隙ありっ
□隙ありっ
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あれから、連絡はまだ?
そんなジョディの昨日の言葉が頭の中を回る。
「(そんなこと、聞かれるまでもない。毎日考えているさ。)」
連絡はまだか、なんてことは。
連絡を寄こすとしたら、メールか? 電話か?
毎日何度携帯を開いてはなんの音沙汰もないことに気を落としていることか。
《…大君? 私…黒凪。》
あの日の、あの電話を思い返す。
非通知の電話番号だった。それを迷わず取ったのは、やはり組織に置いてくる形となってしまった黒凪のことが忘れられなかったから。
本当はもしも自分に何かあれば、彼女も組織から連れ出すつもりでいた。
だがやはり現実はそううまくはいかないもので。結局、無理だった。
《ごめんね、急に電話を寄こすことになって。貴方が組織から抜けてからあの携帯を没収されて…。》
《…そうか。あれから変わりないか?》
《大丈夫よ。組織の方も貴方が相手なら仕方がないって、なんだかそういう空気だから。》
口ではなんとでも言える。
俺は深く追及することが怖くなって、結局「そうか」とあたりさわりのない返答しかできなかった。
そんな俺に、少しだけ言い淀んで彼女が静かに息を吸ったのが聞こえた。
《あのね大君。…もし私が貴方のもとに生きて帰ってこられたら、》
《…”生きて帰ってこられたら”? お前、何を…》
《貴方がもしも話が嫌いなのは知ってる。…でもね、その時は…貴方の本当の彼女にしてくれる?》
彼女の言葉に一気に思考をめぐらせた頭が、真っ白になったのがわかった。
こんなことを言われるなんて全く、ほんの少しも予想をしていなかった。
《…シュウ?》
俺の声が震えた為か、俺とともに出先に出ていたジョディが怪訝にこちらを覗き込んできたのがわかった。
ジョディの声に「ああ、出先なのね。」と黒凪が言う。
ふいにこの通話を切られてしまいそうな気がして、途端に口をついて声が出た。
《お前は、》
《、うん?》
《…ずっと前から、俺にとってはそうだ…。》
少しの沈黙の後に「ふふ」と黒凪が笑ったのが分かった。
そして。
《ありがとうね、大君。》
そうして流れた電子音に携帯を耳から離し、ポケットにそれを押し込んで。
俺は力任せに目の前にある車のハンドルを左の拳で殴りつけた。
途端に助手席に座るジョディが肩を跳ねさせて、また俺を覗き込んでくる。
《ちょっと、本当にどうしたの?》
《…いや、何も…》
《…今の人、例の…黒凪さんじゃないの?》
《ジョディ》
また彼女がびく、と肩を跳ねさせる。
そんな彼女に目を向けて、極力怖がらせないようにと細心の注意を払って「あまり話したくない話もあるものでな…」と無理に会話を終わらせた。
≪――シュウ、例の現場検証の結果だけど…見つかったのは致死量の血痕だけ。死体はどこにも見つからなかったそうよ。≫
「…そうか。」
それぐらい俺に譲ってくれても良いだろうに。
ジョディからの電話を切って、徐に自分が組織を抜ける前まで住んでいたアパートへと向かった。
彼女もよくここに来ていた。もう2年も前のことだ。すでに空き家になっている。
アパートを車の中から見上げ、煙草に火をつけた。
「…?」
途端にサイドミラーにフードを目深にかぶった子供が移りこむ。
子供の周囲に目を向けるが、親や友達のような姿はない。
というか、今は子供は学校に行っている時間のはずだ。
その子供はしばらく地面を見つめて歩いていたが、少し顔を上げて自分が乗る車を見て、ふらりとこちらに近付いてきたのが分かった。
そして背伸びをして運転席側の窓をこんこん、と何度か叩いてくる。
背丈の所為か俺の姿は見えないらしい。窓を開けて子供を覗き込んでやる。
『…あ。』
