哀悼のマリオネット

□哀しみの還る場所
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最愛の姉が亡くなって三年の月日が流れようとしていた。
私は今年で高校生活最後という年を迎え この桜並木を歩く。三年前とは変わらず咲き乱れている桜。
風が 散った花びらを巻き上げ、私をも包み込む。私は長い髪を掬い上げ 空を見た。三年前と変わらない青空が一面に広がる。

声がした。私を呼ぶ声?いや違う。ふと道の方に目線を戻す。
ああ、姉を呼ぶあなたの声だったのか。

『…違う。違うよ。私は美玖じゃない、美鶴だよ』

世界はセピア色へと変わり、私の声は届かなかった。


***


4月10日
何も変わらなかった15年間、この日を堺に私と私を取り巻く環境が一変した。
そう、今日は香椎美玖の命日である。

パチンと目が覚める。時計を見れば針は9時を回っていた。
今日は平日。こんな時間なら間違いなく遅刻であるが、姉の命日ということで学校には休みを貰っている…というのは建前でサボったというほうが正しいか。
いつもより遅く起きたせいか、変な夢のせいか、うっすらと頭が痛い。適当に朝食を取ろうと 私はパジャマ姿のままリビングへと向かった。


焼けたトーストとバター、コーヒーをいれテーブルに運ぶ。だだっ広い一軒家のリビングにある六人掛けのテーブルの真ん中を陣取って座った。
昔から変わらない私の席。テレビがよく見える席。好きなあなたが一番良く見える特等席…。
おもむろにテレビを付け、まだ寝ぼけた頭でトーストにバターを塗る。


「今日のゲストはこの方!今をときめく若手イケメン俳優の“泰楽ジュン”さんです!」

思わず塗っていた手を止め 顔を上げる。無表情の顔が少し歪んだ気がした。
耳を塞ぎたくなるような歓声の中を出てきたのは、姉の友人であった 泰楽ジュンだった。
そして私の………。


「さてさて!今日は恋愛について色々聞いちゃいますよ!
ジュンさんて今まで失恋したとかフられたことなんてないでしょう?」
「ふふ、まさか。ありますよ俺にだって」

ええー嘘!と女の司会者がわざとわしく盛り上げる。
そして液晶の向こう側でテンションンの高い司会者に対し、常に笑顔を絶やさないジュン。ゲストという大役を見事に果たしていた。

『………くだらない』

一言悪態を付いて、すぐさま電源を切った。そのままトーストをコーヒーで胃の中に流し込む。
そんな世界で 私の嫌いな姿の彼がそこに映る。液晶の向こう側は虚像の世界だ。嘘だらけで塗り固めた世界。

『あはは…私の世界だって嘘だらけじゃん』

乾いた笑いが込上がる。
夢を与える職業だと昔 泰楽ジュンはそう言っていた。どれもこれもバカみたいだ。
バカみたいだ。私はこの男に恋をしていたのだから。
それはとてもとても 昔の話。



朝食を済ませ椅子から立ち上がり部屋に戻った。
階段を登る間に イライラする気持ちをなんとか静める。そして 真っ白いワンピースに腕を通し、財布だけをポーチに入れ 玄関へと向かった。

『…いってきます』

ドアノブを回すのと同時に 蚊がなくような美鶴のか細い声。その声へ対する言葉も、余韻すら残ることなく 扉を閉める音で全てが掻き消されたのだった。


***


私が2歳の時に事故で亡くなった両親と姉が眠る墓前でしゃがむと、そっと両手を合わせた。
ほんの5秒くらいの沈黙だったか、桜が散る音なんかしないけれど 桜の花びらで微かに耳をかすめるような そんな風の揺れる音がした。

まるで陶器の人形のような美しさを纏う美鶴。その無表情の顔から心情を読み取ることは出来ない。一体何を思い、何を考えそこに立つのか。
美鶴はスッと立ち上がり、ふと散る桜の木を見上げた。

