Long Stories

□世界を変えたのは
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「ああもう、ほんっとに毎回毎回欠かさず遅刻してくんだから…」

「そうカッカしないでくださいよ、竜姫さん」

「………」



 …徐々に竜姫が床に打ちつけている足の速度と威力が上がっていく。
 ガラッと襖が開かれるとその地団駄がダンッと止まった。
 ギロッと竜姫の目が向けられた当の本人は「おはよう」と笑って中に入り込む。
 その飄々とした態度に竜姫の額に青筋が浮かんだ。



「…あんた毎回遅れてくんのどうにかしなさいよね…。あたしだって暇じゃないんだから…」

『あれ、噴火寸前だ。』

「もう噴火してるっつの!」



 ピシャーン!と落ちた雷に新しく加わった裏会の幹部達が「おおお…」と声を漏らす。
 …落ち着いて…。ぼそっと放たれた言葉にはっと竜姫が動きを止めた。
 第一客の位置に座っているぬらが簾越しに顔を上げ、黒凪に目を向ける。



『…遅れて来たのは悪かったよ。どうも最近は色々な所に神経を張り巡らせていて頭が回らなくてねえ…』



 簾を捲ってその奥へ入りぬらの左斜め後ろに座る。
 その定位置からも遅れて入って来た彼女は遅れるべき人物ではない。
 しかし彼女を無理に引き摺って此処に連れて来るなど誰も出来ぬ事だ。何故なら…



『それでは始めようか。各々各地の報告を頼む。まず夜行。』

「えー、妖退治の件数は昨年と比べ特に変動はしてません。対して妖混じりは年々増えてるので、施設を増やす許可と資金を求めます」



 裏会総本部相談役、基総元締である間黒凪。
 つい最近に裏会に加わった末席の男がごくりと生唾を飲み込んだ。
 彼女は人でありながら優に400年を生きた伝説の結界師。
 その実力は神をも超え、つい最近には人の枠を超え遂に神と同義の存在となったと聞く。



『――次。末席の、其方はどうだ』

「は、はい!えー、記録室の方は…」



 奥久院の後を継いだ男には前任と同じ様に深い探究心がある。
 間黒凪についてもっと調べたい――。
 彼女はこれまでどのように生きて来たのか、人でも妖でも神でも無い存在となった彼女はこれからどう生きてゆくのか。



「…以上です。」

『ん、ご苦労。…どうするぬら、資金にはまだ余裕があったかな』

「まだ余裕は…あります…」

『それじゃあ夜行と研究室には申請の通りに資金を出しておく。後は――、あ?』



 何処かで今しがた目覚めたかのような妖気に皆が一斉に顔を上げる。
 まだまだ幼く不安定だが、覚えのある妖気…否、畏。
 黒凪が簾越しに窓の外へ目を向けた。



『(鯉伴…?いや、違うな。)』

「…。そう遠くないねえ」

『浮世絵町の方からだろ。そっちは私の管轄だ、見に行っておく。』

「…あぁ、奴良組ね。随分と放ってるけど大丈夫?」



 大丈夫。竜姫の言葉にすぐにそう返した黒凪に竜姫がひゅう、と口笛を吹いた。
 その様子に正守が片眉を上げる。
 裏会には暗黙的に管轄と言うものが存在する。
 例えば竜姫は全国の龍仏境の様な特殊な土地、第八席に新たに加わった京言葉を使う術者と第十一客の僧は西日本を管轄としていた。
 しかしどれもその土地を管理せよと明記された事は無い。
 …黒凪を除いては。



「(黒凪だけは宣言したんだよなぁ、東京は自分の管轄だって。)」

『それじゃあ話もまとまったし今日はこれぐらいで。』

「(東日本ではなく"東京"。日本の首都だし、然るべき人物が護るべきだとは思うけど――)」

『正守。外で限が待ってんだからぼーっとしないの』



 いつの間にか目の前に立っていた黒凪にはっと顔を上げる。
 …相談役になってもまだ管轄持つなんて、そんなに東京には何かあるのか…?
 ぼーっと黒凪の顔を見つめているとしゃがみ込んで「んー?」と顔を覗き込んでくる。



「(…ま、考えるだけ無駄か。秘密主義だし…)」

『何よ、何か聞きたい事がある感じ?』

「…、別に?東京に何か思い入れでもあるのかなってさ」

『思い入れ?』



 態々東京を自分の管轄内にして誰にも手出しされない様にしたりさ。
 歩きながら「あー、」と納得した様に言って黒凪が笑った。
 特に深い意味は無いんだけどね。ほら、東京には色々あんまり手出しされたくないものだらけだったじゃない。
 その時の名残がある所為で周りを威嚇しちゃうのよ。



