隙ありっ

□隙ありっ
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  甘く冷たい宅配便


「(さて、病院に連れていくと乗せてきたはいいが…。)」



 どうしたものか。路地に車を止めてバックミラー越しに動かない神崎遥を見る。
 コンテナで傷口を見た時…すぐにその違和感に気づいた。
 血が乾き始めていたことで顕著に見えたそれは、傷口というよりも…切り口のようで。
 そう、ベルモットの変装をちぎった先のような、人工物か何かの切り口。



「…。」



 路地に車を止め、後部座席の扉を開いて…動かない神崎遥の額に手を伸ばす。
 この切り口を広げて…この人工物の下を見れば、何が出る?
 俺が探し求めたものか…?



『…ん』

「っ、」



 動きを止める。神崎遥がゆっくりと身じろいで、額に手を添えた。



『…っ〜、ぅ』

「…、」



 なんと声をかけようか迷って…。俺は、かけに出ることにした。



「…黒凪、」



 ぴくりと彼女の肩が跳ねる。
 そして彼女の視線がこちらに向きそうになったところを…肩を掴んで固定して、阻止した。



「…何も言わなくて、いい」

『…』



 一瞬で彼女が放つ空気が緊張したのが分かった。
 …ああ。彼女だ。
 彼女の意識が俺に向いているのが分かる。どう切り抜けようか、考えているのが、分かる…。



「…頭が痛むのは、分かる。…けど、少しだけ聞いてほしい。」

『……』



 彼女の肩の力が抜ける。
 そして何も言わずこちらの言葉を待つようにした彼女に甘えて、続けさせてもらうことにした。



「小学生のころ…エレーナ先生と急にどこかへ引っ越していって…それからずっと探していた。…まあ、同じことを警察学校で言ったけど…。」



 警察学校で再会した時は、信じられなかった。…何より君がまるで別人みたいになってて…確信が持てなかった。
 …けど。萩原や松田を命がけで守る君を見て…そして、組織で見かけて…確信した。
 君が、ずっと探していた宮野黒凪ちゃんだって。
 声が震える。ずっと、伝えたかったんだ。ずっと…。



「俺は、この瞬間のためにずっと頑張ってきたんだ。…だからもう、これ以上なんて言わないでくれ…。頼む…。」



 沈黙が落ちる。自分の腕を見た。震えていた。
 彼女の肩を固定していた震える手を放して、距離を取る。
 …彼女が、神崎遥がゆっくりと身体を起こして、額を抑えて背もたれにもたれかかった。



『…今まで…ごめんなさい。レイ君。』



 その言葉に、緊張が一気に解けたのが分かった。
 ああ、俺は…怖かったんだ。また彼女に拒否されたらどうしよう、と。



『ずっと私を助けようとしてくれていたのに、無下に扱って…ごめんなさい。』



 改めて神崎遥の顔を見る。
 その顔は彼女のものではない。けど…表情は、彼女のもので。



『…改めて話をしましょうか、レイ君。…もし必要なら…諸伏君もこの場に呼んでくれて構わない。』



 俺は、柄にもなく…泣きそうになった。































 信じられない気持ちでいっぱいだった。
 宮野さんが、俺たちと話をしたいだって?
 本当なのか? ゼロ…。



「…ゼロ、」



 そうして指定された場所にたどり着いてゼロの車へと向かえば…血だらけの脱脂綿を車内に散乱させて宮野さんの額の傷の応急処置をしているゼロを見つけた。



「ヒロ、悪い…言ってた消毒液と絆創膏はあるか?」

「あ、ああ。ここに…。」

「助かる。」



 血を吸って赤く染まった脱脂綿をどけるゼロ。
 その傷口を覗き込めば、きれいにぱっくりと切れていた。



『諸伏君もごめんね、迷惑ばかりで…。』

「ぃ、や…」

「…さっきから謝ってばかりだな…、」



 眉を下げて呆れたように言うゼロと、そんなゼロにムッとする宮野さん。
 そんな2人を見て、なぜか一周回って気持ちが落ち着いた。
 そして、きっと…本来の宮野さんとして俺と話すのは初めてだからだろうか、宮野さんを前になんだか不思議な気分だった。



「…よし、これで良いだろう。」

『ありがとう。』



 ゼロが張り付けた絆創膏を抑えてそうお礼を言った宮野さんが改めてこちらに、俺に目を向ける。
 ゼロは散乱した脱脂綿やらを片し始めていた。



「…宮野さん、なんだよな。」

『…うん。今までご迷惑をおかけしました。』



 頭を下げて言った宮野さんになんと返していいか、本気で分からなかった。
 俺が知る黒凪さんはずっと無表情で、ロボットみたいで…。
 何を考えているのか分からなくて。こんなやわらかい表情なんて、それこそライにだけ…。



