隙ありっ
□隙ありっ
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現場の隣人は元カレ
「――灰原、ちょっといいか?」
「ええ、分かってるわよ…。お姉ちゃんのことね。」
元太、光彦、そして歩美と別れたあとにそう声をかければ、灰原は分かっていたように頷いて俺に向き直った。
「まず…お姉ちゃんが警察に潜入していた話は水無怜奈との一件の時に聞いたんでしょ?」
「ああ。でもあのあだ名については…」
「あだ名に関しては私も初めて聞いたわ。ミス・パーフェクトなんてあだ名がつくぐらいには優秀だったのは、容易に想像がつくけど。」
それには俺も同意する。組織で様々な教育を受けていた人だから…そりゃあ、並みの人から見れば “パーフェクト” だろう。
「私たちにそのことを黙っていたのは…きっと、お姉ちゃんのことだからあまりあだ名を気に入っていなかったからじゃないかしら。」
「確かに黒凪さんなら、裏切りものである自分が “パーフェクト” を名乗るなんて耐えられなかっただろうしな…。」
「でも…彼女、由美さんが言うようにあの羽田っていう男とお姉ちゃんが似ているっていうのには反対。全然似てない。」
「そうか? 俺はまあ…由美さんが言ってる意味も分からなくはなかったぜ?」
はあ? と灰原の呆れたような視線が俺を射抜く。
まあ、姉妹からすれば全然似ていないように思うのも分かるが…。
「穏やかそうな顔と雰囲気なのに、どこかつかみどころがない感じも似てるし…。言われてみれば、顔のパーツはそれぞれ違えど、全体の雰囲気とか…。」
「似てない。」
「ま、まあおめーがそういうならそうかもしれねーけど…」
「…まあ、由美さんが言うように親戚かもしれないっていう可能性も、0ではないけど。」
灰原の言葉に「え?」と振り返れば、灰原は過去を思い返すように右上へと視線を向けた。
「とはいっても、私は両親の親戚に関してはからっきしだし…お姉ちゃんに聞いた方が良いわよ。教えてくれるか分からないけど…」
「え、隠したい理由でもあるのか?」
「そうじゃなくて、お姉ちゃんが単純に両親の話をあまりしたがらないから…。」
ざあ、と風が吹く。
風に吹かれて揺れた髪を抑えながら、灰原が目を伏せて言った。
「お姉ちゃん、昔よく言っていたから…。お母さんとお父さんが組織に協力さえしなければ、私たちはきっと平凡な日々を送ることが出来ていたはずだって。」
「…、」
「組織に捕まってからはほとんど会うこともなく…いつの間にか亡くなっていたようだし。きっとお姉ちゃん、2人のことをある種恨んでる…。」
「…そっか。そうだよな。」
改めて思う。
同期を、同僚たちを騙し続け…ただ妹の為だけに自分を殺して生きていたあの頃の黒凪さんは、どうやって自分を保ち続けていたのか、と。
彼女の心境を考えると、到底俺が想像できるものではないだろうが…。
「…もしもし、母さん?」
≪――なんだ? 珍しいな、お前から電話とは。≫
アパートに戻り、扉を閉じて目を伏せる。
確かに、母に連絡を取らなくなってどれぐらい経っただろうか。
由美タンにそうしていたように、最近はずっと将棋のことばかり考えていた所為で誰とも連絡を取っていなかったからな…。
「母さん、昔母さんの妹だって人と電話してなかった? ほら…僕が10歳か11歳のころ…丁度イギリスから日本に移住する前。」
≪ああ…よく覚えているな。それがどうした?≫
「その妹さんの…結婚後の苗字は?」
≪…宮野だ。≫
母の言葉に息を呑んだ。
ああ、やっぱり。昔見た母とその妹さんの写真を覚えていたからピンと来たんだ――。
由美タンの携帯の画面に映った彼女の雰囲気が、母の妹さんにそっくりだったから。
「その宮野さん、今は?」
≪さあな…。どこかで生きて暮らしているんじゃないか?≫
「そんないい加減な…」
≪お前が気にするべきことではない。それより将棋に集中しろ。≫
ブツッと切られた通話に息を吐いて携帯を見下ろした。
僕が将棋に集中していることもあるが、母は長らく僕と会ってもくれない。
何かを隠されているのは分かっている。そしてそれはきっと、僕の為だということも。
でも…。
「…。」
由美タンの携帯の画面に映った彼女の姿が脳裏にこびりついて離れない。
携帯を耳に押し当てて、何かを話している風な彼女の目は暗く、冷たく――世界に絶望しているような。
そんな暗い瞳を僕は以前…見たことがある。
《日本に逃げる――。》
《え?》
《この国(イギリス)にはもう、いられない。》
そうだ。父さんがいなくなった後の、母の目だ。
大切な存在をなくし…絶望しているのに、素直にその場で泣けない。そんな悲しい目だ。
誰かのために必死に立ち上がり続けるけれど、もう限界を超えている…そんな目なんだ。
佐藤美和子
(初めまして、佐藤です。よろしくお願いします。)
(宮野です。お願いいたします。)
(この人が噂のミス・パーフェクト…)
(そう心に留めながらの初対面は、思っていたよりも無難なものだった。)
(だけどすぐに共に捜査を熟す中で彼女のあだ名の意味を再認識した。)
(何事にも動じない。ミスも起こさない。)
(その様はまさに、ミス・パーフェクト。)
(時折この人が本当に自分と同じ人間なのかと疑ってしまうほどに…)
(彼女は完璧な存在だった。)
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