小説C

□専売特許は蠢かない
1ページ/1ページ




目が覚めたとき、なぜか違和感を覚えた。
視界がぼやける。
それは当たり前といえば当たり前のことだった。誰だって寝るときは眼鏡を外すはずだから、朝起きたときはなにも見えないに違いない。
けれど、十神の視界はいまレンズ越しだった。
とりあえず眼鏡を外して、眠気覚ましに冷えた水でも飲もうとした。が、十神の手足はぴくりとも動かない。手のひらひとつ、指一本すら一ミリも。おまけに寝起きだというのに、いつもの制服姿でベッドに横たわっているのだった。身じろぎもできない。
けれどむしゃくしゃに暴れまわるような無様な真似はしない。体の力を抜いて、息を吐いた。
思い出せ。山田一二三の裁判が終わって、そのまま部屋に戻ってきて……。きつく目を瞑るが、そのあとはなにも思い出せなかった。
金縛り。ふと、その単語が脳裏をよぎった。しかし十神は、幽霊など信じない主義である。妖怪、未確認生物……存在がはっきりしないものはすべてくだらないと一蹴する。そもそも意に介したことがあっただろうか、十神白夜は生きている人間以外に目を向ける必要がなかった。
死者に社会は動かせない。
愚問だった、自分自身を十神はあざ笑う。それに、目を閉じて感覚を研ぎ澄ましてみると、わずかに手足の先のほうから痺れが広がっているのがわかった。化学薬品によるものだ。
少なくともこれは、人為的に引き起こされている。
だとしたら、殺人なのか。
裁判を終えた矢先で。
随分と倫理観が軽んじられてきたじゃないか。
目線だけであたりを見回して、壁にかかった時計をみつける。が、ぼやけた視界では針の指す先を特定するに至らない。手足の末端を絡めていた痺れは、徐々に体の中枢へと広がり始めていた。
「……おはよう、十神クン」
そのとき、扉ごしだろうか、くぐもった声が遠く聞こえた。
「……苗木?」
紛れもない。
「おーい、十神クン?」
返ってこない返事を不審に思ったのか、苗木がドアをノックする。
「……苗木!構わず開けろ!」
ひりついた。が、声は出た。聞きつけた苗木がドアノブをひねりはじめる。けれど、それでもドアが開く気配はなかった。
「……十神クン?……おーい、十神クンッ!」
乱暴にノブをひねる音が聞こえてくる。拳でドアを叩く音も。いくらひねってもドアは開かない、テーブルの上に鍵が置いてあるのが辛うじて見えた。
鍵がかかっている、開かない。
十神が歯噛みをしたとき、扉を揺する音がぴたりと止んだ。
「くそ……っ」
このまま殺されるのを待つしかないのか。
痺れはもう、肘、膝あたりまで麻痺させている。頭までぼうっとしてきた。いったいどんなところからこんな毒薬を手に入れたのか、考えようにも考えられやしない。
ため息をついて体の力を抜いたとき、苗木の声がまた聞こえた気がした。
「……非常事態なんだよ!」
気のせいではなかった。口ぶりからして一人ではない。
「そんなこと言ったってさあ苗木クン……ボクとしてはなるべく生徒のプライバシーは侵害したくないんだよねえ……」
「そんなこと言ってる場合じゃないって言ってるだろ!」
「クロが犯行中だったら、どうするのさ!」
「校則に、『殺人の妨害は禁止』なんてルールないだろ!早く開けろよ!」
苗木がモノクマを呼んできたのだ。たしかに学園長であるモノクマなら、個室の鍵であろうと解除できるだろう。
咄嗟に思いついたのか、ともかく苗木のこういうところに何度も十神たちは助けられてきた。し、今まさに助けられようとしているのだ。もっとも、十神本人にその自覚は普段これといってなかったが。
このときばかりは十神といえども安堵した。
ドア一枚隔てた廊下の喧騒はモノクマの尻すぼみで終わり、しょうがないなぁ、と言いながらモノクマがスペアキーで鍵を解除する。
「オマエのそういうところ、本当に絶望的だよね!」
直後、解錠音がした。と同時にドアが跳ねるように開いて、苗木が駆け込んでくる。
「十神クン!」
十神を見て、苗木の目に安堵の色が浮かぶのが見て取れた。
「どうしたの、だいじょうぶ!?」
「手足が麻痺している……動かせん」
