隙ありっ

□隙ありっ
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  と黒のクラッシュ


 ことが起こったのはその日の夜のことだった。
 私が看護師の服装を着てナースステーションに入れば、すぐに名簿の写真を撮っていた楠田陸道を発見した。



『――ここは患者さんが入っていい場所ではありませんよ。』

「…い、いやあスミマセン…。トイレどこかなって…思っ、て」



 不自然に楠田陸道の言葉が止まる。
 そして私の顔を凝視するこの男の目がぐらりと揺れ、



「…宮野、黒凪」



 そう呟いた瞬間、私はすっと右手を挙げた。
 途端にジョディさんが複数のFBI捜査官を引きつれ、拳銃を片手に私の隣に並ぶようにする。



「…FBIよ。両手を頭につけて跪きなさい。早く。」

「…は、はは…。宮野黒凪にFBI…ってことは、ここが水無怜奈の眠る病院ってことか…!」

「早く両手を頭に…!」

「まあそう焦るなよ…。」



 ジョディさんが構える銃を前に全く動揺する様子を見せない楠田陸道はゆっくりと自身の両手を首の後ろに持っていき、首のコルセットを取り外した。
 途端に首に巻かれているプラスチック爆弾にジョディさんたちが息を飲む中、私はすぐに爆弾につながる導線、そして楠田陸道の手に握られている爆弾のスイッチを交互に見る。
 その視線を受けて楠田陸道が一歩大きく私から遠ざかり、片手で爆弾を隠すようにした。



『…その爆弾…偽物でしょう。』

「さて、どうだろうな?」


 
 そんな言葉に構わず私がじりじりと足を伸ばせば、楠田陸道がぐいとこちらにスイッチを向けてくる。
 それを見たジョディさんが私の動きを封じるように腕を伸ばし、その腕を見て下がる。
 それを見てにやりと笑った楠田陸道が爆弾のスイッチを片手に走り出した。
 それを一旦見送り、秀一を探す。こういう時に頼りになるのは彼と…恐らくコナン君だろうから。
 やはり姿の見えない2人に目を細め、秀一のシボレーの元へと走っていけば、シボレーに乗って駐車場を出ていこうとする秀一を見つけた。
 秀一も私に気づくと助手席の扉を開き「早く来い。」と声をかけてくる。



『…ごめんなさいね、拾って貰って。』

「いや、良い。」



 そう短く会話をして乗り込んだ途端に、助手席の足元の気配に「きゃ、」と足を引っ込めれば「ご、ごめんなさい…」とコナン君がひょっこりと顔を出した。



『あらコナン君…。驚いたじゃない。』



 そんな風に真顔で言ったであろう私だが、心臓はしっかりとドキドキしている。
 ただ今は表情筋に意識を向けられるほど余裕がある状態ではない。
 病院から車に乗って逃げ出した楠田陸道を見た秀一が一気にアクセルを踏み、上半身を助手席の足元から出していたコナン君が「わっ」と私のお腹のあたりに勢いのあまり顔を埋める形になった。



「おいボウヤ…人の女に手を出すとはいい度胸だ。」

「ご、ごめんなさーい…」



 余談だが、私はナース服を着ているし多分ばっちりコナン君に下着を見られていたことだろう。
 この時コナン君は心なしか凄みが増した秀一の表情にわりと本気で怯えていたそうだが、私はそんなことには気づかず前の車に乗る楠田陸道を睨んだ。



「…それにしても、俺達を信用してるんじゃなかったか? ボウヤ。」

「信用してるよ。ただ、念のため携帯を水に沈めておいた…。それだけ。」



 そんな風に会話をするコナン君と秀一を横目に慣れた様にシボレーのグローブボックスを開き、中に入っている拳銃を持ち上げ弾倉が装てんされているか確認する。
 その様子をちらりと見た秀一の視線を受けつつ拳銃を膝に置いて徐に髪を1つにまとめながら「ごめんね」と助手席の足元から立ち上がることができないらしいコナン君に謝ってから秀一に目を向けた。



『運転代わりましょうか? 別に良いわよそれでも。』

「いや、お前に任せる。その為にお前を乗せたんだ。」

『あら。運転要員じゃなかったのね。』



 そんな風に会話を交わしながらもシボレーはどんどん楠田陸道の車へと近づき、ついには横に並んだ。
 真夜中だということもあり車が少ないのが幸いしているらしい。



『…コナン君もうしばらくそこに居てね。』



 カチャ、と拳銃のスライドを引いて運転手側、秀一の方向に体を向けて左手で体を支え右手の拳銃を運転手側の窓から楠田陸道へと向ければ秀一が窓を開けた。
 秀一は自身の前で拳銃を構える私を全く気にする事無く撃ちやすいように同じ速度で走り続けてくれている。
 銃を構える私に気が付いた楠田陸道も窓を開き拳銃を持ち上げた。



