小説C

□おしおきをかいしします。
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自分の中でなにかが叫ぶのを聞いた。
歓喜かもしれない、衝撃かもしれない、衝動かもしれない、希望かもしれない。
苗木が目をあけた。そこにはなにが映るのか、なにが映ったとしても彼は無垢に見えた。焦点の合わないような、ゆるゆるとした瞬き。その濁っているような澄んだ瞳がきれいだと思った。
「……こま……えだくん……?」
狛枝を見つめている訳ではなかった。ただ呟くように狛枝を呼んだ。駆け寄りたかったが足がすくんだ。苗木はなにを見ているのか。分からない、分からないけれどそれは絶望ではない。
ただの希望でもない。
あの、ボクの目を射るようなまばゆさは失われてしまった。純粋でまっすぐなあの輝きは。
まるで陽のもとでゆらめく水面のようだ。希望だろうと絶望だろうと包み込んでくれそうな。
……でも、あのまぶしさはもうないんだ。『絶対的な希望』はもう……。
……なにを考えているんだ。自己嫌悪に陥りそうになる。メチャクチャに自分を責めたくなる。なのにその罵詈雑言に、少し笑みを浮かべたくなる。
沈んでいきそうになる足元をこらえて、狛枝は苗木の名を呼んだ。苗木は反応しない。心が迷子になったみたいに。
「……苗木クン?」
横たわっている苗木の肩をゆるく、ゆする。
しばし沈黙して、苗木はもう一度、今度ははっきりと、目を瞬いた。
「……こまえだ……クン」
微笑む。「狛枝クンだ」泣くかと思った。
胸がいっぱいになる。今まで溜まっていたものが急に堰を切って。


頭をよぎったのは最低な結末だった。
目覚めるけれど苗木の意識はない。そんな。
ただ苗木は目を見開いて、誰のことも認識しないでぼうっとしているだけ。まるで人形みたいに。
けれどそうではなかった。ツイてたとかツイてなかったとかが一瞬頭の片隅をよぎったけれど、関係なしに狛枝は安堵で崩れ落ちる。ごめんと言いたかった。喉がかすれて、弱々しい苗木の微笑みを見るとなにも言えなくなった。
よかった。
ごめん。
どっちを言えばいいのか分からなくなる。
よかった、そんな一歩引いた目線から、ボクなんかがそんなことを言っていいのか。
ごめん、こんな、ボクの薄っぺらい謝罪に意味なんてあるのか。虚構だと笑われやしないか。偽善だと憎まれやしないか。
苗木のためだけとは言い難く、狛枝はそう逡巡する。口を開く。苗木と目が合った。
彼は待っているんじゃないのか。
ボクからのコトバを。



「……ありがとう」
消え入りそうな声を聞いたとき、ボクはなにも言えなかった。
狛枝が一瞬驚いたように口元を押さえたのを見て、苗木はまた涙をこぼす。
涙は勝手にこぼれていた。ひとつふたつ、ぽたぽたと落っこちていく。
どの言葉とも違った。彼がくれたものは懺悔でもなく手放しの賛辞でもなく、共感を伴う祝福だった。
考え抜かれたものではない。意図せずにもれた一言が、なぜだか苗木は嬉しかった。
「……ボクも」狛枝をみつめる。
ありがとう。
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