小説

□おやすみ、また会う日まで。
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月の綺麗な夜だった。
サルがこの部屋のこの場所に窓を作らせたのは、今まさにそうしているように、窓縁に腰掛けて月を眺めるためだった。
両親に捨てられた記憶が自然と蘇るのは大抵の場合夜で、そんな憂鬱な時間を誤魔化すのには月を眺めるくらいしかする事がない。
いくらセカンドステージチルドレンの皇帝で、特別な力が備わっているといっても、まだ幼心は残っている。自分では自覚できないその幼心が、本能的に夜は怖いもの、だと怯えているのだろうか。
なにしろまだ14そこらの子供である。理解のし難い恐怖や不安で、眠れないようなことはもう普通になってしまった。だがその恐怖を打ち明ける両親などというものは、彼らは持っていなかった。
ただ認めて欲しかった。
だがその為の唯一の手段ですら、大人たちに奪われてしまいそうになっている。どうやらセカイというものは僕たちが嫌いらしい。
ノックの音が聞こえた。酷く無機質な音に聞こえる。サルはいつもはこの音が聞こえると少し嬉しいような気持ちになるのだが、今日は違った。いっそ二度と聞こえなければいいとさえ思っていた。
来なよ、とテレパシーを送った。ゆっくりとドアが開く。足音はしなかった。彼の瞳は孤独に揺れている。そしてサルの瞳もまた、そうだった。
サル、と名前を呼んだフェイの声は泣きそうだった。
これからフェイは一人になる。いや、フェイはフェイじゃなくなる。僕がそうさせる。僕の、僕たちのために。
「フェイ。僕は君が大好きだよ」
「そんなの、解ってるよ」
フェイの声は震えていた。
「だから、それだけは忘れないで。僕が君を」
大好きだってこと。
「……無理さ。僕はこれから全部忘れるんだ。そんなのサルが一番解ってるだろ……!?」
終始フェイの声は掠れ、そして瞳は危うげに揺れている。涙を辛うじて堪えているようだった。
サルはゆっくりとフェイの真正面に歩み寄った。そして両手を持ち上げて、一瞬だけ躊躇してからフェイを抱きしめる。少し痛いくらいの力を込めた。おそらくこれが最後の抱擁になると分かっていたからだ。
希望的観測はただの自己満足にしか過ぎないと、サルはずっと思ってきた。だがそれを覆してもいいと思えるほど、サルは今希望的観測という概念に頼りたくなっている。
松風天馬という人物を、サルは痛いほどわかっていた。彼の行動が、言葉が、感情が――例えば怒りでさえ――彼の周囲の人間を強く惹き付ける。フェイもその例外にはならないだろう。
決して望んでこうする訳ではない。それを覚えていてほしかった。だが自分の手でこれから全てを忘れさせるのだ。
フェイは堪えきれずにとうとう涙を零し始めた。押し殺したような嗚咽が漏れる。
「ねえ、フェイ、すき、すきだよ」
そう言って、サルはフェイにキスをした。唇を離してから、サルの白い手袋の指先がフェイの頬を撫で、涙を拭った。キスは涙の味だった。

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