隙ありっ

□隙ありっ
3ページ/131ページ




 薄暗い廃墟の中を、前を進むジンとウォッカの後を追う形で進んでいく。
 どんどん暗い方向へと進む様を見て、私は不安げに脈を打つ自分の心臓を必死に落ち着かせようと必死だった。
 恋人…のような関係だった赤井秀一がジンを捉えそこね、逃げるように組織を抜けたのが約2年前。



『…こんな所へ連れてきて、何の用?』



 そう声をかけてみる。
 暗がりへと進むジンの足取りは途切れない。



「分かり切ったことを聞くんじゃねえよ。」



 それ、安心させるときに言うべき言葉だと思うんだけれど。
 そんなジンへの文句は口には出さず、静かにジンの背中を睨む。
 それを感じてか、ジンが続けて口を開いた。



「お前には失望したぜ…。お前、いつから “そう” なった?」

『…。そう、とは?』

「チッ」



 反抗的になりやがって。
 そんな地を這うような声を発して、ついにその胸元に収められていたベレッタがこちらに向いた。



「お前もこの世界での経験は長い…殺される理由はわかってるはずだ。」

『…大方、諸星大の事かしらね。』

「ああ、それもお前にしちゃあ酷い失態だったな。」



 FBIの犬にまんまと利用されるとは…、俺の面目も丸つぶれだ。
 …全く情けねえ。



『(まあ、その意見には同意するけれど。)』



 そんな風に考えて、あの日のことを思い返す。
 そう、あれは大…赤井秀一がジンとの任務に向かう1日前のこと。
 珍しく公園でのデートなんてものを提案されて、大人しく彼についていってみれば、案の定の別れ話。
 その上、彼にとっては言う必要のない…いや、寧ろ言うとかなりのリスクを伴う情報まで含めて。



《俺はFBIだ。明日の任務でジンと決着を付けに行く。》

《…。》

《…何故驚かない? お前まさか…》



 ああ。こういう時どういう反応をすればいいのだろう?
 いざ別れ話を正面から持ちかけられると、心が痛い。思っていたより、辛い。



《黒凪!》



 応えろ、と。彼の焦ったような声が掛けられる。
 珍しく焦っている。きっと彼のことだから、今日私にこの話をするまでの間にも沢山のことを考えたに違いない。
 ジンとの任務の時間が近くなるにつれ、考えることも多くなっていった事だろう。



《大君、私ね、貴方のこと気づいてた。》

《いつから…!》

《そんなに焦らなくても大丈夫よ。誰にも話していないから。》



 でもそうね…。
 貴方、私にそんな情報を伝えてどうするつもり?
 よほど自信があるの?



《それとも何? 私のために密告の機会をくれたのかしら。》



 確かにもし貴方が明日失敗すれば、私は裏切り者を組織に招き入れたただの間抜けだものね。
 でも貴方の存在を先に密告できれば罪は軽くなるかもしれない。
 彼は何も言わない。



《ふ、結局貴方って、いつも中途半端。組織に入り込む事だけが目的なら…私に罪悪感を感じる程入れこまなければいいのに。》

《…。》

《…先に愛してるって言ったのは貴方よ、大君。それがなければ私だってきっと貴方と付き合わなかったのに。》



 本当、馬鹿ねえ。そう言った時の彼の顔は忘れられない。
 滅多に表情を変えない彼が思わずその表情を歪ませてしまった様な表情。
 そして静かに彼の両腕がこちらに伸ばされて、初めて本当の彼に…赤井秀一に抱きしめられたような気がした。



「――…何か言い残す事は?」

『…そうねえ。しいて言うなら、志保のことだけ。』

「その心配はいらねえよ。まだ暫くそっちには行かねえだろうさ。…悪く思うなよ。」

『貴方のことを悪く思わなかった日なんてない。』



 そんな私の憎まれ口に口の端を少し引き上げて、そのまま引き金へと指を持っていく。
 それを見て私は走り出し、ジンがすぐに引き金を引く。
 背中に当たった。赤い血が噴き出す。
 傷口を咄嗟に抑えるようにしながらそれでもコンテナが積まれた暗がりへと飛び込む。
 その後をゆっくりと追いかけてくる、冷たい足音が耳に届いた。



『(まあ、背中の傷だけで放っておいてくれるほど優しくないわよね、)』



 暗がりの中で目を凝らす。
 これだけ古いんだから、どこかに穴とかないの?
 せめて子供が通れるぐらいの何かがあれば、何もできないことはない…。
 ポケットに入れて持ってきているAPTX4869へと手を伸ばす。
 背後からのジンの足音は止まらない。