「中に入れ、ヒロ。誰かに聞かれるとまずい…。」

「あ、あぁ…」



 そうして俺が助手席、ゼロが運転席…そして後部座席に宮野さんが座った。



「まず、黒凪…。今は話せることだけを教えてくれればそれでいい。」

『…まあ、貴方なら…私が話さなくともいずれ自分でたどり着くことばかりでしょうけど。』

「なら、全部ここで話すか?」

『ううん。…様々な人の、様々な事情が絡み合っていることもあるから私の独断では話せないことが沢山ある。こんなことを言って信じてもらえるか分からないけど…志保にも、貴方たちのことはギリギリまで隠していたの。』



 志保…宮野さんの妹の、シェリーか。
 ゼロに目を向ければ、宮野さんのそんな回答は予想の範囲内だったのだろう、動じた様子もなくこちらを見て小さく頷いた。



「…なら、ここで聞くのは黒凪のことだけにしておく。」

『…ありがとう。』

「今、誰かの助けを得られているか?」

『…ええ。』



 その額の傷を見せられる相手…協力者はいるか?
 そんなゼロの問いにもまた「ええ」と宮野さんが答える。



「…俺たち公安に、身をゆだねるつもりは?」

『…正直、迷ってる。』

「…何故?」

『…。…危険が、伴うから。』



 その人が危険に晒されることが分かっていて…とても頼る気にはなれないから。
 あなた達2人とも、私にとっては大切な人たちだから。
 FBIから離脱したのも、同じ理由…。
 俺たちの反論を恐れてか、宮野さんがぽつり、ぽつりと補足するように言う。



『私の協力者は皆、いわば同じ穴の狢なの。だから不可抗力だと割り切れているかもしれない。』

「…そう、か。」



 ゼロも俺も重々承知している。
 あの組織にはまだまだ謎があること。正直、俺たちもまだ組織が何のために存在しているのか…。
 その真の目的は何なのか、何もつかめてはいない。
 黒い噂もたくさんある。現実のことなのか、信じられないようなことも聞く。
 そして間違いなくこの人は…宮野さんは、その中枢にいくらか接していて、それが故に命を狙われている。



「(ゼロ、どうする…?)」



 ゼロとの過去の会話を思い返す。
 共に組織に侵入することになって、幹部に上り詰めて…宮野さんと組織で顔を合わせて。
 それを受けたゼロから初めて彼女について詳しく聞いた、あの日のことを…。



《本当に黒の組織のメンバーとして堕ちてしまったなら、公安として逮捕することも辞さない。…だが、もしも…もしも、彼女が俺の知る黒凪なら。》



 俺は黒凪を、公安で保護したい。
 協力してくれないか? ヒロ。
 …それからゼロの願いをかなえるために必死に宮野さんとの接触を図った。
 彼女は警察学校にもいた。こちらの正体はばれている。
 玉砕覚悟で、公安への保護の提案も何度もした。それでも断られ続けていた。
 …彼女が俺たちの誘いを断る理由に、やっとたどり着いた今…ゼロ。お前は一体どうしたい…?



「…。分かった。」

『…』



 ぎし、とゼロが肘置きに体重をかけて後部座席を覗き込み…宮野さんとゼロの視線が交わった。



「黒凪が俺たちを信頼できるように、手を尽くす。それを見ていてくれ。」

『…レイ君…』

「それから吟味して…決めてくれればいい。」



 ゼロがシフトレバーを握り、ドライブに入れて車を発進させる。
 その行き先が神崎遥が住む工藤宅へと向かっていることに気づいた俺は、何も言わずシートベルトを締めた。



「(…それでいいんだな、ゼロ。)」

「(…ああ)」



 視線だけでそう会話を交わして…工藤宅の手前で車を止めたゼロがバックミラー越しに宮野さんへと目を向けた。



「トランクにジャケットが入ってる。顔を隠すのに使ってくれ。」

『…ありがとう。』

「ああ。」



 ジャケットを頭からかぶり、車を出た宮野さんが一度振り返り、俺とゼロで二人して片手を挙げて答えた。
 そうして中へと入っていった宮野さんを見送って、ゼロがへなへなとハンドルにもたれかかる。
 


