時をかける少女達 book
□第二十六夜
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まだ朝日も昇らない時刻。安倍邸のとある部屋の前の廊下に一人、未だ星の見える空を眺める者がいた。
「――……彰子様、こんな朝早くにどうされました?」
空を眺めていたのは藤原彰子。その後ろから顕現したのは、十二神将の天一だ。天一の手には衣が握られており、それを彰子の肩にかけた。
「…なんとなく」
「?」
「なんとなくなんだけど、昌浩が帰ってきそうな気がするの」
「そうですか……ですが、お部屋でお待ちください。茵におられなかったので心配したのですよ」
「ごめんなさい…」
「そんなに心配されずとも、昌浩はちゃんと戻ってまいりますよ、彰子様」
「清明様!」
ゆっくりとした足どりで、彰子に近寄ってきたのは清明だった。清明は彰子の隣に腰を下ろすと、空を見上げた。
「星に動きがありまして、和輝も、一緒に戻るようですよ」
「お姉様も、お戻りになられるんですか?」
「えぇ。ですが、ここは冷える。部屋に戻って待ちましょう」
そう言って、清明は彰子を立たせて部屋の中に入るよう促した。彰子も素直に部屋に戻ろうとしたが、ふいに感じた事もない力を感じ、振り返った。
「あ……」
振り向けば、そこには今まで見たことのない、翼の生えた白い龍がいた。彰子は驚いていたが、頭に直接響いてきた声に、部屋に戻ろうとした足を止めた。
「…お姉様?」
『彰子…』
「やっぱり和輝お姉様ね!」
「和輝だと言うのか?あの龍が…」
朝陽を浴びて輝く鱗と翼。黄金に光るそれは美しく、またはかなくもも感じさせるようだった。
『あ…きこ、せい……ま』
「お姉様?」
『すまない…昌浩を……』
「お姉様!!?」
龍は突然光だし、長い身体が一つの塊となって庭に降りてきた。光はやがておさまり、光の中からは昌浩と物の怪が現れた。
「昌浩!もっくん!」
「彰子!」
「無事だったのね!」
「俺は大丈夫!それより姉上は!?」
昌浩が周囲を見渡せば、堀のところに寄り掛かる人影が一つ。昌浩は視界にその人影をうつすと、すぐに走り寄った。
「姉上!」
「和輝!大丈夫か!?」
「ま、さひろ。もっくん……」
「お前、やはり無茶を!」
「こ…くら、だいじょう……」
「「 姉上!/和輝! 」」
堀から背を離して歩こうとしたが、和輝の身体は思うように動かず、倒れようとしていた。だが、倒れる和輝の身体を支えたのは意外な人物だった。
「貴様っ青龍!」
倒れそうになった和輝を支えたのは、意外にも青龍だった。青龍は和輝を抱え上がると、無言で和輝を部屋まで運んだ。
物の怪は、彰子がいることで本性に戻ることが出来ない自分をふがいなく思っていたが、今は和輝のことが先だと思い直し、急いで青龍の後を追った。
青龍が部屋に入れば、そこには和輝の式神がいた。青龍はそれに臆することもなく、用意されていた茵に和輝を横たえた。
「うっ…せい、りゅう?」
「喋るな。まともに神気を抑え切れていない」
青龍はただその一言を言うと、異界に姿を消した。間も空けずに、今度は物の怪が部屋に勢いよく飛び込んできた。
「和輝!」
【 お下がりください。騰蛇様 】
【 今から封印の儀をする。その時に溢れ出る和輝の神気にあてられたくなければ下がっていろ 】
「なんだと……っ!?」
物の怪が抗議しようとした瞬間、部屋の中から声にならない悲鳴と、肌を刺すような冷たい神気が溢れてきた。
【 チッ早く部屋から出ろ!いくら神将でも、あの神気をくらったらひとたまりもないぞ! 】
青圃に叱咤され、物の怪は渋々部屋を出た。それと同時に、部屋の中に結界が張られた。どうやら強力な結界らしく、先程まであった冷たさは感じられなくなっていた。だが和輝の悲痛に叫ぶ姿は、変わる事なく映し出されたままだった。
「もっくん!」
しばらくして、昌浩達が部屋の前にいる物の怪のところにきた。
「もっくん!姉上はっ姉上はどうしたの!?」
物の怪の爪が、スッと部屋の中に向けられる。そこには身体に鎖が何十にも巻かれ、悲痛に叫ぶ和輝の姿があった。手や足、首にまで鎖がまかれ、暴れているせいか鎖と肌が摩れて赤くなってしまっていた。
「そんなっ止めさせないと!」
「駄目だ」
抑揚のない物の怪の声に、昌浩は驚いた。目の前で大切な人が苦しんでいるのに、助けることを許さない。そんなふうに聞こえてしまった。
「なんで止めるんだよもっくん!姉上があんなに苦しがってるじゃないか!!」
「駄目だと言ったら駄目だ!」
「っ!」
牙を剥き出しにして怒る物の怪に、昌浩はびくりと肩を揺らした。物の怪は昌浩を怖がらせてしまったと思ったのか、視線をさ迷わせた。
「ねぇ……もっくん。なんで、部屋の中に入っちゃいけないの?」
昌浩の後ろからついて来ていた宵が、出来るだけ落ち着いた声で話しかけた。物の怪は部屋の中で未だ悲鳴をあげ続ける和輝を見た。
「青圃が言っていた。今の和輝の神気は、俺達神将でもどうなるかわからないほど強いらしい」
「え?それってどうゆう……」
「和輝は今、龍神になろうとしておるのだ」
「晴明……」
どう言ったわけか説明しろと、物の怪は尾をぴしゃりと一降りさせた。晴明はため息を漏らし、説明し始めた。
「和輝の式神から聞いた話じゃが、和輝は神になりうる器の持ち主だと言っていた。勿論、人が神になることはまずありえない。しかし、和輝の身体には和輝の意識とは他に、もう一つの意識があった。それが……龍王の意識だった」
「龍王の意識?」
【 龍王とは、今より遥か昔に生きておられた龍の長。応龍とも肩を並べるほど、位高く、またお優しい方でした。ですが、欲深い人間に襲われ、生き絶えられてしまった…… 】
【 龍王は無くなる寸前、ある人間に自分の意識を飛ばした。それが 】
「それが……姉上だったってこと?」
晴明はただ黙って頷いた。
昌浩や燐、宵は悔やんで俯いた。何故、和輝だったのか。何故、和輝でなければならなかったのか。考えているうちに、いつの間にか部屋は静かになっていた。
【 騰蛇様 】
物の怪は声をかけられた。上を見上げれば、そこには紅璃の姿があった。
【 主が中でお待ちです 】
「あのっ、俺達は……」
【 今は入らない方がいいでしょう。人間が入っては、最悪死んでしまいます。主はそれを望んではいません。どうぞ、ここは控えてくださいませ 】
「わかり、ました」
【 では騰蛇様、こちらへ 】
紅璃に導かれるまま、物の怪は部屋の中に入っていった。その後ろ姿を、四人はただ見送るしか出来なかった。