小説C

□はじける透明、通り過ぎて
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握りしめたのは五百円。天馬は自販機の前に立って、列を眺めた。温かいものなんか売っている訳がない。
まあ、あったとしても買わないけど。
おそらく誰も。手汗で、握りしめた硬貨が滑る。親指の腹、五百円玉のふちのギザギザをなぞりながら、どれにしようかな、しばらく思い悩む。
緑茶は、おいしいけどなんだかつまらないし、ウーロン茶も、もっと特別な飲み物がぴったりくるし、紅茶、あんまり好きじゃないし、どうせだからみんなでおなじやつ飲みたいし。コーヒーなんて飲めない、いやサルは飲めそうだけど。オレンジジュース、余計に喉乾くしなあ。
「うーん、どれがいいかな……」
顎から汗が伝った。手の甲で拭っても、汗が広がっただけで大して意味はなかった。湿った手の甲を服の裾になすりつけながら、また天馬は考える。ひとつ息を吸って全体を眺めた瞬間に、一番下の列の端っこ、目に着きにくいところ、見つけてみると、急になんだかこれがぴったりな気がして、ちょっとワクワクした。
「よし……」
五百円玉を押し込む。500、赤い文字が光って、ボタンがぱっと明るくなったのを見てから、天馬はそのボタンにひとさし指を伸ばした。