「…フン、本当に逃げるだけか?」

『…。』

「情けねえ。」



 ジンの銃口が再びこちらに向けられる。
 そしてその指が引き金に掛かったとき、ジンがふと左の方へと視線をやった。
 それからウォッカが焦ったようにジンの後を追いかけてくる。



「兄貴、ポリが…!」

「…チッ、殺されるぐらいなら捕まった方がマシか。」



 銃声が届くことを考慮したのだろう、ベレッタを胸元に戻し、ジンが傍に落ちていた鉄パイプを持ち上げる。
 その様子を見て眉を寄せる。やばい。その対策はしていない。
 パトカーのサイレンが近づいてくる。もうすぐ傍まで。



「兄貴…!」

『私みたいな下っ端を殺すことに固執するなんて、貴方らしくないわね。』

「…。」

「兄貴、奴等がもうすぐそこまで…!」



 あたしのことなんて、最初から信用してなかったくせに。
 何も情報なんて与えなかったくせに。
 それでも私を殺そうとするのは…自分の責任を果たすため?
 それとも。…私が怖い?
 途端にジンが鉄パイプをこちらに投げつけてきた。
 それを右腕で受け止め、彼を睨む。



「逃げられると思うなよ…。」



 そう吐き捨ててジンとウォッカが足早に去っていく。
 私はその背中を見送り、すぐに手元のAPTX4869を口元に運んだ。



『(本当はこれを使わず、逃げ切ることが出来れば最適だったんだけれどね…。)』



 一思いに薬を飲み込み、上着を脱いで中に来ていた血のり入りの防弾チョッキを脱いで背中に目を向ける。
 撃たれた場所は青くなっていた。



『(防弾チョッキがあっても全然痛かったなあ…)』



 ドク、ドクと心臓が徐々にその速度を速めていく。
 後々警察に調べられても大丈夫なように血のりには自分の血を使ってある。
 血のりを絞り上げ、中に入れてあった血を床に落としていく。
 きっとこれだけあれば致死量だと判断されて殺人として報道されるはず。



『(ま、それをジンが信じるかは分からないけど…)』



 心臓の音がもう聞こえてくるようなほどまでその速度を上げていた。
 そして服などすべてを抱えて足早に廃墟を出ていく。
 パトカーの光がもうそばにまで迫っていた。
 どうにか人目につかない場所を通って止めてあった自分の車の中へ。
 そしてやっと大きく息を吸って、吐いた。



『(それにしてもAPTX4869、効くの遅くない…?)』



 ふとそう思った途端に携帯が着信を知らせた。
 その相手は志保…妹。



『っ、もしもし…』

「もしもし? 忙しかったの? 何度か電話したんだけど…」

『ううん、大丈夫。どうしたの?』

「あのね…前に渡したAPTX4869、もう使った?」



 嫌な質問だと思った。
 え? と返すと、志保が申し訳なさげに言う。



「ちゃんと効き目、あった? 配合を間違えた分の薬を同僚が私のデスクに置いておいたってさっき聞かされて…。もしかしたらそっちを渡したかもしれないの。」

『っ、く…っ』



 胸の痛みが一気に増した。
 やばい。嫌なタイミングでのこの激痛は、色々とやばい。



「お姉ちゃん? ねえ…大丈夫?」

『っ、あのね志保…』



 多分そのうちジンがそっちに行くと思うけど、
 そう前置きをすると、志保が言葉を止めたのがわかった。



『お姉ちゃん、今日ジンと色々あって…もう、会えないかも』

「え? ねえ、どういう意味?」



 そんな不安げな声になんと返そうか、と言葉を飲み込んだ途端、それだけで勘の良い妹は色々と想像できてしまったらしい。



「…あのお姉ちゃんの恋人の所為?」

『志保、』

「彼が裏切り者だったからって、まさかジンに殺されかけたなんて、言わないわよね」

『まあ、そんなところ…。ごめん…』

「噓でしょ…!? 今どこ!? 迎えに行くから!」



 もう呻くのを抑えられそうにない。
 ごめん、と一言添えて通話を切り、携帯の電源を切った。
 そして車に積んである子供用の服を見て、脂汗に目を細めながら、かつての恋人を…赤井秀一のことを考えていた。




 不良品


 (シュウ!)
 (…ジョディか)
 (聞いた? 東京でのニュース…)
 (いや…)

 (東京の廃墟で致死量の血液が発見されたらしいわ。通報を受けて向かった警察によると、通報者はこう言っていた。)
 ("黒づくめの男に追われている"って。)
 (うちのエージェントが秘密裏に入手した話によると…組織が関係している可能性が高い上、その血液は宮野黒凪のものだと断定されたそうだわ。)

 (…ふ、断定、か。確かに彼女のデータなら、データベースを調べれば一発だろうしな…。)

 (あれから彼女との連絡はまだ…?)

 (…いや、取れていない。)


.
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