Long Stories

□蓮華の儚さよ
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 北米支部・アルマ=カルマ編



 黒凪が北米支部へ送られてから数か月後の事。
 北米支部へと集まっていた科学者達は視線の先にあるものに言葉を失い、その中でも本部の人間は溢れる激情をどうにかその心内に仕舞いこんでいる最中であった。



「そんなに遠くから覗き込まずとも何も致しませんわ。彼女の意識は絶ってあります」

「……ジョニー。」

「み、見れません…!」



 首を横に勢いよく降るジョニーに眉を下げ、苦しげにリーバーが視線を戻す。
 黒凪・カルマ。アクマ卵殻との融合に唯一成功した母胎ですわ。
 レニーの言葉にリーバーが拳を強く握りしめる。



「今回開発されたサードエクソシスト5名には彼女の細胞が使用されています。」

「死亡してからだと融合が無理だから、生きてる間に秘密裏に実験に使ったんだってね。」

「ええ。彼女から了承も受けていましたから。」

「ふーん。…それを僕等を含め本部は隠されてたわけだ?」



 他の支部からの科学者達が本部から来ているリーバーやジョニーに目を向けた。
 中央庁も見境がないね、わりと使えてたエクソシストだったらしいし。
 そんな言葉を聞きながらジョニーが声を絞り出すようにして言った。



「なんで…なんで黒凪なんだよ…!」

「"なんで"?愚問だね。彼女がセカンドエクソシストだからさ。」

「…え…?」

「セカンドエクソシストも知らないのかい?9年前に教団が作った人造使徒だよ」



 普通の人間では卵殻と融合した途端に身体が壊死してしまいます。しかしセカンドエクソシストであればそれはまた別。
 だからこそ彼女にこの実験の協力を要請し、彼女自身も己の寿命に見切りをつけていた為に協力したと聞いていますわ。
 寿命…?寿命ってなんだよ…。
 そう呟いたジョニーの目から涙がぼろぼろと零れだす。



「あんなに元気だったじゃないか…!神田と一緒にご飯を食べて、任務にだって行って…!」



 教団を襲撃された時だって僕等を護ってくれたのに。
 ジョニー、とリーバーが耐え切れない様に名前を呼んだ。
 すると研究所の入り口からバクと1人の老人、ズゥが姿を見せた。
 レニーはズゥの姿に驚いた様に目を見張り、昏睡状態の黒凪へ近付いて行く彼を少し眉を寄せて見る。



「退いてくれ、黒凪と話がしたい…!」

「ですがズゥ先生…」

「少しだけだろう。話をさせてやってくれ」

「…黒凪、お主は教団でエクソシストとして生きる事が出来ていた筈だ、何故この計画を受け入れた…!」



 話しかけても無駄ですよ。
 掛けられた声にバクやズゥが振り返る。
 そこには部下と共に立つルベリエが居た。



「昏睡状態に入ってから彼女は一度も目覚めていません。」

「マルコム…!何故黒凪をこんなにする前に一言知らせなんだ…!」

「サードエクソシストの計画の導入の為、彼女には教団の道具となって頂きます。…などと言って、貴方は承諾してくださりましたか?」



 ズゥが歯を食いしばる。リーバーやジョニーも同じような反応をした。
 …9年前にセカンドエクソシストの計画の指揮を執っていたチャン家、そしてエプスタイン家。
 両家は当時のご当主を黒凪・カルマによって惨殺されていますね。



「此方としては気を遣ったつもりなのですよ。元々そんな彼女をエクソシストとして雇った事にも少し後ろめたい気持ちがありましたし?」

「(黒凪が人を殺した…?)」



 ジョニーが渡された資料に目を向け、黒凪が関係者46名を皆殺しにしたという記述を見つけた。
 せめて神田ユウには知らせてやる慈悲も無かったのか。
 ズゥの言葉に「慈悲?」と訊き返してルベリエが呆れた様に息を吐いた。



「そもそも彼女は神田ユウの身代わりになったに過ぎないのですよ」

「何…!?」

「元々この実験に耐えうる肉体を持つ可能性が最も高いのがセカンドエクソシストでした。」



 しかし神田ユウ、黒凪・カルマ両名はエクソシストとして高い実力を持ち任務の成功率も他のエクソシストと比べて随分と高い。
 あまりこのように彼女を使いたくはなかったのですがね…。
 では何故黒凪・カルマをこの実験に使った!
 バクの言葉にルベリエの目がちらりと黒凪に向いた。



