Long Stories
□世界は君を救えるか
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烏森への一歩
とある日の夜のこと。
大雨の中、念糸を使って己の二倍ほどある身長を持つ翡葉の頭上に傘を差しながら黒凪は目の前の烏森に目を向けた。
『…うん、此処だね。』
「ああ。…傘は必要ない、自分に差せ。」
『あんたが風邪でも引いたらどうするの。』
「アイツも同じ事してんだろ。自分の弟子の方を気にかけろよ。」
あれ、そう言えば何処行ったのあの子。
と周りを見渡した黒凪は家の屋根の上を走っている限を見ると「おいで」と声を掛けた。
ちら、と黒凪に目を向けた限は特に何も発する事無く屋根から地面に降り立つ。
「…なんだ」
『傘はどうしたの?』
「置いてきた。」
『…あんたはちびっちょいから濡れないかもしれないけれど。』
じと、と睨んでくる限を見た黒凪は「冗談だよ」と手を振った。
そして改めて翡葉の隣で烏森に目を向ける。
目を細めた翡葉は蠢く蔦を抑えるように右手で左肩を掴み、限も目を細めた。
「…聞いていた通りの力だな」
『まあ、此処は神佑地の中でも指折りの場所だからね。』
「いいか。お前が胸に刻むべき言葉は只1つ。…己を律せよ、だ。」
己を見下ろしてそう言った翡葉に「はい」と返した限。
黒凪は聳え立つ校舎から、徐にその地面に目を落とした。
そして頭に響く声に心の中でだけ、こう返す。
「思った通りだった」「懐かしい」「おかえり…」「おかえり」
『(…ただいま)』
頭の中に、嬉しそうな笑い声が返ってきた。
次の日。
転校の手続きや学校内の簡単な説明を聞き終わった転入生、志々尾限と間黒凪は揃って私立烏森学園の学生服を身にまとい担当教師の後に続いて教室へと向かっていた。
『調べていたんだけれど、転入生が同じクラスに入るのは珍しいんだって。』
「…」
『正守君のおかげだろうね。』
「…そうだな」
目を逸らして返事をする限を見た黒凪。
彼はそんな黒凪にようやくちらりと視線だけを投げると、ようやくたどり着いた教室に目を向ける。
任務が終わるまで、私たちはこの学校の生徒として生活を送ることとなる…。
2人揃って教室へ入った。
そうしてそのまま何の変哲もない中学生としての生活を学校で送る黒凪。
黒凪の隣に限が座っているが、こちらは実は黒凪の式神だったりする。
先ほどの授業と授業の間の休み時間から限が教室に戻ってこなかったため仕方なく黒凪が作ったものだ。
『(さっき微量だけれど限が邪気を出していたし、何かしているんだろうけど…)』
そんなことを考えながらゆったりと椅子に凭れ掛かり天井を見上げている黒凪。
そんな彼女はふと目の端に入った屋根の上を走る限に目を向けた。
そしてそのあとを追跡する少年を見ると、徐に手を挙げる。
『先生、お手洗いに行っても良いでしょうか?』
「ん? ああ、どうぞ。」
『ありがとうございます。』
のちに知ることだが、授業中にお手洗いに立つことは普通の学生たちにはとても勇気のいることなのだとか。
初めての学校なもので、そんなことを知らない黒凪はほかの学生たちの不思議気な視線の中教室を出ていく。
そしてすぐに式神を召喚し、自分の代わりに頃合いを見て授業に戻るように指示をしておいた。
『(珍しい、あの子がこんな挑発めいた行動を起こすなんて。)』
結界を足場に屋上へたどり着くと丁度限が少年の結界を破った瞬間を目撃する。
焦ったように構えていた右手を崩した少年の掌にある方印を見た黒凪は小さく笑みを浮かべた。
『(なるほどこの子が墨村の…)』
「お、お前…一体」
『(おおっとそれよりも。) ―――こら、限。』
がす、と黒凪の結界が限の後頭部に直撃した。
しかし限は倒れる事無く踏み止まり無表情のまま黒凪を見上げる。
そんな限を睨んでいた少年の目が黒凪に向かい、その目がさらに見開かれた。
一方で黒凪は限の隣に着地し、途端に屋上の扉を勢いよく開けて現れた高等部の制服を身につけた女学生に目を向ける。
「良守!?」
「と、時音…」
『(となるとこの子が雪村かな。)』
このままではいけない、相手が困っている。
そう思って彼らに自己紹介をと口を開きかけた黒凪だったがそれよりも先に限が黒凪にちらりと目を向けて言った。
「拍子抜けだった。」
『…。そりゃあ、私と比べると部が悪いと思うよ。』
「それを考慮に入れても、酷い。」
ばっさりと「酷い」という評価を叩きつけた限。
一方の叩きつけられた側はいまだ困惑の表情で2人を睨んでいる。
それを見て黒凪は今度こそと頭を下げて口を開いた。
『驚かせてごめんね。私は裏会実行部隊所属の間黒凪です。この子は…』
「…裏会実行部隊所属、志々尾限」
『正守君から聞いているかな? 今回は烏森の警護と君たち結界師の補佐として派遣されました。』
よろしくね、と言う黒凪の言葉と共に限が目を細める。
そしてそのままこちらを唖然と睨むばかりの良守を見て、嫌味に言った。
「お前は本当にあの人の弟か?」
『まあまあ、この子たちはきっとこれからだから。』
黒凪のフォローもむなしく、限の言葉がひっかかったらしい良守はぐっと眉を寄せ、困惑の表情を浮かべた。
確かに。
(この子たちなら好かれるだろうなあ。)
(それにしても、我が父ながら)
(意地の悪いことをする。)
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