『(数発で仕留める…)』



 目を見開き、楠田陸道が拳銃を撃つ前に発砲すれば、彼の手に命中し「ぐあっ」という声と同時に車が大きく揺れる。
 危うくシボレーへと衝突しかけたそれを秀一がハンドルを切って回避すると一旦後ろに距離を取る形で回った。



『…しくじった。』

「手に当てただけ上出来だ。」

『何よ、偉そうに。』



 もう1度秀一がシボレーを楠田陸道の車へと接近させ、横に並んだと同時に大きく目を見開き、楠田陸道の肩を目掛ける。



『(利き手は潰した、もう拳銃は撃てな――)』



 途端に向けられた銃口に体が膠着する。
 楠田陸道の指先がトリガーに回り、それを見ていた秀一が私の頭をぐっと下に押し込んだ。
 そのすぐ後に響いた発砲音に振り返れば、シボレーの窓の下あたりに弾丸がめり込んでいた。



『(危ない、油断した…。)』

「…っな、赤井秀一…⁉︎」



 どうやら今ので運転席にいるのが秀一だと気づいたらしい楠田陸道の顔色が変わった。
 そしてその顔色が苦渋のものに変わると、私に向けられていた拳銃が楠田陸道本人の頭へと向かう。
 それを見ていたコナン君も秀一も目を見開き、私も楠田陸道の自害を止めようとその拳銃を構える手を狙った。
 …しかし先に鳴り響いた銃声は楠田陸道のもので。



『…チッ』

「え」



 拳銃を構えるために伸ばしていた右手を戻し、ちらりとコナン君を見れば…まあ怯えた表情で私を見ていること。
 その表情にはっとして楠田陸道の自害を受けて思わず漏れた苛立ちを隠すように拳銃をグローブボックスへと放り入れ、河川敷へと落下していった楠田陸道の車の元へと向かうためひと足先に車を出た秀一の後をコナン君と追う。



「ふむ。見事にこめかみを撃ち抜いてるな。」



 楠田陸道の遺体を確認してそう言った秀一に思わず短いため息が出た。



『…困ったわ。…明日にでも来ちゃうわね、彼等。』

「あぁ…。恐らくこの男の連絡が途切れた事に奴等が勘付くと同時にな…。」



 私の隣で黙りこくって楠田陸道を眺めるコナン君の頭に手を乗せれば、びくっとその肩を跳ねさせたのが見える。
 そしてこちらに向いたコナン君の目を見て眉を下げると秀一が小さく笑みを浮かべて言う。



「くく、さっきのお前を見ていると思い出すぜ…お前に初めて近づいたあの日を。」



 そんな秀一の言葉に「ハハハ…」なんて乾いた笑いを漏らすコナン君。
 そんな彼が密かにさっきの私を口説きに行ったであろう秀一の度胸に敬意さえ払っていたことは知る由もない。



≪――じゃあ、楠田陸道が組織に連絡を取る前に止めたられたのね? ならよかった…≫

「そういうわけにもいかんぞ、ジョディ。」



 ジョディさんに自身の声を届けるために私の携帯へと口元を近づけて秀一が言う。



「もしも楠田陸道が毎日何らかの方法で組織に報告を飛ばしていたらどうなる?」



 ジョディさんの息を飲む声が聞こえた。
 そう…組織は恐らく楠田陸道からの報告が途切れた途端に坏戸中央病院へと狙いを絞ってやってくるだろう。
 
















 まだ正直、心臓は大きく鼓動を繰り返していた。
 楠田陸道を仕留め損なう…というと聞こえが物騒だが、まさにそんな感じだった黒凪さんの見せたあの目。
 ギラギラと殺気を漏らしたあの目はまさにジンのもので…正直未だあれほど近くであの殺気を感じたことは無かったせいか、まだ心臓が大きく揺れ動いているのが分かる。



「水無怜奈を移動させるべきです! この病院には、組織とは何の関係もない人たちがいるんですよ⁉ こんな危ない目に合わせるわけには…!」

「しかし彼女の移動先も決まっていない中、昏睡状態の人間を連れ動くわけにも…。」

「じゃあ、せめて病院の人間にこのことを言って…」

「いや…、組織の目が光る中、逆に病院になんの動きもなければ病院の人間は我々とは無関係だとアピールできるかもしれません。このことは内密にしておいた方が良いのでは?」



 そんな風に議論を重ねるFBIの面々を横目に、椅子に座って考えに耽っている様子の黒凪さん。
 黒凪さんの右手はまるで拳銃を扱うように動いていて…そしてその冷たい表情に思わず目を逸らす。
 楠田陸道との一件で彼女の何かにスイッチが入ったような、そんな気がしていた。
 そしてそれはきっと赤井さんも同じで…。