「…悪い、ヒロ。ちょっとだけ待ってくれな…。」

「…いいよ。待つよ。…俺たち同期はみんな慣れてる。」



 そんな俺の冗談に「はは、」とゼロが笑みをこぼした。


































「――お姉ちゃんっ…!」

『ご、ごめんね志保…。あ、泣いた? ごめんごめん…』



 玄関へと駆け付ければ、おろおろと志保を慰める黒凪を見つけて心底ほっとした。
 思えば最近、よく志保を慰める黒凪を見るように思う。



「か、帰ってこないから僕もうダメかと…。」



 俺に続いて玄関にやってきたコナン君も顔を青くさせてそう言えば、黒凪が困ったような顔をコナン君にも向けた。



『まあ、ダメということはないけど…しっかり正体はばれちゃったんだけどね…』

「でも戻ってこられたってことは、」

『うん、理解は得られたって感じ…?』



 そこまでを聞いて、あのベルツリー急行でのバーボンとスコッチを思い返す。
 あの状況下でもあれだけ黒凪を保護しようと必死だった彼らだ…俺は正直無理にでも彼女を奪い去ってしまうのではないかと内心不安で仕方がなかった。



『…昴、』

「…よかった」



 志保の驚いたような目が俺を射抜く。
 沖矢昴である今は…こんなふうに彼女を抱きしめるべきではないのは分かっている。
 だが今回ぐらいは許してほしい。本気で心配したんだ、俺も…。
 それが分かってか、黒凪も眉を下げて俺の背中をぽんぽんと撫でる。















「――ゼロ、」

「ん?」



 先ほど工藤鄭の傍に宮野さん…いや、黒凪を降ろして車で走ること、約10分。
 ずっとぼうっとどこかを眺めていた様子のヒロが口を開いた。
 信号で車を止め、ちらりと助手席に乗るヒロを見れば、ヒロと目が合う。



「いや、ホントなんとなく思ったんだけどさ…」

「うん。」

「宮野さんを執拗に追いかける理由を聞いてなかったな、って。まあ…小学生の時に仲良かったのは知ってるけど。」

「…、」



 ゼロと同じく外国の血が混ざってるから?
 孤立してたゼロを助けてくれたから?
 それとも…好きなの?
 なんと答えていいか分からず沈黙を落とした俺に助け舟を出すようにそう、何度か自信が思う候補をあげていくヒロ。
 信号が変わり、アクセルに足を乗せて車を発進させる。



「…好き、か。そうなのかもな…。」

「!」



 ヒロが少しだけ驚いたような顔をした。
 そう言えばこういう話を面と向かって話すのは初めてかもな。
 学生時代に…確か松田にはそれとなく話したことがあったかもしれないけど。



「俺が黒凪のことで一番覚えているのは、ガイジンってからかわれていつも暴れてた俺の手を、なんてことないように掴んで一緒に歩いてくれたこと。」



 彼女にとっては本当に特別なことでもなんでもないんだろう。…けど。だけど。
 黒凪は俺に居場所をくれたんだ。学校にいる全員が自分を傷つける敵だと思っていた、あの頃。
 俺が一番望んでいたものを、一番にくれたんだ。



「…嬉しかった。俺を “ガイジン” じゃなくて、俺として見てくれたんだ。」

「ゼロ…」

「…中学でヒロが俺にやってくれたことだよ。」

「…いや、ゼロが独りになりがちだった僕に声をかけてくれたんじゃないか。あれがなかったら、僕は今頃…」



 あの時は…なんだかヒロが昔の俺に見えて。
 黒凪がやってくれたように、助けたくなった。
 …突然俺の元を去った彼女を忘れたくなくて、思い出の通りに動いてみただけだ。



「はは。それが本当なら、宮野さんは僕の恩人でもあるってことかな。…ま、もう十分命の恩人だけど。」

「…そうだな。組織でヒロがスパイだと疑われた時は本当に、肝が冷えた…」

「うん…」



 けど、その時も彼女は、黒凪は俺を…俺たちを救ってくれた。
 そんな俺の言葉にまたヒロが「うん」と頷く。
 そこまで言ったところで、じんわりと、やっと実感が湧いてきたような気がした。
 ああ、やっと、少しだけでも戻れたのかな。あの頃に…。



 Bourbon.


 (なあ、宮野黒凪。)
 (もしあんたが…俺の知る黒凪じゃないのなら。)

 (どうして公安である俺と、ヒロの正体を組織に黙っている?)
 (教えてくれ。どうして…。)
 (関係ないと、俺のことなど知らないというのなら。)
 (どうして。)


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