小説C

□サプライジング・サプライズ
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「……君の方が綺麗だよ」
思わず変な声が出た。は?僕まだ、何も言ってないけど。
「はー、最原ちゃんってほんとつれないなぁ〜。こーんな夜景がうるさい特等席取ってもらってさ!」
「いきなり呼び出されたんだけど……」
「天の川みたい……っていう最原ちゃんの気持ちを慮って先読みしてあげたのに!」
返事もそこそこに、最原は肉料理を切って口に運んだ。鴨肉だか鹿肉だか、とにかく普段食べ慣れないような肉だった。赤ワインが入っていそうな色味のソースが申し訳くらいにかかっていて、その割に味が濃いのでグラスを手に取る。ただの水だと思ったら気泡が立ち上っている。炭酸水だった。
座る時に椅子を引かれるところから始まり、前菜でございます、とかスープでございます、とかを乗り越えて、やっとのことメインの肉料理までたどり着いたのだった。一応最低限のマナーくらいなら知識はあったけれど、それを実際にやってみるのは初めてだったし、何よりこんな気取った風な仕草をするのに気が引けた。目の前の王馬はというと、砕けた風でいてマナーは守っているようで、それが手慣れている感を出している。
「それで、用事は?」
ナプキンで口を拭いながら尋ねる。
「いきなりこんなところで食事なんて、何か要件があるんじゃないの?」
「たはー、最原ちゃんって意外と淡白なんだね!オレはただ、大好きな最原ちゃんと美味しいお肉を食べたいなーと思って誘ったんだよ!ほら、オレって友情に篤いタイプじゃん?それをそんな事務的にさあ……。ひどいよ!オレ達の絆はそんなもんだったんだね!」
「そう……」
「最原ちゃんは、エンコーしたらいちいち料金表を作るタイプだね。キスで三万、本番は五万とか。どう、合ってる?」
「そうかもね。王馬くんは?」
「オレ?あっ聞いてよ最原ちゃん、援交といえばさー、オレ三年前の最初の客がすっごい若くてイケメンだったんだけど、あっもちろん最原ちゃんには敵わないよ!それでその人やたら高い金額で買うって言ってくるワケ。別に親がリコンして母親も育児放棄気味だからウリやってるとか、そんな身の上話もしてないのにさ!
でなんか怪しいなー臭うなーと思いながらホテルまでついていったらさー、めちゃくちゃSM趣味だったんだよね!しかもオレがSのほう!まあ割がいいしやるかーと思って服脱がせたら既にその人縄で縛ってあってさ〜。世の中にはいろいろあるんだなーと思ってオレお金で買えないことまで学んじゃった!いやーいい経験だったよね。
まあ嘘なんだけど」
食べ終わったので最原はナイフとフォークを並べて置いた。まもなくウエイターが静かにやってきて皿を下げる。
「……じゃあ結局、特に用事はないってこと?」
「最初からそう言ってるのにさ。オレ信用ないんだな〜って悲しくなっちゃうよ!」
ため息をつきながら王馬も皿にフォークとナイフと並べる。ウエイターがデザートを二人分運んでくる。王馬の皿を下げて一礼を残していく。
「ねねね、最原ちゃんならオレをいくらで買ってくれる?」
「……僕が?」
「そ!言うなればオレは今夜最原ちゃんを買ったワケ。分かってる?最原ちゃんの喜ぶ顔をこのディナーで買えるんなら安いもんだよ!だからもっと美味しそうに食べてよね〜」
「それは有難いと思うけど。高級感もひしひしと感じるし……」
いまいち分からないなあ、と思いつつ、ケーキにフォークを入れる。これで全部フォークを使い切ったことになる。
確かに舌触りはいいし高いような味がした。実際そんな審美眼と舌を備えていないから、よく分からなかったけれど。ただ幾何学のように垂らされたソースも、立体的なスライスオニオンも、全部記号だ、と思う。これは高級ですよ、という、サイン。
「最原ちゃん、そのラズベリー、ちょうだい」
フォークで指される。王馬は挑発的に笑んでいて、最原にはこの俗っぽさが好きだった。地に足が着いていた。
「そういうの、大丈夫なの?こういうところって」
「いいんだよ、だーれも見てない。それって、ルールを破ってないのと同じじゃない?」
ガラスの向こう、はるか下で、クラクションの音が鳴っている。見おろすとイルミネーションなんかがあちこちで点滅していて、近くでみたらさぞかし目が痛いだろう。
最原はフォークで、何だかよくわからないベリーをすくって、差し出す。「これで僕に買われてくれる?」
王馬が瞬きをする。「オレ、やっすいなー」
「僕たちの友情に免じて。駄目?」
「こういうときばっかだよ!オレって都合のいいオンナってやつ?最原ちゃんには黙ってたんだけど、オレ実は女の子なんだ!秘密にしててごめんね!」
まったくもー、と王馬がフォークを置いた。そのまま、じっと見つめられる。なんだか試されているようで、居心地が悪くなる。けれど嫌いではない。心の奥がじりじりするような緊張感と、安心感。
一瞬焦点を合わせ損ねた。王馬は最原が出したフォークに食いついて、赤いソースも残さずに食べていった。
「うーん、これは美味しいから買われちゃうな〜。こんな美味しいのに食べられないなんて、もはや哀れの域だよ!最原ちゃん」
「君が取ったんだろ……」
指先で口元を拭うのを見る。ついちゃった、と赤く照る人差し指を見せられて、なぜかばつが悪い。
「じゃあー、お礼に教えてあげる!これはオレからの、ちょっと早めのクリスマスプレゼントだから。最原ちゃーん、今日何日か覚えてる?」
「……二十四?」
「そ!しかも、あと二時間でクリスマスだよ。」
遠い電飾の残光が王馬の頬で散っていく。黒目がちの目に光を落として、映える。
「最原ちゃんの事だから、絶対わかってないと思ったんだよね!まあサプライズは大成功ってワケだけど。つまらなくないでしょ?」
「……王馬くんのサプライズって、こんな感じなんだ……」
「思ったより地味って?引っかかったね最原ちゃん!オレがこんなんで終わるわけないって思わなかった?」
王馬が立ち上がる。いつもと違って見下ろされる形になる。仕立ての良く見えるシャツの織り目がよく見えた。左の手首を掴まれて、フォークを落とす。それに目もくれずに、王馬は跪いた。
指先を握られる。王馬が体の後ろに隠していた手には、群青の箱が握られている。ベロアのような、細やかな艶。
「最原ちゃん。……オレと、結婚してください」
貴公子のように、かしづいて最原の手を額にやる。王馬が箱を開くと、そこにはシンプルな指輪がきちんと、光っていた。ダイヤモンド。
最原は混乱を極めている。訳が分からなかった。文脈がなさすぎる。「は?」と言ったのがまずかったのか、王馬は最原の手に両手ですがりつき、 感無量という風に声高になると、
「はいって言ってくれたんだね!最原ちゃん!オレ嬉しいよ!新婚旅行はどこに行く?ハワイなんてありきたりだし、ラスベガスでも行っとく?一発当てて新居の資金にしようよ!」
気づけばレストランの客は揃ってスタンディングオベーションで、涙ぐみながら祝福の言を上げている。かと思うと、ワゴンで花火の刺さったケーキが運ばれて来、拍手と共に音楽が流れ始めた。室内は合唱で満ちていた。今日は君に出会えて最高の。守っていくと誓うから。君の全てを愛してる。
王馬が最原の手をとって、その甲に口付け、薬指にリングをはめる。紛れもなくぴったりだったので最原は動揺する。
「いつの間にサイズなんて……」
自分でさえ知らないのに。
「最原ちゃん、満月の夜には注意するんだね。いつどこで見られてるか分かったもんじゃないよ。もちろん、指輪のサイズを測るなんて赤子の首をねじるようなもんだよ!」
と共犯者じみて囁かれるので、呆れる。「ねじっちゃ駄目だよ……」
「びっくりした?」
「……これ、指輪、本物だろ。ここまでするなんて、尋常じゃないよ……」
「大変だったんだからねー。フラッシュモブまで頼んで、店側にも話通してさ。みんな、本気のプロポーズだと思って頑張ってくれちゃってるから、付き合ってよね」
王馬が立ち上がる。
「最原ちゃん、オレ、一生幸せにするからね!」
わざとらしく誠実そうな笑顔を浮かべる王馬に、最原はなんとも言えず、頷いた。フラッシュに囲まれてなんとか微笑みを形作るのに苦労した。

