小説

□孤独感、鼓動感。
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ねえ、なんで僕今こんなに怖いの。
言い難い恐怖が突如としてこみ上げてきた。呼吸が浅くなって、吐き気がした。どくんどくんといやというほど鼓動が伝わってきて、それがまた余計な不安を募らせる。A弥は布団をかぶり直そうとして手先だけでブランケットを探したものの、伝わってきたのはシーツの冷たい感触だけだった。重い上半身を起こして目視すると、A弥が探していたそれはベッドの下にぐしゃ、と丸まっていた。拾い上げて頭まですっぽりとブランケットに収まり、まるで胎児のようにA弥は丸まっていた。
冬の夜は冷える。今朝の天気予報では雪の予報までされていたというのに、それでもA弥は汗をかいていた。訳の分からない恐怖に怖じる。なにより今は孤独だった。それが余計に恐怖感を増していた。誰かの存在が、人肌が恋しかった。
C太。その名前が頭に浮かんだ。今までずっと一緒にいて、そしてこれからも一緒にいてほしい存在。だからだろうか、C太に会いたかった。枕元の携帯電話に手を伸ばす。あと一回触れば電話が掛けられるような画面でしばらく戸惑って、A弥の指先がゆっくりと軌道を描いて、止まった。
呼び出し音が鳴り響く。時折布団が擦れる音が微かにそれを妨げた。いつもより呼び出す間隔が長く、A弥が息を止め目を固く瞑ったその瞬間に、夜だからだろうか、常時より少し低い声でC太が応答した。
『……なに、A弥』
少し安心した気がした。
「あんまり、眠れなくて」
吐き出すように、やっとそれだけ告げた。


知ってるよ、A弥。A弥が眠れないのだって全部知ってる。最近それが増え始めたのだって全部。そう、俺に頼りきっていいんだよ。もっともっともっともっともっと全部預けていいんだよ。電話なんかじゃなくたって、勝手に部屋に入って来たっていいんだよ。まあA弥のことだから、こんな夜中に電話するのも少し躊躇ってたんだろうけど。でもそんなところもA弥らしい。少し頼りなくて、だからきっと俺がいないと駄目なんだ。はは、まったくA弥はしょうがないなあ。俺がずっと守ってあげる。俺がずっと側にいてあげる。たとえA弥がそれを望んでいないとしても、それでも。
『あんまり、眠れなくて』
すこしA弥の声は掠れていた。
あまり眠れていないのが堪えているんだろうか。只でさえA弥は隈が標準装備なのに。
「A弥、明日家に泊まる?一人よりいいで
しょ、そういう時は」
ややあって、絞り出すような肯定の返事が聞こえた。

「おじゃま、します」
もう夜が更けた頃、A弥にとってはもう見慣れたC太の家の玄関に、靴を脱いで足を踏み入れた。ひやりとしたフローリングの感触が、靴下越しに伝わる。とんとんと小気味良いリズムで階段を上るC太の足音が聞こえて、A弥もそれに続いた。
久しぶりに訪れたC太の部屋は相変わらず閑散としていた。C太は制服のブレザーを脱いで椅子の背もたれにそれを引っ掛ける。自分の部屋だけあって、手慣れた様子だった。下に着ていたワイシャツと、重ねて着ているC太の髪と同じ色のカーディガンだけになる。いつものC太と違って、A弥には少し新鮮だった。
「なにぼさっとしてるの?今更緊張でもしてる?」
くすりと笑うC太の声が、A弥の耳朶を打った。それ、とA弥がC太の腹辺りを指差すと、C太は怪訝な顔をした。
「あんまり、ブレザー脱いでるところ見ないから」
付け加えるとC太はまた笑った。
「見とれてた?」
冗談混じりの口調で、C太は問うた。少し考えてA弥がうん、と言うと、C太は意表を突かれたように目を見開いた。だがそれはほんの一瞬だけで、すぐにいつもの余裕綽々の表情に戻る。刹那、ひゅ、とA弥は短く息を吸い込んだ。まただ、怖い。あの形容し難い感覚がA弥を襲った。脳味噌を心臓が掻き回すかのように、嫌でも自分の鼓動が伝わってきた。怖い、怖い。
「おいで、A弥」
C太の声だった。A弥のすべてを見透かすかのように、C太はただそれだけを口にした。おぼつかない足取りで一歩ずつA弥は足を踏み出す。数歩歩いたところでA弥は腕を伸ばし、C太のカーディガンを掴んで、それからそこに顔をうずめる。震えるA弥の肩をC太は抱き締めた。A弥の肩に頤を乗せるようにして、一定の間隔でA弥の背中を優しく叩いた。
「俺がいるよ、A弥。大丈夫」
そこから幾ばくかの時間が経って、A弥は顔を上げた。
大丈夫、と尋ねる意味合いを込めて、C太は首を傾げてA弥の瞳を見つめた。A弥もそれを理解したようで、一度だけ頷いた。
「もう夜遅いし、寝ようか」
C太は柔らかい語調でそう告げると、ベッドの半分のスペースを残して上半身だけ起こして座る。空いた半分には、無論A弥が寝るのだろう。A弥はそのスペースに潜りこんだ。
「おやすみ、A弥」
横向きになって寝転がり、C太は優しくA弥に言った。
「おやすみ、C太」
A弥もそう返した。二人とも言ってすぐ眠りにはつかずに、そうしてほんの少しの時間が経ったとき、A弥がC太の袖口を引いた。C太は薄く微笑みA弥との距離を詰めると、そのままA弥を抱き締めた。A弥の背中に回した手で、A弥の髪を梳く。抱き締め返すA弥の腕にも力がこもる。
「ずっといるから、大丈夫だよ」
返事こそなかったものの、自分の胸の中で頷いたA弥の気配を感じ、C太は黒いA弥の髪を見つめた。そうして結構な時間が過ぎ、安らかなA弥の寝息が聞こえてきたのを確認すると、C太はそっと微笑して、それからその瞼を下げたのだった。

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