小説C

□彼女には絶望的に素質がなかった
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どうでもいいんだけどさ、と召使いが言った。
「ボクたちは、これからどこに行けばいいんだろうね?」
モナカは彼の背で揺れている。
「……信じらんない」
「まあまあそう言わずにさ。だってもう……ここには興味ないでしょ?」
よいしょ。少しだけずり下がりつつあるモナカを背負いなおす。召使いの肩から手を離さないで、モナカが後ろを振り返った。
「……あれ、もしかしてキミはまだ未練があったのかな。」
「……そんなワケない。ただ……」
「……ただ?」
「なんとなく」
その言葉にしてはモナカの瞳は愁いを帯びている。もっと飽きっぽくないといけない、彼女を踏襲するには。こんなちっぽけな街どうでもよくなっちゃった、なんて言えるくらいに。
いや、慣れ親しんだ街がこんな惨状になって、その絶望に悶えるのと、どちらが絶望的なのだろう?
世界にとって。
そして、どちらがより大きい希望を生み出すのだろう?
「……どこにも行くアテがない、か。」
「……なんとかしてよ」
「それは無理な相談だなぁ」
「……。使えないにゃー」
まだガレキ道は続く。「……キミはさ」唐突に召使いが切り出した。
「……本当に絶望になりたいの?」
「……うん。……当たり前じゃん」
肩口がぎゅっと握り締められたのを感じる。召使いは素知らぬ顔で歩き続ける。薄い落胆を誤魔化すように、もう一度モナカを背負いなおした。それに、召使い本人すら気付いていないかもしれなかったが。
朝日が登り始めている。道沿いにまっすぐ伸びる川がそれを受けてきらめく。逆光の、ひとつに見える二人のシルエットが、ガレキの山に隠れてそのうちまた姿を現す。
「……さて。わかってるよね?」
「なにを」
「ボクがずっと、キミといられる訳じゃないってことを」
「……そんなの」
あざ笑うようだった。「そんなの、こっちから願い下げだにゃー」だけど少しだけ楽しそうに。
「残念だなぁ」召使いも笑う。だがそれも、すぐに消えた。
「……なにしにいくの」
「……ボクはね」歩みが止まる。
「……希望を探しに行くんだ」
ふうん、とモナカが言うと、彼女は再び揺られ始めた。
「そうなったら」
「うん」
「……モナカが殺してやる」
「あはは、それは困るなあ」
「ぜったいに、殺してやる」
また、今度はさっきよりも強く握りしめられた肩口。気がついていないふりで歩き続ける。鈍いやつだ、そうモナカは思っていたが。
「あなたは、ジュンコお姉ちゃんのことが好きなんでしょ?」
「……憎んでたよ」
「は?」
「ボクは彼女が大嫌いだった。殺したくて殺したくてたまらなかった。死ぬほど憎んでたんだよ」
「……じゃあなんで」召使いは答えなかった。
「……なんでだろうね」
「わからないの?」
「……あんなハズじゃなかったんだ。ボクは彼女が嫌いだった。そのハズだったんだ」
「……意味わかんない」
「ま、」召使いは笑ってみせた。「キミがまだコドモだってことなんだろうね」
「ムカつく」
大嫌いだったし、愛してたさ。
そういう形もあるんだって、まだわからないのかな。
たぶんまだまだわからないし、教えてあげない。理解されたふうな口をきかれるのも癪だし、それに、知っているのは召使いひとりでよかったからだ。
「そもそもさ」召使いは話を切り替えるきっかけをみつけた。「ボクたち、この街から出られるのかな?」
「ほんっと、使えないにゃー」
「……まあまあ、まだ確かめてみないと、ね?」
「でも、橋は爆破されてるし、どこかに船があるとも思えないし、八方塞がりじゃん」
「船……は、あるよ。きっとある」
「はあ?なんでそう言いきれるの?」
「そのかわり、途中でエンジンが止まるとか、転覆しかけるとか、すると思うけど……ね」
モナカが、頬を召使いの背にあずけた。
「……意味わかんない」
「教えてあげよっか」
顔を上げると、召使いはおとなしい、けれど自信が滲みだすような微笑みを浮かべていた。
「それは、ボクがボクだからだよ。」
「召使いさんが、召使いさんだから?」
「ちがうね」召使いははじめて、モナカをバカにするような色を見せた。
「狛枝凪斗が、狛枝凪斗だからだよ。」
モナカが目を伏せる。「ふうん、あなた狛枝っていうんだ。」
ちょっとへんな響きね、とモナカが呟く。キミに言われたくないね、と狛枝が、こともなげに言った。
「でも、気に入ってるよ」
「なんで?」
「……ある人と、とてもよく似てるんだ」
「あなたの名前が?」
「うん。とっても、とても眩しい人だよ。」
「希望なの?」
「そうさ」
「あなたが探してる?」