それを聞いて、苗木は再び焦りを浮かべ、十神の手をとり「触られてる感覚はある?」と聞いた。
「全くない」
「やっぱり……」
呟いて、苗木は十神の手を元の位置に戻して、枕元にかがみこみ、十神と目線を合わせて、
「やっぱり、薬はちゃんと効いたみたいだね」
と、言った。
すぐには理解することができなかった。ぼやける頭のせいだけではなかった、苗木の言葉から導かれる状況はシンプルで、それゆえ理解に苦しんだ。
「冗談はよせ……!」
けれど分かっている。苗木は、こんなときにくだらない冗談を言うような奴ではないはずだった。
「冗談なんかじゃないよ。キミに薬を盛って、昏睡させたのはボク。スペアキーでキミの部屋を施錠したのもボク。」
普段通りの苗木の声だった。
楽しそうに苗木は、続けた。
「あ、その毒薬なんだけどね、化学室にたくさんあるから、次からはぜひ使ってよ。Cの棚だよ」
ま、もっともキミは覚えてないだろうけど。
「ふざけるのも大概にしろ。お前のその口ぶり……。スペアキーだと?なぜお前がそれを持っている。」
十神の皮肉るような言い草を聞いている間、苗木は話も半分に十神の手を再びとって弄び、自分の口元あたりでその手をきゅっと握って、微笑んだ。
「もうわかってるでしょ?十神クンならさ。キミはそこそこ頭は切れるハズだからね。……それにしてもさ、キミ、ボクが犯人なんてひとっつも考えてないみたいで、助けに来たって疑わないなんてね。」
「……馬鹿にするなら勝手にしろ」
「……ちがうよ。キミのそういうところ、ボクすっごい好きだな」
かわいい。そう言って苗木は、十神の手をベッドに落とす。雑な離し方のせいで、手首がベッドからはみ出した。薬のせいでなにも感じなかったけれど。
「ふざけるな……!」
苗木は答えの代わりに笑って見せた。そのいつもと変わらない笑顔が、無性に癪に障った。なんだか薄っぺらくて、わざとらしくて、自然すぎるからかぎこちなかった。
「ボクは真面目だよ。本気で言ってるし、それに……」
苗木は声のトーンを落とす。
「ふざけててこんなことできる訳ないでしょ、十神クン?」
気づくと苗木の笑みも消えていた。彼はただ無表情で十神と視線を合わせる。
こういうことができるやつだとは思っていなかった。
直情的で、単純で、バカ正直で裏表のない、そんな苗木ではない、ここにいるのは。むしろその対局の、暗いところにこいつはいる。
それを肯定するみたいに、再び苗木の顔には笑みが戻っていた。
「……まさかお前とはな……」
「なにが?」
「黒幕なんだろう、お前が?」
衝撃を受けていないわけがなかった、いくら十神といえども。けれどそれを表に出したくはない。それは敗北だ。だから内心の、心の裏側を舐めていくような焦りを押し隠すように、嘲るみたいに十神は吐き捨てた。
それを知ってか知らずか、苗木はまた微笑みを浮かべる。それはいつも通りで、悪意の一片すら感じさせなくて、彼が仲間からえも言われぬ信頼を得るのも当然だと、そう思ってしまうような。
「そうだよ、ボクがクロ」
その笑顔で、少しだけ楽しそうに。
「……なにが目的だ?」
「目的なんてないよ。ボクにはね」
「……理解に苦しむ……!」
「キミが言ったんでしょ?価値観は違うものだよ、人によってさ」
言い終えて、苗木の双貌がふっとやわらぐ。いままで無機質なように見えたのに、今はたしかに優しい気配が瞳に宿っていた。
「だから、ボクを見て」
おもむろに、十神の頬にひとつ、手が伸びてくる。
「キミの価値観を飛び越えて、ボクを見てよ」
冷たかった。視線をそらせない。優しげなのに、深い闇もたたえているような目から。
「見ようにも、当の本人がお留守ではな……」
「留守?ボクはいつだってキミの前にいるのに」
「仮面をかぶってか?笑わせるな」
苗木はしばらくそのまま無言で佇むと、不意に視線を十神から外した。だがそれも一瞬だけで、もう片方の手も空いている頬に伸ばされて、より一層十神は目線を外すことができなくなった。
それから二人の視線がわずかな時間ぶつかる。お互いに探るような目つきだったが、同じ面つきではなかった。
「モノクマは誰が動かしているんだ」
突然に十神が口を開いた。
お前が操作している訳ではないだろう。
