛枝は変わらない。
苗木は再び、狛枝から視線をそらした。
早く覚めればいい。
固く目を閉じる。それを解いたとき、けれども景色は変わっていなかった。
「……でもさ、やっぱりボクはキミが大好きだよ!希望を愛している同志としてもそうだけど、だからこそボクを憎む、そんなところがさ……!まさしく希望の体現だよ!」
大げさだ。別に、希望を愛している訳ではない。絶望しない。うつむかない。前を向く。それがたまたま、希望だっただけだ。それがいつのまにかすりかわっただけだ。
希望になろうとしてなったんじゃない。
希望を愛しているから守っているんじゃない。
いつからかは分からないけれど。
夢のなかに姿を表すこの青年がどういうものかを知って、反発したくなったのがその証拠だ。
希望にとらわれている。
希望でいなければならなくなる。
「……でもだからこそ、希望の重みに潰されないようにしないとね!」
肩が跳ねそうになった。
唇を噛んで、無言を保つ。
狛枝は一人でまくしたてた。「希望っていうものはさ、とても重いんだよ。なんといっても、大切なものだからね!それを一身に背負っているなんて、どれだけ大変なんだろうね……。ボクみたいなゴミには理解しかねるけど、苗木クンならだいじょうぶなんじゃないかな!」
信じきっているような笑顔が気に障った。無神経さに腹が立った。「……本当にそう思ってるの?」
「……そうだよ?」
一瞬だけ、別の意図が見え隠れした気がする。
「見え見え隠れ見え見え……だったかな?」
苗木が顔をしかめたのに気付かれたのか、狛枝がそう口角を上げた。
「……自分でも最低だと思うよ。でもね、すこしだけさ、キミが潰れてしまえばいいって思うんだ」狛枝は自らの腕を握り引き寄せる。
「……羨ましいのかもね。幸運のくせに、大してツイてる訳でもないのに、でもそんなキミが」目を伏せる。「羨ましい」
苗木は狛枝に向き直った。「ボクも潰れちゃいたいと思ってる」
思えば、彼の前でこういう風に笑うのは初めてだったかもしれない。狛枝は驚きをにじませて、目を細めた。「キミの気持ちはよく分かるよ、おこがましいだろうけどね。でも……あえて言うよ。それは許されないことだよ」
「わかってる。キミの言う『希望』ごと潰れるのは……キミにとって、侮辱にも近いんだろうね」
「そうさ。だからボクは……キミが潰れてしまえばいいと思いながら、キミを長らえさせなきゃいえないんだ」狛枝は目を伏せる。「とんだ皮肉だよね」
「……ボクが嫌い?」
「そんなワケないよ、だってキミは『希望』だからね!……って言っておくよ、今のところは。さて……、そろそろ時間だよ、苗木誠クン」
寝そべる自分のまぶたが、上がろうとしているのを感じる。頭に神経が昇っていく感じ。スローモーションになっていく景色のなかで、狛枝がゆっくりと手を振った。
苗木は覚醒していく自分を感じながら、ただ立ち尽くすことしかできなかった。

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