小説C

□今日だけ、ふたりの。
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ねえ先輩、起きてますか。
先輩が身じろぎをして、一瞬たじろぐ。
横目で先輩を見て、そのまぶたが閉じているのを見て、吐いた息は布団の擦れる音に混じった。あおむけ、見慣れない天井は薄暗い。
(……起きて、ないよな。)
ううん、と嬉しそうに左の天馬くんが漏らす。ナイスパスです、せんぱい。
こんなときまでサッカーかよ、とちょっとだけ笑って、天馬くんに背を向けた。
うるさかったからじゃなくて、先輩に向き直るために。
「ねえ先輩、オレ、最近は楽しいんですよ。むかしは、ぜんぜん、なんでここにいるんだろうって思ってばっかだったのに。」
声、というより息の音。みんなの寝返りの音とはすこしだけちがう音がする、小さな声。
(先輩は、なんでオレにやさしくしてくれるんだろう。)
考えても考えてもわからない。神童先輩には少し過保護気味で、あんな絵にかいたような完璧人間と対等に親友やってて、信頼されてて、なのになんでなんでオレなんかの世話焼いてくれるんだろう。今だって、先輩の向こうには神童先輩が寝ているのに。
かわいそうな後輩への同情心とか、そんな自分のやさしさに酔いしれてるとか、そんなんじゃないだろうって思ってしまうからなさけない。
先輩が屈託なく笑っていると、こっちまで笑ってしまいたくなる。
ぼんやり暗い空気のむこうに先輩の寝顔。左側の天馬くんの足が、オレの布団のなかに入ってくる。
(寝相の悪さは相変わらずだなあ。)
寝相悪そうな元気なヤツ、と思っていたら本当にそのとおりで、まあ天馬くんがお行儀よく眠っていたらそれこそびっくりする。
逆に先輩は、なんでそんなにうまく眠れるんだろうってくらい静かに寝ている。
「……先輩、起きて、ますか」
そう聞くのは起きてないと思っているからだ。だからこの前も、先輩オレのことキライですか、なんて聞いた。
なんだかひとりでぐじぐじしてるのが馬鹿みたいになってきて、かばっと体を起こそうとして、思い直して結局ゆっくり起き上がる。体のはんぶん、いやそれ以上オレの布団を侵略しつつある天馬くんを見て、布団をかけ直すだけにしておく。
先輩のほうに身を乗り出して顔をのぞき込むと、なんだかどきどきしてくる。まるでいけないことをしている気分になってくる。
(……べつに、下心があるわけじゃないのに。)
でもそれ抜きでも、先輩はなんというか、キレイだ。男なのにキレイだなんて、たぶん言ったら怒られるけど。
そのせいで、たまに見せる男らしいところがよけいに、かっこよく、見えたり。
「……たぶん、先輩のせいだと思うんです。学校に行くのが楽しみになったし、人のことをしんじられるようにもなってきた。」
ほとんど、声にならない声。寝息にとけてしまいそうな声。
「ねえ、先輩、起きてますか。」
(……起きてたらいいのに。)
もしかしたら、起きてる、って言ってほしかったのかもしれない。でも怖いからいい。
「ねえ、先輩、オレのこと好きですか。」
好きだよ、って返ってきたらどれだけいいだろうって、思った。
そんなこと言えないよー。天馬くんの寝言にびくっとする。慌てて振り返ると、さっきかけ直した布団は、もうほとんど引っぺがされている。おまけに3分の2、とられた布団。
もう知るか。
やけになって、のこりのスペースにかろうじて寝そべる。先輩のほうに追いやられているみたいに、詰まった距離に嬉しくも驚く。
(もう、寝よう。)
少しは、なにか学べたかなあ。今日昨日ってずっとサッカーしっぱなしで、夜はみんなで宿題やって。終わんねーってつぶやきながら先輩を見ると、よくわかんない難しい問題とにらめっこ。きのう、夜遅くまで勉強していたのに、今日は朝から冴えてたみたいで、つい魅入ってしまうくらいに鮮やかなディフェンス。
危うくパスを受け損ねるところだった。
明日は起きてみんなでサッカーをして、それで、家に帰るんだ。
明日からはオレはまた、自分のベッドでひとりでねむるんだ。
ずっと合宿がつづけばいいのに、胸のなかでこぼすとなんだか急にさみしくなってしまった。
「……せんぱい、起きてますか。……おやすみなさい」
もう寝よう。明日も朝から晩まで練習。寝不足にでもなって、迷惑をかけるのは嫌だった。布団を顎の下まで引き上げて、目を閉じる。
「……起きてるよ。おやすみ、狩屋」
耳元で聞こえた吐息。驚いて体をひねると、いつのまにか、先輩の目はぱっちり開いて、オレを正面から見つめていた。
「え、寝てたんじゃ、……」
「起きてた」
悪びれずに言う先輩に、なんだか急に恥ずかしくなってきて、心臓はどきどき言うし、急に布団の蒸し暑さがうざったく感じる。
「どこから?」
「最初から」
「……聞いてた?」
「聞いてた」
でも、先輩は笑わない。からかったりしないでまっすぐ、オレをみてくれるから、甘えてもいいような、寄りかかってもいいような、そんなきもちになってしまう。
「……いっこ、」
緊張でのどがかすれる。
「いっこ、質問に答えてもらってません」
「うん。……言ってよ、狩屋」
暗がりの先輩の顔はとても真剣に見えて、だからわかってるくせに、っていう言葉は飲み込む。
「……オレの、……オレのこと好きですか、霧野先輩」
そらしたいのにそらせない、まっすぐな目。その顔が優しい笑顔になったとき、まるで時間が止まったみたいに思えた。
「……好きだよ、狩屋」
鼓動が、ばかみたいに、うるさい。なんて答えていいかわからなくなって唇をかみしめたとき、かぶっていた布団が引っ張られて、こもっていた空気が晴れた。
「……先輩、」
「なんだ?」
「天馬くんに、布団をとられました」
先輩が吹き出す。さっきまであんな雰囲気だったのに、天馬くんのせいでぶちこわしだ。
先輩が布団のスペースを開けて、そこをぽんぽんとたたく。
「……じゃあ、入るか?」
「えっ、いや、でも」
「夏風邪でも引いたらたいへんだろ」
「うっ……。じゃあ」
おじゃまします、と言ってもぞもぞともぐりこむ。入ったときからもうあったかくて、先輩の体温なんだ、と思うと眠れなそうになってくる。
「先輩、せまくないですか」
「だいじょうぶ。……おやすみ、狩屋」
先輩の優しい目。いつもより距離が近くて、いつもより、どきどきする。ふたりだけでこっそり会話するこの空気は、すきだ。
「おやすみなさい、先輩」
ん、と細められた瞳が心地いい。軽く頭をなでられて、ゆっくりと、眠気が襲ってきた。

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