月刊少女野崎くん(長編)
□第四章 天使が捧げるラブソング
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ここの前を通るときはいつも早足で通り過ぎていた。
プレートすらまともに見られなくて、去年の自分を知る誰かと顔を合わせることがイヤでイヤで仕方がなかった。
正しくは、その人たちの目にいまの自分がどう映っているのか、知りたくなかった。
その部屋の前に、私は立っている。
『声楽部』
回れ右しかねない足を必死で押し留めて。なんども握り締めた手を必死にひらいて、扉に手を掛ける。
もう逃げないって、決めたから。
第四章 天使が捧げるラブ・ソング
1)
部活が始まる前の、まだざわついた楽しそうな声が漏れている。
深呼吸、一つ。
これは政行くんのアドバイス。恐れる気持ちを追い出すワザ。
ガラリと、扉が思ったより大きな音を立てて響いた。
一斉に私に向いた視線に心が少しだけ震えた。
一瞬のというには長い沈黙。
「…へぇ、いまさらよく顔出せたな」
胸に突き刺さったその言葉を放ったのは、声だけでも判る。結月だ。
その近くに部長もいた。
冷たい、鋭い二人分の視線。
他の部員(ひと)たちは、半分はだまって私を見ていたけど、もう半分はおそらく一年生。ひそりと囁き合っている。
フラッシュバック。
ぐらりと眩暈がした。
ここは舞台じゃないのに!
ああ、そうか。そう、なんだ。
舞台だから、じゃないんだ。
これは、プレッシャーに易々と負ける私の弱い心を守る、自己防衛機能のようなもの。
でも。
いま、これに流されたら何も変わらない。
変わるために、ここに来たのに。
一歩、足を踏み出す。
そのまま思いきり頭を下げた。
「すみませんでした!」
ざわりと、教室が動いたみたいに思えた。
「私は、一度声楽部を辞めました。でも、もう一度歌いたいんです!」
今度はシーンと静まりかえっていた。
私は言葉が漏れていかないように、自分の気持ちを声に出していく。
「去年の最後の発表会、歌い出せなかった自分の失敗が認められなくて、また同じことをしそうで、恐くて、そればっかりを考えてしまって」
すべて、隠さずに、本当のことをちゃんと打ち明ける。
「…でも、やっぱり歌いたい。ここで、みんなと。勝手なのはわかってます。でも、お願いします! もう一度、声楽部の仲間にしてください!」
私の、居場所。
ちゃんと、今度は逃げずに、もう一度。
ここにいたいから。
「…と、いうことらしいけど、結月?」
「部長に任せる」
部長の声も冷たい。当たり前だ。
いつでも戻って来なさいといってくれたけど、あれから時間が経ちすぎているし、結月も私をきっと許さない。
それだけのことをしたんだから。
私はこれから私ができることをするだけ。
「……実森さん」
名字で呼ばれたことに、わかっていても哀しくて苦しくなる。
「顔を上げなさい」
「はい…」
ピヨッ。
………え。
なんか、変な音…しなかった?
それに頭に妙な軽い衝撃がしたんだけど…
そっと目線だけ、部長に向ける。
厳しい顔をした部長は私の方に腕を伸ばしていて、その先には?
思わず一歩後ずさった。
部長が持っていたものは……おもちゃのハンマー?
黄色の柄、赤いソフトプラスチックの本体には、黄色いひよこがくっついて、私につぶらな瞳を向けている。
昔、見た覚えがある。音が鳴るやつだ。
あれは、あの変な音はこれで私の頭を叩いて出たもの?
「1年近くの遅刻の罰よ、紗英」
ピヨッ、ピヨッ。
部長は自分の手のひらを叩いてみせる。
さっきと同じ音がした。
「ちなみにコレ、結月の発案ね」
私はまだ飲み込めずにいる。
正直、何が起こっているのかよく分かっていない。
えっと、叩かれたのは罰で、それは結月の発案で? え、えーと、だから………
……ぶふっ!
音のした方を見た。結月が口許を押さえて肩を震わせている。
それが伝染したみたいに室内は笑いで溢れた。
部長も笑っている。
でも、みんなイヤな笑い方じゃない。
泣き笑いのような、温かい笑い方だった。
「お前の実力に免じてそれでチャラだ、紗英」
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2019/05/01