「(あ、嘘付いてる)」

『限、ごめんね待たせて。』

「…あぁ」

『ほーら、鋼夜も戻っといで。』



 限の影から黒凪の影へ。
 日の落ちた闇を移動する事は容易いのだろう、鋼夜は一瞬で黒凪の影の中へ入り込んだ。
 やはり彼が最も落ち着く居所は今や黒凪の影の中であるらしい。
 完全に黒凪と打ち解けた…と言うにはまだ早いかもしれないが、徐々に心を開き始めているのは確かだろう。
 居心地が良さそうに揺れた黒凪の影を見ていた正守は小さく笑った。





























 ――…時は1日前まで遡る。
 東京の浮世絵町に大きく佇む奴良組本家の中で次期三代目である奴良リクオが己の部下達に向かって口を開いた。
 部下である妖達は出入りか、それとも喧嘩かとわくわくそわそわしていたわけだが、己の主の言葉にその気持ちも急速に冷めていく。



【…学校の旧校舎、ですかい?】

「うん。今夜は!絶対!絶対近付いたら駄目だからね…ってもうこんな時間だ、行かなくちゃ!」

【!あらリクオ、まだお弁当が…】

「大丈夫、購買で何か買うよ!ありがと母さん!」



 走って出て行くリクオを見送り「折角作ったのに…。」と母、山吹乙女が眉を下げた。
 その隣に台所から姿を見せた鯉伴は指先で摘まんだ朝食をぱくっと一口。
 そんな鯉伴に気付いた山吹乙女は「あ、ちょ、あなた!」と驚いた様に声を上げる。
 鯉伴はごくっと飲み込むと「今日も絶品だなぁ」と声を掛けてのらりくらりと逃げてゆく。



【もう…鯉伴ったら…】

【あー!ちょっと鯉伴、つまみ食いするんじゃないよ!】

「そう怒んなよ姉さん。」

【…総大将はまた…】



 台所から聞こえてくる雪麗と鯉伴の声に呆れた様に首無がため息を吐く。
 2人の声は玄関に辿り着いたリクオの耳にも届いており「また父さんがつまみ食いでもしたんだろうな…」と呟いて靴を履いた。
 するとそんなリクオの背後に「お待ちください若!」と鴉天狗が現れる。



【最近の世の中は危のうございますぞ、せめて護身用に刀を1つ…】

「大丈夫だって、学校に行くだけなんだから。」

【し、しかし…】

【おはようございます。若】



 目の前に影が差し、顔を上げたリクオはびくっと固まった。
 無表情で此方を見下している牛鬼の顔は座っている状態で見上げると余計に恐ろしい。
 ばっと立ち上がったリクオは「う、うんおはよう…。久しぶり…」と遠慮がちに声を掛けた。
 その言葉に「お元気そうで何よりです」と返した牛鬼の表情はやはりピクリとも動かない。



「あ、えー…と、それじゃあ僕は学校に…」

【はい。お気をつけて】

「う、うん。ありがと。」



 そう返して走り出したリクオは「相変わらず怖いなぁ…牛鬼は…」そう声に出さず呟いて門を潜って行く。
 そんなリクオを見送り本家に入った牛鬼は朝から酒を煽る鯉伴の側に立った。
 振り返った鯉伴は「おお牛鬼」と笑顔を見せて酒瓶を持ち上げる。



「どうだ、一緒に飲むか」

【いえ、私は…】

「相変わらず堅苦しい奴だなぁ。…で、何か用か?んな朝っぱらから。」

【…。リクオ様についてお話したいと参った所存です】



 鯉伴がついと目を向けた。
 その目を見返し、失礼しますと牛鬼がその場に腰を下ろす。
 ……やがて夜になり、一旦家に戻って来ていたリクオが食事をとる鯉伴と山吹乙女の前に顔を見せた。



「それじゃあ父さん、僕友達と遊んでくるから。」

「ん、あぁ。それは良いんだがなリクオ」

「え?」

「…やっぱりお前は組を継ぐ気はねえんだよな?」



 真剣な顔をして言った鯉伴に「だから…」とリクオがげんなりした様に眉を寄せた。
 僕は人間として生きるって決めたんだよ。それもずっと前にね。
 強い口調で言うリクオに鯉伴が箸を止めて顔を上げる。



