短編A
□F
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「……ちょっと待って下さい」
両思いの嬉しさに抱きしめられた体を胸に埋めたのはいいものの、ふと我に返って八戒さんの胸を両手で押し返した。
おかしいのだ。だってこれで結ばれる……となるのだたたら私は何に涙を流していたのか……
「か、花喃さんは……どうなるんですか?浮気はだめです」
「あ……もしかして、そのことで泣いていたんですか?」
「……」
図星……。だが素直に認めようとしないところは多分子供なのだろう。
肯定の意は唱えずにそっと目を反らした。
「こっち向いて下さい。どうなんですか?」
「っ」
顎に手を添えられて無理やり正面を向かせられた。恥ずかしさに目だけは反らしていたが、視線に耐えられずに目を瞑って声を上げた。
「分かりました。認めます!花喃さんと言う見たこともない女性に嫉妬して泣いていたのを認めますから離して下さい!!」
離して欲しい一心で矢継ぎ早に放った言葉に墓穴を放ったことに気が付いたのは、近過ぎる位置にいる彼の瞳に映った自分を見た時だった。
「その素直な所が凄く好きです」
「でも……花喃さんは?」
「どうして花喃の事を知っているのかは分かりませんが…花喃は交通事故で亡くなった恋人です」
あの時花喃さんの名前を出した呟いたのは無意識なのか…。でも花喃さんの事を語るときに伏せた目。
あぁ…私は自分のことしか考えずに……
「ご、ごめんなさい!!」
「どうして謝るんですか?」
「だって私、自分のことしか……」
「それでも、僕の為に泣いて下さったのでしょ?」
ふわっとした笑顔を浮かべて私の頬を包み込んだ。
あぁ、私が好きになったのはこの笑顔だろう。だが今は好きになって良かったのかさえ疑問に思う。
彼の中では過去の人になんかなっていない。今でも彼の中で生き続けている。
だとしたらやっぱり私の入り込む余地なんて……
「今度付き合うなら、殺しても死ななそうな人って決めたんですよ。………そう思えるようにしてくれたんですよ?あなたが」
「私、が?」
「えぇ。名無しさんさんが」
「私、何もしてないです…」
「あなたの存在です」
私の存在……と言われても。
でももし本当にそうなのだとしたら嬉しい。
私を抱き締める彼の背中にゆっくりと腕を回した。
両手が付かない程広い背中。
今までこの背中で背負ってきたモノを今度は一緒に背負わせて欲しい……
そう思ったのだ。