「フェイ、サルー!」
天馬が走ってくる。笑顔になって手を振り返したフェイを横目で見て、サルはブランコから垂らす足を揺らす。そのあと、息を吐いて、襟ぐりをぱたぱたと扇いだ。こうして蝉の鳴き声を聞く機会はほとんどなかった。自分たちが生きている時代では、ほとんどそんな生き物はいないから。たまにこうして会いに来るようになって、それで初めてこの音を聞いたときなんかは、少し変な感じがした。
足元に転がるサッカーボール。公園の入口に立っている、逆U字型の鉄柵の向こうのアスファルトが揺らいでいる。立ち上る熱気。天馬がそれを避けて入ってきて、手に持っていたペットボトルを笑顔で目の前に突き出した。
「飲み物、買ってきたよ!」
右手に二本、左手に一本。おおと驚いているあいだに、はいと手渡される。
「透明だ……」
フェイが漏らした。おまけにいつもならペコペコしているペットボトルも今回はこわばっていて、中の液体からはたえず空気のような泡が浮き上がってくる。
汗だくの天馬は、怪訝そうな二人とは裏腹に自慢げだった。
「とりあえず、開けてみてよ!」
その笑顔が言う通り、キャップを握りこんで軽くひねると、中から空気が抜けるみたいなそんな音がして、ペットボトルがやわく弾けるような衝撃を感じた。さっきよりも泡は激しく沸き上がる。ペットボトルがやわらかくなっていたのに、少し遅れて気がついた。
「うわあ……」
フェイが隣で声をあげる。
驚きで硬直したのが無表情に見えたのかもしれなかったが、声こそ漏らさなかっただけで、サルは唖然としていた。
ブランコの前にかかった逆U字の鉄柵、天馬が軽やかに飛び降りた。
「ね、飲んでみて!」
飲み口を凝視する。相も変わらず透明の中から泡が、はじける。
恐る恐る、口元に持っていく。少し傾けただけで、液体がすぐに流れ込んでくる、と思うやいなやサルがむせた。フェイも目を丸くしていた。
「っわ……なんだい、これ!!」
まだピリピリする舌でサルが叫ぶと、天馬は期待通りといった顔で二人を覗きこんだ。
「おいしい?」
「おいしいもなにも……味なんてわからないよ!」
フェイが神妙な顔で笑う。
「もう一回!飲んでみて、ぜったいおいしいから!」
二人してペットボトルを凝視する。それを見て、天馬の心ははずんだ。自分のぶん、まだ開けていないペットボトルのフタをひねると小気味いい音がした。乾いていた喉に、ぐっと、流しこむ。フェイとサルが、きょとんとして顔を見合わせた。キャップを閉めてから天馬は笑う。
うん、楽しい。
サルがフタを開ける。さっきよりは小さい、ぷしゅっという音。
しばらく見つめてから、二回目の口をつけた。
サイダーが口に入りこんだ瞬間、サルがぐっと眉を寄せる。フェイが、わくわくしながら覗きこむ。
「……サル、どう?」
「……うーん……さっきは気が付かなかったけど、甘いね。飲んだことない味だ」
「へえ……」
つられて、フェイもサイダーのフタを開けた。
「ええ……なんだかちょっと……怖いな」
「だいじょうぶだよ、フェイ。ただの飲み物だって、おいしいよ!」
「うーん……」
よし、とつぶやいて、がっと勢いよく口をつける。ゆっくりゆっくりペットボトルを傾けて、少しだけ、飲んだ。
妙な顔をしながら、フェイはフタを閉める。
「……どう?」
「ん……さっきより、なんだろう、飲みやすくなった?確かに甘いよ。サルの言うとおりだ」
真面目な顔で呟くフェイと、ペットボトルを観察するサル。
「……あははっ」
なんだか、とっても、おもしろい。
「……どうしたの?天馬」
フェイが首を傾げた。
「ふふっ、だってさ、すごく楽しくって。こんな日がくるなんて、ぜんぜん想像してなかった!」
二人の不思議そうな顔は変わらなかったけれど、しばらくして、サルも肩を弾ませる。右手の、キャップのしまっていないサイダーが、笑い声に合わせて波打った。フェイは穏やかに微笑む。よくわからないけど、幸せだよ、僕。
四つのうち、ブランコはまだ二つ空いている。そのうちの一つに天馬が勢いよく腰かけて、反動のまま漕ぎはじめた。どんどん振りが大きくなっていって、ある程度のところ、しゃがむみたいな姿勢からぴょんっと飛んで立ち漕ぎになった。膝を曲げて、伸ばして、たわむ鎖をつかむ手に力を込める。
フェイが見上げる。逆光、ビルもなにもない空、電柱が遮る、まぶしい。サルは足をぶらぶらさせて、サイダーに口をつけた。思わずぎょっとする。もう、ぬるくて、さっきの刺激はどこかに行ってしまって、甘ったるい。まだ半分以上残っているのに。つい舌を出した。
「ねえ!」
風でくぐもった天馬の声がした。
「サッカーやろうよ!」
「……、またそれかい?」
前後に少しだけ揺れているサルのブランコ、そこから軽やかに飛び降りて、足が地面に付くやいなや転がっているサッカーボールを蹴り上げる。落ちてきたボールは、踊るみたいになんどもサルの膝の上でいったりきたりする。
「そう言いながら、乗り気だよね、サル」
そう言って、身を乗り出してサイダーを地面に置いて、フェイもブランコからジャンプした。タイミングよく飛んできたボールを膝で蹴りあげて、着地してからもボールは両膝を交互に跳ねる。
「よっと……。天馬!!」
一段と高く宙に浮き上がったボール、天馬が目で追いかけた。ブランコがひときわ大きく振れて、立ち漕ぎからボールに向かって飛び上がって、空中でトリックして着地すると、サルが突っ込んでくる。前後左右、細かくドリブルをしてかわしていると、フェイも足を出してきた。ぴったりはさまれて、みじろぎするにも窮屈なくらいに二人にマークされて、ふとした拍子にフェイの足がボールをコースに追い出した。すかさずサルが追いかけて、駆け出そうとした天馬を遮るようにフェイが立ちふさがる。
「やっぱり2対1はズルいよー!」
「ちょっとくらいのハンデはないとね!」
サルがボールをキープした、フェイが天馬から離れてサルに駆け寄る。
並んだ二人に目をやった天馬の後ろ、ブランコがまだ揺れていた。
「ねえ」
声を掛けると、二人とも、そろって天馬に目を向ける。それがなんだかおもしろくて、うれしい。「フェイ、サル!」
「なんだい?」
「お腹すかない?」
その質問に、二人が顔を見合わせる。そして、お腹をさすって首をかしげる。
「すいた!」
「秋ネエが、お昼ごはん作って待ってるよ!」
天馬が二人に近づいて、サルの足元に転がっているサッカーボールを拾い上げて、「行こう!」と笑う。
うん、と二人が頷いて、ブランコの下のサイダーを拾い上げる。フェイがふとフタを開けて、ぺこぺこになったペットボトルに驚きながらも口をつける。
「うわっ」
その後、顔をしかめた。
「これ、最初のと全然ちがうよ!!」
「サイダー?」
「……サイダーっていうの、これ?とにかく、すごく……甘ったるくてぬるくて、気持ちわるいよ」
「炭酸がぬけちゃうんだよ」
「……炭酸?ぬける?」
見つめても、もう泡は立っていなかった。
「うーん……とにかく、はやく飲んじゃわないと、あの感じはどっか行っちゃうってこと!」
「そうなんだ……。なんだか、もったいないことしたね」
サルの、無邪気な、不思議そうな顔。フェイはペットボトルの口から、においをかいでいる。
「これ、どうするんだい?」
「……捨てちゃうの?」
そう言われて、ふと悩んだ。「うーん……」
今までサイダーは早々と飲みきってしまっていたから、そんなこと考えたこともなかったのだ。
「……秋ネエに、聞いてみよう!きっと、いい方法を知ってるハズだよ!」
こっち、天馬が指を指して歩き出す。二人はその後を追いかけ公園を出たが、やがて、もう覚えたよと口々に言い合って、天馬の背を追いこし追い抜かれながら、T字路、わかれみちでどっちだこっちだと当てっこをはじめる。
天馬は二人にヒントを出したり、わざと惑わせるようなことを言ったりして、「そうだっけ?」「ほんとにそっちであってる?」まだ道の半分くらいなのに、ふつうに帰る倍の時間も経っている。
「もう、天馬!!」
二股の道の手前、しびれを切らしたフェイが、うしろで見ていた天馬に向かって走って、天馬は逃げ出す。
「……そっち、反対方向じゃないか……」
さっき来た道をそのまま走りだした二人を振り返り、さっきまでフェイがいた場所、分かれ道とにらめっこしていたサルが笑う。
走る二人、その手にサイダー。
道路の真ん中にしゃがみこむサル。近道、天馬がそう言った、狭い道幅に車は入ってこない道。
走るたびに手の中でサイダーがかき回される。透明な液体がきらきら光を反射して、アスファルト、映る二人のくろい影のなかに、湖が日光をはじくみたいなきらめき、ペットボトル型にはじけて揺らいでいる。
太陽は二人の向こう側にある。
逆光の天馬の輪郭、走っていた天馬がふと足を止めて、つられてフェイも立ち止まる。サルの方に向かって、細く長く伸びる影、天馬が腕を高く伸ばしてサルに手を振る。フェイが微笑んでこっちを見ているのが、見えなくてもちゃんとわかった。
「サルー!こっち!」
いいけど、まだ帰らないのかい。
そんな言葉がどうでもよくなって、湧き上がる好奇心のなかに沈んで溶ける。
持っていたサイダーを、じりじりする道路にかつんと置いて、飛び上がるようにサルは立って走り出した。

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