「なら良いんだ。お前の好きにしな。」

「っ、だからずっとそうしてるって!しつこく聞いて来るのはそっちだろ!」



 乱暴に襖を閉じて走って行ったリクオにため息を吐いて鯉伴が味噌汁を啜る。
 はー、反抗期って奴かねえ。 
 ぼそっとそう呟いた鯉伴に「良いではありませんか、可愛くて。」そう言って酒を注ぐのは山吹乙女。
 徳利を側に置いた山吹乙女は味噌汁に映る己を見て徐に箸を置いた。



【…随分と大きくなりましたね】

「リクオか?…確かになぁ」

【…黒凪さんにも是非見て頂きたいです】

「…そうだな」



 2人にとってリクオは自分達の大切な1人息子だ。とても、今は幸せだ。
 しかしどうしても過るのはあの子を産む為に多大な犠牲を被った黒凪の顔で。
 あれだけの事をしてもらっておいて、リクオが生まれて「ありがとうございました」では軽すぎる。
 …いずれは、リクオにも彼女の事を話したいと山吹乙女は常々思っていた。



【…文を送れば来てくれるかしら】

「時間がありゃあ来るだろうよ。あいつは負い目を感じて身を引く様な奴でもねえし…」

【…そうですね】

【おい鯉伴。もう皆集まっとるぞ。】



 おっと、いけねえ。
 そう言って立ち上がった鯉伴が部屋を出て幹部達の集まる客間に入り込む。
 そして総大将の為にと用意された場に座れば、皆の目が一斉に鯉伴に向いた。



「よう。久々だな」

【総大将…】

【…総大将、本日は奴良組の三代目についてお話が】

「おいおい、早速それかよ。」



 総大将をお勤めになってもう300年近く経ちます。そろそろ三代目の目途を立てられてはどうですか。
 木魚達磨の言葉に「うん…」と酒を煽る。
 これまで鯉伴は三代目についての話題を只管に先延ばしにしていた。
 リクオか、それとも他の妖に継がせるか。
 その意見に対して彼はずっと黙秘し続けていたのだ。



【リクオ様の御意思を尊重なされる気持ちも分かりますが、そろそろ…】

「俺ぁまだまだ現役だ。まだその話は要らねえよ」

【総大将…!】

【皆の気持ちも分かる。リクオ様はまだ覚醒もされておらぬ上にその御意思も固まっておられない】



 牛鬼の声にざわざわとしていた幹部達が一斉に振り返る。
 皆の視線を受け、牛鬼がゆっくりと口を開いた。
 だが我々奴良組の総大将に相応しいのはリクオ様だけ。それまで待とうではないか。
 奴良組総大将に相応しい"畏"をその身に宿す、その時まで――。



























【―――…総大将、只今帰りやした】

「青か。リクオも一緒か?」

【へい。今は人間の娘と宿題とやらをやってます】

「分かった。…悪ぃが皆帰る時は裏からで頼むぜ」



 総大将、と幹部達の声が彼の背中に投げかけられる。
 しかし鯉伴は片手を軽く振って襖を完全に閉ざした。
 そしてぬらりくらりと気配を絶ってリクオの様子を見に行けば、リクオが連れて来たカナに茶を出す山吹乙女の背中が見える。



【これからもリクオと仲良くしてね、カナちゃん】

「はい、勿論です!」

「もう母さんは向こうに行っててよ、宿題したいから!」

【ふふ、はいはい。】



 笑顔で出て行った山吹乙女に「綺麗なお母さんだね」とカナが笑顔を見せる。
 部屋を出た山吹乙女は姿を見せた鯉伴を見上げ、彼と共に闇に乗じて我が息子を見守った。
 …襖1つで隔たれた部屋の会話は筒抜けている。



「でも奴良君ってお母さんと似てないから、もしかしてお父さん似?」

「え?…そんなに母さんと似てないかな…」

「うん。だって奴良君の目ってこう、くりっとしてて可愛いじゃない?」

「か、かわいい…」



 でも奴良君のお母さんはどっちかっていうとキリッて感じで…。
 そんな会話をする2人に山吹乙女が困った様に鯉伴を見上げて笑った。
 やっぱりあまり私には似ていないようだから、覚醒遺伝と言うものかしら。
 山吹乙女の言葉に「そうかも知れねぇなぁ」と鯉伴も同調する様に頷く。
 カナの言葉通り、不思議とリクオは2人にあまり顔が似ていない。
 だがそんな事は誰1人としてあまり気にも留めていなかった。


 
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