小説

□操り人形でなければよかった
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依存、するつもりなんてなかった。
ただそれは、ごく微量なストレスが蓄積された結果であることは、少なくとも僕の目から見れば明らかだった。
別に明確な原因があった訳ではない。
形容し難い些細な苛立ち。
それが少しずつ形となって生まれた刃が僕自身に向いてしまった。いやそもそもそれを他人に向けられないのが僕だった。それだけの事だった、はずなのに。
微かに右手が震える。それに伴ってカッターの刃も震えた。
怯えている訳ではなかった。
えもいわれぬ緊張と自分自身への嫌悪がこみ上げてきて、それを掻き消すかのように、カッターナイフは左手首の皮膚を易々と切り裂いた。
じわりと浮き出た血と、空気に触れてじくりと疼く出来たばかりの傷痕。
それを見ると、心が軽くなったような気がした。
ああ僕は人間なんだと、血の通ったヒトなんだと、それを確かめたかったのかもしれない。
不思議と痛みは感じなかった。
快感すら覚えた。
依存、するつもりなんてなかった。
でも依存してしまっている。
部屋の天井の隅を見上げて、ねえ、と呼びかける。
「……ねえ。見てるんでしょ?
来てよ、ねえ来てよC太。ほら、見てよ。僕は人間なんだよ。ねえ」
そして沈黙。
5分ほどの静けさの後に、家に足音が響いた。
木の床が軋む音。
足音が止んで、僕の部屋の扉が開いた。
そこには、いつもと変わらない幼友達。
「来たけど……A弥」
それだけ言うと、部屋の床に腰を下ろした。興味無さげな口調もまたいつもと変わらず、遅刻するよ、との一言も忘れない。
「……そう、だね。
ねえほらC太、見てよ。……ちゃんと、見てよ。僕は人間なんだよ。ちゃんとしたヒトなんだ」
まだ出血の止まらない手首をC太に向ける。それを無表情で数秒間見つめた後、C太はそれに舌を這わせた。
唾液が傷口に入り込んで、染みる。
「……A弥はさあ、俺の」
沈黙。
「俺の、所有物なんでしょ?」
くすりと笑うC太の声が耳に心地よくて、手首の傷が急に痛みを伴って疼き出す。
所有物だと豪語されてしまえばこの傷などに意味は無く、それはただの愚かな自傷行為なのだ。
いくら手首を傷つけてもC太にとって僕は人間などではなく、いつまで経っても僕は所有物なのだと、遅刻だなどと考える余地もなく響く始業のチャイムを、半分虚ろな意識が部屋で聞いた。

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