「……うん、そうだよ。そっちは江ノ島さんさ」
「随分とあっけなく白状するんだな?」
「うん。でももう、これ以上は教えられない」
「なぜだ」
「だって」苗木の眉が八の字に寄せられる。悲しげな表情を作っているのだ、ということが十神にもわかった。苗木は壁にかかった時計を振り向いて、
「だって、キミはあと五分で死んじゃうから」
沈痛な面持ちでそう告げる。
「ボクがキミに飲ませたのはね、遅効性の劇薬なんだ。差はあるけど、大体二時間で四肢の末端から麻痺が広がって死ぬ。あと五分だよ」
「裁判はどうなる?」
「朝日奈さんが犯人になる。プロテインを探しに来たところ偶然毒薬を発見するんだ、彼女は」
「全員死ぬのか?」
「そうなるね」
十神に動揺の色は見えない。「そうか」その口調は淡々としていた。
「つまらない幕引きだな」
十神は苗木の目を、一等強く見つめて言った。もっとも、目線は苗木の手によってそらせなかったのだが。と、苗木の手が頬から離れていくのを感じた。苗木はかがめていた背をまっすぐのばし、十神の姿を見下ろすように一瞥すると、ベッドに投げ出された十神の手の甲を人差し指でとん、と指さした。
そこから腕に沿わして、肩の方向になぞっていく。
ゆっくりと。
「ほら……指先からじわじわと広がってきた痺れが、もうすぐ脊椎までやってくる」
その次は足だった。同じように。
「ここからも痺れが駆け上がってきて、腰あたりで合流するんだ」
苗木の指に辿られているという感覚はもうなかった。苗木の指は腰を指している。そこからまたせり上がってきて、最後には脳が麻痺して死ぬのだろう。
「……キミには生き残ってほしかった」
殺すのはお前だろう。言おうとしたけれど、声が出なかった。
「……あと二十秒」
苗木の指が、喉を指した。細められた瞳に見下ろされる。指が額のほうへじりじりと動き出すのが辛うじて視界の端に映った。
「……十、九、八、七、六、五、四……」
その視界もだんだん白ばんでくる。頭の真ん中から浮遊感がやってくる。白みがかりはじめたはずの視界が、今度は黒ずみ沈殿しはじめた。
「……おやすみ、十神クン」
それで終わった。



ベッドの前に、苗木誠は立ちつくしていた。見下ろす先ではひとり、ベッドに寝転がっていて、その人の胸は呼吸に合わせてゆるやかに上下した。
動くこともせず苗木はそれをしばらく見つめていたが、やがて静かに振り返って、その目線はブレもせずに監視カメラを捉えた。
「……江ノ島」
苗木の言葉が消えたあと、少し間が空いた。苗木がいちどまばたきをし終えたときに、場違いな騒々しい声がした。
「ヤダなぁ、ボクはモノクマだよ!」
「そんなことはいいから、十神クンの記憶を消去してよ。」
「まったく……。毎回毎回キミのお芝居に付き合わされる、こっちの身にもなってよね!それにしても、キミって、本当にシュミが悪いよねぇ。一体なんの意味があったのさ、さっきの時間に?ただ十神クンが、昏睡するだけでしょー?」
「いいんだ」
モノクマが首を傾げる。
「……あれでいいんだ」
「おろろ……?まあ、いいですけどね!どうでもいいんですけどね!さてさて、じゃあボクは情報処理室にでも行こうかな。あー忙しい忙しい!ちょろちょろ動き回るネズミがいるみたいだし……」
ボクのキュートなお耳が、かじられちゃーう!
膨らんだ腹を叩いて、モノクマは十神をひきずっていく。
「霧切さんには、それとなく釘を刺しておくよ」
反応せずにモノクマはそのまま部屋から出ていって、開けっ放しのドアのなかに、苗木だけが残された。十神の部屋。
あーあ。
声には出さずに、そう呟いた。今にも皮肉な笑みが唇を釣り上げそうだったが、情報処理室にいるあいつに見られては厄介だった。
苗木は今なんの表情も抱いていない。
あーあ、終わっちゃった。
なんでこういう時ばっかり、頭の回転が速いのかな。薬だって効いてたはずなのに。
いつもみたいに、『説明しろ苗木』って言ってくれたら。
ぜんぶ、なにもかもぶちまけちゃおうと思ってたのに。

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