「じゃあ最原ちゃん、帰ろっか!オレ達の愛の巣にね!」
よくやるよ、と最原は内心苦々しい。
「僕、こんなとこ払えないけど……」
「何言ってんの。任せてよ!カードで」
とポケットからクレジットカードを取り出す王馬に面くらう。伝票を挟んだ黒のバインダーを開き、中を確認したウエイターがカードをリーダーに通した。怪訝な顔をしてもう一度、試す。しかし表情は晴れなかった。
失礼ですがこちらのカードはご利用になれません、と言われて口ごもる。聞いてないぞ、そんなの。王馬は暗証番号だけ伝えて出てしまっていた。「じゃ、最原ちゃん後ヨロシク!」
暗証番号教えるなんておかしいと思っていた、王馬だからとまあ飲み込んだのがいけなかった。しかも4649なんてわざとらしい。
「……あの、すみません、呼んできますからちょっと待っていてもらえますか」
頭にまで鼓動が響くかと思われるほど、焦る。皿洗いとかで済めばいいけど、と思うのも馬鹿らしく、自動ドアをくぐると冬の空気が非情に冷たい。どこにもいない。途方に暮れる。
そこで申し訳なさげに声をかけられた。実は、お会計は事前に王馬様が済ませていきました。
タクシーも手配されておりますので、と黒い車のドアが開く。訳も分からず乗り込むとドアが閉まり、頭を深々と下げるウエイターが遠ざかっていく。ネオンの並木道を過ぎていく。
今更だけど、僕の住所まで完璧なのか。
23:55と時計が緑に光っている。歩いて帰れるらいの距離なのに、わざわざタクシーなんて呼ばなくても。
そこの角を曲がるとすぐだ。車は静かに止まり、ドアが開き、お代はと尋ねると無言で首を横に振られる。23:58が最後に見えた。
ズボンのポケットから鍵を取り出して差し込む。
濃い一日、というか夜だった、と思いながらドアを開けると、明るい。
クラッカーが鳴る。
「メリ〜〜〜クリスマ〜〜〜〜〜〜〜ス!!!!!」
サンタ帽を被った王馬が更にクラッカーを二個鳴らす。腕時計はちょうど二十四時。いつの間にか部屋は電飾とツリーで飾られていて、やたらと眩しく、光っている。
メリークリスマス、と呆けそうになりながらも笑ってしまった。
だって、いくらなんでも、やりすぎだ。
にしし、と今日初めて王馬が笑うのを聞いた。
サプライズ、大成功だね!

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