鋼の短編

□ジレンマ
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触れたくても触れられない。

手を伸ばせば届く距離にいるのに、手を伸ばすのを躊躇する自分がいる。









「鋼の、こことここのスペルが間違ってるぞ」

「え?どこ?……あ、ホントだ」


ちょっと手を伸ばせば届く。

けれど、決して伸ばすことができない。


「はい、できたよ」

「ふむ。いいだろう」

「はぁ〜やっと終わったー」

「お疲れのようだな」

「あーかも」


ケラケラと笑う鋼のに、ロイは心配そうに見つめる。

エルリック兄弟……否、姉弟の旅がどれほど大変か分かっているつもりだ。

それでも彼らは前を向いて歩いてる。


「鋼の……」


そっと手を伸ばす。


「ん?」


鋼のが振り返ると同時にその手は力を失くしてだらりと机の下に隠された。

どうしても伸ばすことのできない手。

触れる前に何かに阻まれるように力が抜ける。


「何?どうかした?」

「いや……」


触れたい。触れられない。

どうしたら触れられるのか。


「ねぇ、手、出して?」

「え?」

「ほら、はやく!」


よく分からず、言われるがままに差し出す手。

その手を柔らかい手と鋼の手が包み込んだ。


「鋼の?」

「決して届かない距離じゃない。ちょっと伸ばせば大佐なら届くでしょ?」

「鋼の……」


どうして彼女には分かってしまうのだろう。

ほら、と促されるままに手を伸ばした。

最初ははちみつ色のきれいな髪。

三つ編みに編まれていて、広がらない。

そしてそのまま手を下ろして柔らかい頬へ。

子ども特有の……けれど女性だと分かる柔らかい頬。

鋼のがその手に重ねるように生身の手で包んだ。


「あったかいね、大佐の手」


時折見せる少女の顔。

どうして今見せるのだろう。


我慢できず、もう片方の手を彼女の背中に回して抱き寄せた。


わっ、という声が聞こえたが、聞いてないふりをしてそのまま力任せに抱きしめる。

触れられないと思っていたのに、こんなに簡単に触れられる。

触れさせる鋼のに苛立つ。

触れてしまえば……触れてしまえば手放せなくなることは分かっていた。


「後悔しても知らんぞ」

「じゃあ、ずっと届かないほうがよかった?大佐が考えてること、なんとなくわかるよ」

「分かっていて、これか」

「分かるから、だよ。手を伸ばさず結局届かなかったなんてやだもん。この世界に引っ張り込んだんだから、最後まで責任持てよな」

「……早く願いを叶えて私の元へ帰って来い」

「……えー、どうしようかな」

「鋼の」

「ん?……っ」


揶揄ってくる彼女に、ロイは静かに名前を呼ぶと、そのままぷっくりした甘い果実にかみついた。

驚きに声を失い(というか、声が出せず)目を見開いて固まる鋼のが見える。

ここまで煽ったのは彼女自身だ。

もう自業自得として諦めてもらうしかない。


ちゅっと音をたてて離れると、真っ赤な顔をした鋼のがいた。

やっぱりまだまだ初心だな。


「な、な、な……」

「覚悟を決めさせたんだ。……エドワード、君も覚悟したまえ。私は諦めが悪いぞ」


楽しそうに告げてやれば、さらに真っ赤になって何かを言い返そうとする。

だが衝撃が大きすぎたのか、パクパクと言葉にならず、がむしゃらに部屋を飛び出していった。

くっくっくと腹抱えて笑う。

さっきまであったモヤモヤが一瞬のうちにすっきりと晴れた。

触れたくても触れられないんじゃない。

触れようとしなかっただけだ。


「もう待てはなしだ」


逃がしはしないよ、エドワード。




end
 

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