悲しいとか、嬉しいとか、そんな感情はもう持ち合わせていない。だが、桜は嫌いにはなれない。散る最後の時まで綺麗であろうとする桜は嫌いではない。
風にさらわれながら とても静かに散る桜。

「こんなにのどかな日なのに、花びらは どうしてこんな慌ただしく散るのかな?」

昔、両親の墓参りを終えた際に 姉が私の手をぎゅっと握り締めて そんなことを言っていた気がする。
当時の私は幼くて理解出来なかったけれど、きっとあの時 姉は、散り行く桜の哀愁を感じ取っていたのだろう。
人の人生と同じだと、桜に重ねてみていたのかもしれない。

その時だった。ぶわっと急に風が揺れ動いた。
まるでドラマのワンシーンのような桜吹雪。目線をふと戻せば、そこには先程まで 液晶の向こう側で笑っていた“泰楽ジュン”がいた。

『(ああ、風が変わった原因はあなたか…)』

無表情な顔に、少しだけ眉間にシワがよった。


「一緒に行こうって約束しなかった?」
『約束は両者の合意の上で初めて成り立つものでしょ。 あなたが一方的に決めただけじゃない。私は“はい”なんて頷いてない』

姉が亡くなった時から週2〜3回 “一緒に食事をとる”というのが義務付けられた。
今日はこんなことがあったんだとか、今日学校楽しかった?とか、ただ向こうが一方的に話して 質問して 私が一言呟くという、究極につまらないはずの食事に 毎回彼は笑顔で楽しいという。
そんな一方的な会話の中でされた 彼曰く約束ごと。私からしたら彼の独り言だ。無言の私に彼は肯定と取ったらしい。

聞いてはいたが一切頷いた覚えなどさらさらない。

こんなのただの屁理屈だと分かっている。年下という優位な立場を存分に利用して困らせているのは分かっているのだ。
優しいこの人は絶対に怒らない。怒らないと知っているから つい屁理屈を並べてしまうのは私の悪い癖。
成長していくにつれ姉を完璧視し始めた。そしてそれに相反する自分に苛立ちと 複雑なコンプレックスを抱き、もとの性格にさらに拍車をかけ この卑屈な性格が出来上がっていったのだと思う。


ふと彼と目があった。

『っ!』

一瞬眉をひそめ切ない表情を浮かべた彼と目があった。その場所から逃げるように彼の横を通り過ぎる。
まただ。また彼の優しさに甘えてしまった。優しくて 切ないその表情が昔から苦手なんだ。
あんな顔されたら強く言えない。彼はそれが分かっていてやっているのかもしれない。私が苦手だと知って。
私に罪悪感を与える その表情に今日は無性に腹がたった。調子を狂わされている理由はあれだ。彼が手にしている花束のせいだ。そう、きっとあの花のせいだ。
彼の手の中にある純白の花。姉が一番好きな花。ユリの女王と呼ばれているカサブランカの匂いが鼻をかすめ 更に私を苛立たせた。

私が言い返せないと知って そんな卑怯な顔をするんだ。
大嫌い。早く私を嫌いになってよ。早く私の前から消えてよ。優しくなんかしないでよ。
独りよがりなこの想いを握りつぶすかのように、拳をぎゅっと握りしめ唇を噛んだ。


彼は私を嫌いにならないと、心のどこかで思っていた…。
その甘さが 私を弱くするんだ。



ジュンは美鶴を追うことはせず、ただ見えなくなるまで美鶴の後ろ姿を見送った。

「……」

美鶴が見えなくなるとジュンは美玖の墓前に花を添え、両手を合わせる。


“どうか美鶴が倖せだと感じて生きていけますように”


「ねえ美玖。俺間違ってないよね。…もしかしたらさ、美玖との約束 守れないかもしれないよ」

何を言われようと 俺は美鶴を嫌いにはならない。
だけど俺じゃ、美玖の変わりにはなれないんだ。美鶴を倖せにしてやれない。


「俺、そんな悩むタイプじゃなかったんだけどな」

どこからか、風にのって美玖の笑い声が聞こえた気がした……







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