短編A
□A
1ページ/1ページ
「……」
ここのマンションは五階建てで、うちの父親が大反対した一人暮らしを、大学に上がるときに母親に協力を得て何とか説得に成功した。
その条件として、父の会社関係の知り合いの方がマンションを経営していて、そこだったら一人暮らしをしても良いと言う事になったは良いが。
「エレベーターの…ボタンが……」
若い女の子は三階より上だ!!と娘の安全を第一に考えたパパの発言により、三階より上で唯一開いていた最上階の角部屋と言うなんとも響きのいい部屋が特別価格で安く住めることになったのだから、パパの過保護もたまには役に立つと思っていたのに……
「ボタン……よいしょっとっ!!」
大方のものは引越し業者さんが運んでくれたからいいものの、食器だったりそう言った細いものや、キッチン用品の鍋やら家族で共用していたモノは改めて買わなければいけない。
そしてその買い物を今し方済ませたは良いが、思ったよりも量が多く、エレベーターのボタンに手が届かないのだ。
「階段……もう歩きたくないよー」
マンションにこの荷物を抱えて帰って来るのにも一苦労したと言うのに、ここからまた階段を登って行くのには抵抗があった。
「重そうですね」
「引っ越してきたので、足りなさそうなもの買っていたらこんなに……ってッ…」
声を掛けられ、なんの気なしに笑いながら振り返ると、彼が後ろに立っていた。とそれに気が付いたと同時に腕が軽くなった。
「あっ…あの、重いですよ!!大丈夫ですから」
「ここで会ったのも何かのご縁ですし、荷物持ちさせて下さい。」
と言う彼も肩には沢山の食料が入った買物バッグが掛かっていたが、有無を言わさぬ笑顔が無性に怖くてお願いすることにした。
――――――
「……」
「……」
「「あの」」
「あ、どうぞ」
「名無しさんさんからどうぞ」
沈黙に耐えかねたエレベーター内でベタにもハモってしまった単語に互いに笑みを零しつつ話を続けた。
「………主夫とかなんですか?」
「見えます?」
「えっと…すみません。はい」
正直に頷くと、笑顔のままに「僕、ご近所さんにそう思われてるのかな」と対して困っていなさそうに言った。
どうやら主夫ではないらしい。
「塾の講師をしているんです。主に小学生を担当していて、だから必然的に日中は暇になっちゃうんですよね」
「塾の講師……」
なるほど、とそこで納得した。そしてやはり顔に似合う職業だ、とも同時に思った。
「名無しさんさんは…見たところ大学生ですか?」
「はい。実家は遠くないんですけど、一人暮らしをしてみたくって」
「あー、わかります。その位の歳になると、一人暮らししてみたくなるんですよね」
「一人暮らし、じゃないんですか?」
「友人と、ルームシェアをしているんです。と言うより僕が転がり込んだんですけどね……」
何だか意外だった。何となく几帳面そうに見えた彼が誰かと共同生活を送ってるなんて。
もっと何かを聞こうと思ったのに、そこで途切れてしまった会話がどうにも気まずい雰囲気を作っていて口を開くのを躊躇った。
タイミング良く、目的の階に到着したことを告げる音がなり、やっと気まずい沈黙から開放された。
「悟浄?」
「おー八戒。わりぃ、俺ちょっと出てくるからよ」
「はい」
目の前に居た赤いロン毛のいかにも悪いです、と主張している様な感じのお兄さんと目が合った。
一瞬だけ驚きはしたものの特に怖さは感じず、頭を下げて自己紹介をすると「今どきの子にしては礼儀正しいじゃねーか」と言って自己紹介をされた。
どうやら彼が八戒さんとルームシェアをしている方、らしい。女性じゃなくて安堵したと言う気持がどこかにあった。
二人で一言二言何かを言うと、赤いロン毛のお兄さん基悟浄さんは私達の乗ってきたエレベーターで何処かへ行ってしまった。
「困りましたね。あぁそうだ……」
「?」
「荷物持ちを手伝ったお礼に、夕飯を食べに来て下さい」
「え」
お礼って言うのは逆に夕飯ごちそうするとか……と言い返そうと思ったのだが、彼が浮かべる怖いくらいの笑みに逆らいきれず「荷物、部屋に片付けてから伺わせていただきます」とだけ返した。
.