小説C

□エゴイストは誰
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ねえウィスパー、オレ、ウィスパーのこと好きだよ。
ウィスパーはしばらく答えなかった。ケータを見て、妖怪ウォッチを整備する手を止めて、なにかを言いかけたけれど、やめた。
「急に、どうしたんでうぃすか」
ケータは、唇をかんだ。無機質で、とぼけているのか無感情なのかわからないまん丸の瞳を、きっと睨むこともできないで。
なんでもないよ、と叫びたかった。なんでそんなこと聞き返すの、って、怒鳴りつけられたらなと思った。
「なんで、ウィスパーはオレといっしょにいるの」
ウィスパーはまっすぐ、ケータを見つめている。
まなじりが熱い。
「なんでオレの執事とか言ってずっとそばにいるの」
投げつけられた言葉にも、ウィスパーは目を伏せた。黙ったままのウィスパーに、どうしても、むかっ腹が立った。
(……オレのこと好きだから、じゃないの?)
不安が渦巻いて、その中で、ちがう、と心の欠片が叫んでいた。本当はそれを拾い集めて、その和やかな光だけに癒されていればいいのだ。本当はわかっているんだから。
かわりに手首に手を伸ばした。いつもウォッチをつけているところ、ケータの細い手首。不安になったときの、ケータの癖。
そうして、はっとした。いまじぶんがウォッチを付けていないことに初めて気がついた。その途端手首が不自然に軽い気がしてくる。なにかが欠けている感じがつきまとう。心細かった。咄嗟に、唾液を飲み込んで拳を握った。
そうだ、いま、ウィスパーが持ってるんだ。
ケータはウィスパーが暗黙のうちに図っているような、そうじゃなかったとしても、少なくとも、負けたような気がした。
急にこわくなった。
目の前にいるのは、妖怪なんだと思った。
「……っごめん、お……オレ、」
「ケータくん!」
「ちょっと……散歩行ってくる!」
目を逸らしたまま、慣れと手探りで部屋から飛び出して、半分ひらいた扉から誰も追いかけてこないから、そこから風が抜けるのだけを背中で受け止めた。ゆっくり靴ひもを結んだ、指に力が入らなかったからかもしれなかった。
立ち上がって、くぐりぬけて、慎重に慎重に、玄関の扉を閉ざした。

たぶん、あたたかいと思っていた。じぶんとウィスパーの間にあるものは、なにか信頼と、優しさと、献身でできていて、それを二人でだいじにだいじに、支えている。ふと目をやれば視線が合って、微笑みを交わす、端的に言えばそんな類の。根本では対等であって、たぶんそれは、立場だけに限ったものではない。愛情も。まなざしも。
それが日常であることの心地よさ。無自覚の優越。愛されている、という肯定感。
それを表す言葉をケータは知らない。表そうと思ったことがない。
だって、そこにあったから。
(……さむい)
冷え込む、風がすり抜けた。
パーカーをぎゅっと引き寄せる。オレンジをきらきら反射する川べり、歩くと砂利の音が鳴る。
心地よい眩しさに、みとれる。水音がして、不自然に水面が跳ねた。河童か、にんぎょかな、と考える。ライトで照らそうと思い立ってすぐ、手首の軽さに気後れする。
妖怪はみえない。そばにウィスパーがいない。ウィスパーがいないときにケータは、妖怪をみたことがない。
気が滅入って、ケータは背中を反らし、首を真上に傾げた。手をついた芝が湿っているのがわかる。見上げた空、雲がひとつもなくて、ヘンだった。空っぽな感じがした。雲一つない空はどこか物足りない。本当に生きているのかわからなくなる。
固くて軽い音がして、追うと手元にウォッチが転がっている。
ケータは、じぶんが薄く笑みを浮かべていることに気が付かなかった。
あえて手元の権利を行使しないのが、なんだか快い気もちがして、今は見えない虚空に向かって微笑んでみた。根拠がないゆえのどこか挑発的な心持ちでいた。
「ジバニャンでしょ?……ありがとう」
たぶんここに座ってるんだろうな、とケータは目測した。ケータの左隣、拳ふたつぶんくらいのところに。
「ウィスパー、怒ってないよね。でもちょっと悲しそうな顔して、ちょっとだけ静かになって、いつもより細かいところまで、時間かけてウォッチの整備して、それでこんなにぴかぴかになったのを届けてくれて、オレが帰ったらおかえりなさい、って言ってくれて、風邪の心配とかちょっとして、ウィスパーのそういうところ、オレ……きらいだ」
たぶん、ただこぼしたかっただけだ。建設的な意見とか、真っ当な助言とか、そういうののためじゃなくて、ただ吐き出したかっただけだ。
透明な影に向かってケータは、ちょっとだけ、弱音を吐きたかっただけだ。
「なんだかんだでオレのこと考えて、だから自分が迎えに来ないんだ。オレは、怒ってほしいのに。まっすぐ目を見て、なんでこういうことするの、って怒ってくれたら、オレもごめん、って言えるのに。ウィスパーに自分のことだけ考えてほしいのに。ジバニャン、オレ、心配してほしかったんじゃないよ。ただ怒ってほしかったんだ」
(……オレ、ちょっとだけ、ウソついてるな)
自分のことだけ考えてほしいとか、たぶんそんな献身的な感情だけではないから。
ウィスパーのエゴがウィスパーの、暖かさというか、心の証明になる気がした。それだけじゃなくてケータは、ウィスパーが自分のことだけ考えることと、ケータのことを案じることが、矛盾しなくなればいいとこっそり願っていた。ウィスパーのエゴに組み込まれたかった。
まぶたが熱を持つ。ぼやけないうちに、転がるウォッチに手を伸ばして、ベルトを手首に回して、つけた。想像していた場所にライトを向けるとやっぱりジバニャンがいて、救われた。
「帰るニャンよ、ケータ」
そう言ってくれるから、ケータはうんって頷くことができるんだなと思った。
でも、ウィスパーはいつまでだって待ち続けてくれるだろうから、ずっと、ずっとケータを待っているウィスパーを思い浮かべて、帰りたくないなって、ちょっと思った。

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