「…こうなれば奴等を正面から迎え撃つ他ないでしょう。その良い方法を考えなければなりませんがね…。」



 そう静かに言った赤井さんがちらりと黒凪さんへと視線を投げた。
 そしてそのとめどなく動いている右手をぱし、と掴みとってぐいと引き寄せる。
 そこでやっと顔を上げた黒凪さんがはたと赤井さんを見上げて、ジョディさんやジェイムズさんへと視線を向けた。



『あ…ごめんなさい。私何か…?』

「ん、あぁいや…」

「…。少しこいつを連れて屋上に行ってきます。疲れているようなんでね…。」

『え? ちょ、秀一…』



 休憩がてら、こいつとも案を練っておきますよ…。組織を迎え撃つ、いい案をね。
 そう言って病室を出て行った赤井さんを見送れば、ジョディさんがジェイムズさんに目を向けて口を開いた。



「どう思います、あの2人…」

「と言うと?」

「なんだか2人とも、組織と対峙することを喜んでいるような気がして…。」

「ん、ああ…。まあ、仕方ないだろう。彼らにとって組織はすぐにでも壊滅してしまいたい宿敵…」



 赤井君も宮野君の境遇を考えると、早くその敵を討ってやりたいんだろう。
 そんなジェイムズさんの言葉に小さく首を傾げて質問を投げかける。



「黒凪さんの…敵? それって、組織の悪い人に殺されかけたっていう?」

「ああ、その話は知ってるのね…。それもあるだろうけど…。」



 そう言葉を濁したジョディさんを見てジェイムズさんを見上げれば、彼は神妙な顔でジョディさんの言葉を補足するように続けた。



「宮野君のご両親は元々町医者で、その傍らにとある研究をしていたそうだ。組織にかかわる前は仲の良い普通の家族だったらしい。」



 そんな彼女の日常を突如壊したのは組織の人間たちだ。彼女のご両親をとある研究のために雇い、組織の本部へと連れて行ったのち…宮野家は組織にその身柄を拘束され彼女、黒凪さんは…。



「組織からの訓練を受けるようになった。」

「”訓練”?」

「ああ。彼女曰く、主に人を殺す方法を何通りも訓練させられたそうだ。その内容を聞いている限り、並みのスパイや軍人よりも随分とハードなことを熟していたようだ。」



 ジェイムズさんの言葉になんとなく黒凪さんに感じた恐怖の正体を理解できたような気がした。



「彼女の境遇を想像するといたたまれないよ。自身の青春をすべて組織に捧げ、高校を卒業してからはすぐに警察学校へと入学させられた。」

「え、警察学校…⁉」

「ああ。彼女を日本警察とのパイプ…もといスパイにするためにね。」



 その言葉にがくぜんとした。
 もしも黒凪さんがまだ組織の手にいれば、今も日本警察の中に奴らのスパイがいたことになっていただなんて。



「警察学校を卒業後、彼女は爆弾処理班に配属され…その後捜査一課へと配属された。」



 警察学校時代の同級生や同僚たちのことを欺きながら、人殺しを手助けしていた彼女の心情は…とても想像できない。
 目を伏せて言ったジェイムズさんに俺自身もとても想像できそうにはなかった。どれだけの負荷が彼女1人にかかっていたことか…。



「その上、それだけのことを彼女にしていながらたった1つのミス…赤井君を組織へと招き入れた、たったそれだけのミスで殺されるかけるとは。彼女もやるせなかったことだろう。」

「…え、赤井さんを組織へと招き入れたって、」

「…5年前から2年前までの3年間だけだが、赤井君は組織にFBIのスパイとして潜入していたんだ。まずは警察官として働いている宮野君に接触するところから始め、徐々に頭角を現し…ライと言うコードネームを与えらえられるまでになってね…。」



 しかし2年前…ついに幹部の1人、ジンという男との仕事にこぎつけた時だ。
 その男さえ押さえればボスまでたどり着けると踏んで我々FBIもその集合場所で待ち伏せをしていたんだ。
 しかしその男は姿を現さなかった…。ばれたんだよ。我々の存在が…ちょっとしたミスでね…。



「じゃあ、黒凪さんはその時に…?」

「ううん。黒凪さん曰く、シュウが抜けて2年間は暗殺を仕掛けられたこともあったようだけどうまくかわし続けていたみたい。」



 最終的にそうなったように、ジンが出れば早かったんでしょうけど…組織も何故かそれまで手をこまねいていたようでね。
 シュウが組織を離れてからは警察官の仕事も辞めていたそうだから、いつ本気で殺されても仕方ないって思っていたみたいだけど…タイミングよく重要な任務の手伝いをすることになったりと、運も味方したみたいだって。



「けど今年、ついにジンが直々に動いた…。」



 結局彼女、自分の力だけでそのジンから逃げおおせてFBI…シュウの元まで逃げてきたんだけどね。
 シュウ自身もジンが動けばもう駄目だと思ったみたいだけど、流石は組織が育て上げた逸材って言うところかしら。
 特に酷い外傷もなく、ひょっこりシュウの元へやってきたみたいだから――。


 
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