「ガタが来ていたのですよ。もうすでに再生能力も大幅に落ち、戦闘要員としてはあまり使えないほどに衰弱していました」

「(衰弱…?…黒凪が…?)」

「その上9年前の惨殺事件…。この2つの事を彼女に話せば彼女は喜んで協力を申し出ましたよ。」



 神田ユウが実験の犠牲になるぐらいなら自分が。…教団への負い目もある、とね。
 無表情に言ったルベリエをバクが睨み付けた。
 神田ユウを引き合いに出したのか…!
 その悔しげな声に「それが何か?」とルベリエが言った。



「…それじゃあ黒凪は神田の為にこうなった…?」

「…そうなりますね。」

「神田はその事を知らない…。黒凪も、神田に何も気付かれる事無く、」



 ジョニーの涙が床に落ちていく。
 可哀相だよ、こんなの、…こんなの…!
 そう言って泣き崩れたジョニーの背中をリーバーが擦ってやる。
 …ジョニーの悲痛な叫びも黒凪の元には何一つ届いて等いなかった。

































 ――…目を開く。
 蓮華が沢山咲いた池の畔に立っていた。
 じっと蓮華を見ていると視界の隅に人影がある事に気付く。
 目を向ければ背を向けていたその人がゆっくりと振り返った。



『――!』



 見覚えのあるその姿に一瞬目を見開いて、そして笑顔を見せる。
 ゆっくりと近付いて彼女の顔を覗き込むとその場に腰を下ろした。
 顔を上げれば無表情の彼女の目も此方に向いている。



『少し話さない?』

「……。」



 彼女は何も言わず少し離れた隣に腰を下ろした。
 2人で黙って蓮華を見る。
 徐に黒凪が口を開いた。



『ユウの事、好き?』

「…そんな名前じゃないわ」

『…』

「でも、…思い出せないの」



 両手で顔を覆って言った彼女に眉を下げる。
 私の名前も、彼の名前も。
 どう呼び合っていたのか、彼がどんな姿をしていたのか。
 私自身がどうやって死んだのか。



「ただ覚えているのは…愛していたという記憶だけ」

『……』



 だから余計にその記憶に執着するのだろう。
 だから余計に、…彼を私に奪われたくないのだろう。
 …でも本当は分かってるの、そんな彼女の声に顔を上げた。



「あの頃の彼はもういない。…今の私の様に、他の人間として今を生きてる」

『…そんな事無いですよ』

「いいえ、そうなの。…あの子は今、彼に囚われてるだけなのよ」



 貴方の様に。
 目を向けて放たれた言葉に思わず言葉を失った。
 貴方は私に囚われて、貴方自身の感情をあの子に伝えられずにいる。



「あの子も同じ。…彼に囚われている所為で、私を探し続ける事を止められないでいる」

『……』

「私もそれに甘えて探され続ける事を望んでしまった」



 全く困った人達よね。
 眉を下げた彼女は黒凪の目を真っ直ぐと見て言った。
 蓮華の花が風に揺られて少し動く。
 揺れる水面に彼女の目が向けられた。



「…私と彼は、昔から似た者同士だったの」

『似た者同士…』

「ええ。…だからかなぁ、私と彼は貴方達に同じ様な事をして、…きっと同じ事で悩んでると思うの。」



 きっと彼も私と同じように、いい加減に自由にしてあげるべきじゃないかって思っていると思うの。
 その言葉を聞いた黒凪は目を伏せた。



『…自由になっても、ユウは貴方を好きなままですよ』

「それはどうして?」

『…ユウはきっと、』



 顔を上げて、言葉を思わず止める。
 きっと。…その先を口に出したくなかった。
 きっと、きっと。



『…きっと私の事なんて、好きになってくれない』

「…。」

『私は貴方みたいに可愛くないし、貴方みたいに女性らしくもない』



 それに私は、
 ぎゅっと拳を握って涙で歪んだ視界に眉を下げた。
 頬を温かい涙が、伝う。



『貴方に会いたいと叫ぶユウを見てる。…前世で結ばれた人と結ばれるべきだよ』

「…勘違いしてるわ。あの子は彼じゃない」

『でも、』

「でもじゃないの。…もう彼は居ない。私も居ない。」



 前世で結ばれた2人はもういない。
 今存在しているのは黒凪・カルマと神田ユウと言う人間よ。
 そう言いながら彼女が此方に近付いてくる。
 いい?そう言って彼女が黒凪の両肩を掴んだ。