「…お嬢ちゃん。迷子か?」
思わずその、茶色がかった瞳に言葉が遅れた。
よく彼女に似ている。きっと子供のころはこんな感じだったはずだ。
そんなことを考えていると、
『来てくれるかなあって思ってたけど…貴方追われる身でしょう? 何してるのよこんなところで。もう。』
「、」
なんと返せばわからなくなって、言葉が止まった。
そして脳裏に1つの可能性が浮かび上がる。だがそれは、とても現実的ではない。
そんなことありえない。きっと彼女を失くした反動で、こんなバカげた妄想を繰り広げているのだ。そうに決まっている。じゃないと、
『大君、信じられないかもしれないけど…私。黒凪。』
こんなこと、ありえない。
そう考えている間にも無意識に伸びていた右手が、少女の頬をつかんで、そしてそのフードを下ろす。
赤みがかった髪が見えて、そして次に飛び出した彼女の言葉に、俺の妄想がそうではないのだと、確信した。
『ただいま。』
「……。…とりあえず中に入れ。場所を移そう。」
『あら、意外と物分かりがよくて助かったわ。』
車の後ろを通って助手席側に回ろうとしたその小さい身体を、運転席を開いて引き寄せて中に引き込んだ。
「え」と驚いたような声を漏らした彼女を助手席に座らせ、シートベルトを着けて車を走らせる。
仕事を中抜けしてきて良かったと、ふと思った。
この出来事がプライベートだったなら、きっと自分の感情は今よりもごちゃごちゃしていたことだろう。
「どうやって逃げてきた? …まあ、見当はつくが…」
『血は時間をかけて集めていけばいいものね。』
「ああ。…あれをジンが信じるかは疑問が残るがな。」
『多分ダメでしょうね。』
なんて軽く会話を交わす中で表情が自然と緩んだのがわかる。
我ながら単純だ。今まで落ち込んでいた気分が一気に持ち上がったのがわかるほどだ。
きっとしばらく彼女はFBIで事情聴取を受けるだろうが、悪いようにはされない。
あの組織に放っておくよりは随分とマシだろう。
「これからFBIの日本支部に向かうが、構わないか?」
『ええ。…でも情報に関しては期待しないでね。貴方も知っている通り私はコードネームさえも持っていない下っ端なんだし。』
「それはこちらも承知の上だ。俺もお前は保護対象だと説明してある…何せ犯罪歴もオールクリアだろうしな。」
『犯罪歴は、ね…』
「…まあ、大丈夫だ。俺たちは日本の警察じゃあないからな。」
心配せずに…。
そこまで言いかけて、すぐに車を路肩に寄せて黒凪の顔を覗き込む。
「おい、大丈夫か? どうした?」
『だ、だいくん…、服、ある…?』
「服?」
顔を真っ青にさせて胸元を抑えながら言うことが、服?
全く理解できない彼女の言動に思考停止していると、目の前で起きた信じられない光景に今度こそ言葉を失った。
体が徐々に膨らむ…というか、成長している。まるでテレビで見る成長過程のDVDを早回しで見るような光景だった。
そして子供用の服が圧迫されていき、そこでやっと彼女の言っていた意味を理解した。すぐに車の後部座席から毛布を出して、彼女の体の上にかける。
『っ、い、痛かった…。』
「…大丈夫か? 」
『ほんっとうに痛かった…』
半泣きで言う彼女を見て本気で痛かったのだろう、そんな風に思って肩をなでる。
そしてその懐かしい感触に、思わず彼女を抱きしめていた。
「…よかった…」
そんな俺に驚いたように固まっていた彼女の肩の力が抜けて、その両腕が俺の背中に回る。
その感覚に、本当に、本当に良かったと長い長い息を吐いた。
よかった。
(そういえば髪の毛、切っちゃったの?)
(…むしゃくしゃしてな)
(むしゃくしゃ!? 貴方が!?)
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