「……さあね」
狛枝ははぐらかしたけれど、モナカはなんとなく確信する。「見つかるの?」そうだと仮定した答えを返すと、狛枝は少しの間黙って歩みを進めたけれど、ぽつりとこぼす。
「分かるんだ。」
「……なにが?」
「ボクは……ボクは絶対に、彼の光に導かれているって」
「……なんか、きもちわるいよ、召使いさん」
召使いじゃないよ、とさらりと否定した後に、狛枝はたしかにね、と頷く。
そのあとは沈黙が訪れた。狛枝はアテもなく……そのハズだった……どこかへと歩いていく。もう陽はほとんど落ちかけていた。結構な長い距離を歩いたはずなのに、まだ疲労には負けていないらしかった。
「……あ」ふとモナカが声をあげた。
狛枝は目線だけをやって、何も言わない。少し経って、モナカがもうそれ以上なにも言わないとわかって、前を向いた。
わかった。召使いさん、いっつも誰も信用しなくて、信じてるのは希望だけなのに、その希望の人のことは、人間そのものを信じてるんだ。
「ねえ、召使いさん」
「……もう召使いじゃないよ」
「……召使いさんは、モナカのこと、信じてる?」
「……じゃあ、キミはボクのこと、信じてるの?」
「埃ひとつぶもしてないにゃー」
狛枝は笑う。やっぱり、バカにするみたいな笑いだった。「じゃあ、もう分かるよね?」
ほら。これっぽっちも人間なんか信じてない召使いさんが。
その人のことは信用してる。
「どんな人なの?その、希望の人」
「……彼は」
と言ったっきり、狛枝は黙った。考え込むように押し黙ったから、モナカも口を開かず待っている。やがて息を吸いこむ音がして、モナカは耳をすます。
「素晴らしい人だよ!彼の輝きといったら、言葉では表せないくらいさ!傍にいるだけで、こっちまで光を取り戻すんだよ!……もっとも、ボクなんかに取り戻すような光はもともとないけど……絶望に負けそうになったとしても、それよりももっと大きな希望を、どこからか見つけてくるんだ、彼は!いや、彼自信が生み出しているんだよ!まさに希望の体現だよ!」
モナカは黙って聞いていた。聞いていくうち、少し退屈した。と、いうより、失望した。
「……それは、その人の希望の話でしょ?モナカはー、その人そのもののことがー、聞きたいのー!」
「……彼自身、ねえ……」
「どんな人なの?」
さっきと違って、狛枝はどこか醒めた様子だった。モナカは首をかしげる。
「……普通の人だよ。でも後ろは向かない……。ほかはぜんぜんとりえなんてなさそうなのに、なぜか……」
「なぜか?」
「……あったかいんだ。」
狛枝はこれきり何も言わなくなってしまった。「ジュンコお姉ちゃん、大っ嫌いそうなタイプだね」モナカもこれだけ言って、なにも言わなくなった。
そのまましばらく歩いた。退屈に思えてきて、モナカが睡魔に負けそうになったとき、狛枝が急に歩を止めた。心地よくすらなっていた規則的な揺れが止まって、下がりかけていたモナカのまぶたが持ち上がる。
「あったよ……」
狛枝の声は少し疲れているようだった。
「あったよ……船だ」
けれど、少しの興奮が混じっていた。
見渡すとそこは海沿いだった。夜の暗闇のなかで、波だけがわずかに光を反射してきらめいている。
そのときに、がくんと衝撃が走った。視界が少し低くなって、狛枝が膝から崩れ落ちたのだとわかった。
「ち、ちょっと召使いさん!?」
「はは……やっぱり、ツイてないな……」
「ねえってば!」
狛枝は横だおれになってモナカを降ろしてから、アスファルトの真ん中に寝転んだ。
「ゴメン、ちょっと限界がきちゃったみたいだ。足の傷からの血が多くて……もう……起きてられない」
「せっかく船が見つかったのに、なんでこんな時なの!?」
「……だから、言ったでしょ。ツイてない、って」
狛枝は苦しげに息を吐き出す。自分の中の全部を押し出すみたいな息だった。
「……ちょこっとだけ、寝かせてよ。出発は明日の朝にしよう……」
「ねえ、モナカはどうしたらいいの?」
返事をしない狛枝の呼吸が穏やかになって、ほんとうに眠ってしまったのだとわかる。ま、死んでないだけましかにゃーとこぼして、あたりを見回した。
おそろしいくらいに人の気配がない。地べたで寝るなんて、と躊躇するけれど、頭はもうぼうっとしていた。一度寝転がってしまうと、ひんやりと冷たくて、一気に眠気にほだされていく。
こんなやつとふたりで、こんなところで眠るなんて、最悪で、吐き気がして、絶望的だ。
でも、嫌いじゃなかった。
それはたぶん、モナカが、ジュンコお姉ちゃんみたいな素質があるからだにゃー。

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