「貴方はあの子が好きなんでしょう?」

『…う、ん』

「だったら気持ちを素直に伝えなさい。まだ間に合う。…貴方も彼も、まだ生きているんだから」



 …でも此処から出る方法何て分からないし…。多分私はもう、半アクマ化とかしちゃってると思うんだよねえ。 
 困った様に眉を下げて黒凪が言った。
 折角ユウに言いたい事を言えるようになったのに。…本当、運が悪いよ。
 そう言った途端に水面に大きな波紋が浮かび、世界が歪んでいく。



「…これは…?」

『ノアが私を起こそうとしてるんじゃないかな。でも出来ないみたいだね。』



 黒凪が見上げる空の先。
 意識の無い黒凪を唖然と見つめる神田は周りに見える無数の蓮華の花に微かに目を見開いた。
 ――初めまして。懐かしい声が神田の頭の中で響く。



《初めまして。貴方の名前はユウ、だってさ》

《私?…私は黒凪。》

「…黒凪、」



 震えた声が部屋に響く。
 ノアに操られて身動きの取れない科学者の中に居るバクやズゥ、ジョニー、リーバーが息を飲んだ。
 何してるんだお前。…おい。
 力なく黒凪と己を隔てるガラスを神田が叩いた。



「確か君はさ、教団に黒凪・カルマは北米支部に治療の為に連れていかれるって言われたんだよねえ?」

「……」

「でもそれは真っ赤な嘘だったんだよぉ。そこに居る黒凪はサードエクソシストの実験の為に生きたままアクマと融合させられた。」



 千年伯爵と共に居るロードの言葉に神田の目がゆっくりと部屋の壁に並んで立たされているレニーに向けられた。
 少し前に他のノア達と共に方舟で同じ部屋に現れていたアレンも神田と共に唖然とリーバー達に目を向ける。
 ねえ、目覚めさせたくなあい?
 ロードの言葉に神田がぴくりと反応を示す。



「…、神田。よく分かりませんが、ノアの言葉は信じちゃ駄目です」

「どうして君に内緒でこんな実験に参加しちゃったのか聞きたくない?…あんなに強かった黒凪が強制的にこんな実験に参加せられる筈無いもんねぇ」

「神田、」

「…あ、そうだこれも君に伝えておかなきゃ♪」



 黒凪はね、本部から連れ出される前…。
 ロードが千年伯爵の肩から降りて神田とアレンに近付いて行く。
 神田の目がゆっくりと黒凪に向けられた。
 …最後にユウに会いたいって言ったんだよぉ。
 大きく見開かれる神田とアレンの目。それを見たワイズリーがにやりと笑って片手を神田達に向ける。



「ねえ、黒凪に会いたいでしょお?会いたいよねぇ?」

「……あぁ」

「神田…!」

「ならば神田ユウ、お主の脳を使わせて貰うぞ…!」



 ワイズリーのそんな声が響き、アレン、神田、ロードを巻きこんで彼の能力が発動される。
 そして次にアレンが目を覚ました場所は何処かのボイラー室の様な場所。
 地面には奇妙な色の液体が入った池の様なものがある。



『聞こえてる?』

「…え」

『聞こえてるなら片手をあげてよ。ほら、こんな風に。』



 そう言って片手をあげて見せる少女にアレンが大きく目を見開いた。
 少女の顔には見覚えがある。まだ子供だが、その姿は黒凪によく似ていた。
 アレンはとりあえず彼女の言う通りに片手をあげてみる。
 少女はその様子をじーっと見ると困った様に眉を下げてアレンに目もくれず彼の真後ろにある池の様なものに手を伸ばした。



『おいで。』

「(あ、僕に言ってたんじゃないんだ…?)」

『初めまして。貴方の名前はユウ、だってさ』

「…え」



 ユウ。神田は何処だと探していたアレンの耳に届いたその名前に彼は勢いよく振り返った。
 私?と少女が液体の中から出て来た指先が自分を指差している事にそう訊き返すと小さく笑って口を開く。




 私は黒凪


 (差し出された小さな手を掴む。)
 (そうして引き上げられた少年は)
 (悲しそうに笑う少女に小さく首を傾げるのだった。)


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