Long Stories

□世界は君を救えるか
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  黒芒楼への一歩


『限』

「…ごめん」



 京に送ってもらってアパートに戻ると、限はそれはもう凄い落ち込みようで
 服などの身の回りの物を片付けていた。
 もう一度彼の名前を呼んで目の前にしゃがむと、
 やっと彼の沈み切った様子を映す両目が黒凪を映す。



『限。もし何か納得していないことがあるならちゃんと正守君に言いなさいね。』

「…それは、分かってる。頭領なら俺の話を聞いてくれることも。…でも多分」

『もう無理だって?…あんたが一番適任なのに。』

「違う。」



 俺じゃない。
 そう断言するように言った限に眉を下げる。



『誰がそう言ったの? …あんたは賢いんだから、それが妬みで出た言葉かそうじゃないかぐらいは分かるよね。』

「…でも、皆言ってる。頭領の実家に派遣してもらうなんて名誉、なんで俺みたいな奴が、って」



 力の制御も、人付き合いもまだまだ未熟で迷惑ばかり。
 妖混じりとして高い実力があったって、集団行動がからっきしなら、それはタダの愚図…。
 そんな俺は、折角頭領に目をかけて貰って派遣されたこの任務でも
 結界師の警護、補佐さえもまともに出来ない。



「1人で先走って、お前だって…ロクにサポート出来なかった。あんなにボロボロになってたのさえ気づいてなかった。」



 お前があんなになるなんて思ってなかった。
 そんな俺の勝手な思い込みで、お前を危険に晒した。



「…正直、その失態が一番自分を許せない。」

『限…』

「閃にも、翡葉さんにも…もう黒凪を傷つけないってあの日、誓ったのに。」



 あの日…俺が初めて夜行で完全変化をしてしまった、あの日。
 目が覚めると俺を見て黒凪が嬉しそうに笑ってくれた。
 しかし黒凪が居なくなって、翡葉さんがやってきて…全てを教えてくれた。
 俺が黒凪を傷つけたこと、一度その命を奪ったこと。
 俺の所為で、黒凪の努力や、頑張りを無駄にしてしまったこと…。



『限、何度も言っているけれど…あの日、私は傷ついてなんていない。体の傷はいつか癒える。本当に怖いのは、心に出来た傷跡なんだよ。』

「…」

『あんたは確かに物を壊してしまったり、人を傷つけてしまうところがあるかもしれない。でもあんたは…絶対に人の心だけは傷つけていない。』

「だとしても…俺は、あいつらをどんな形であれ壊したくはない…」



 限の言葉に眉を下げ、黒凪が口を開きかけたとき
 携帯が突然着信を知らせた。
 その携帯の画面には見慣れない電話番号が表示されていた。
 片眉を上げた黒凪は限をチラリと見て部屋を出て行く。
 限はその場で項垂れたままだった。



『…もしもし?』

≪あ、初めまして。扇七郎と申します。≫

『ああ…、二蔵の所の…』

≪ああはい。扇一族本家七男…なんて、堅苦しく言えばそんな肩書になりますが。今回のあなたの依頼を一任されたので、詳細を伺いたいのですが。≫



 今近くまで来てるので直接話でもどうですか?
 それを聞いた黒凪はすぐさま周囲を探査用の結界で調べた。
 確かに遥か上空に人間が1人。
 一方、まさに黒凪から見て真上の方向、かなりの上空にいた七郎は己を包み込んだ気配に小さく笑みを浮かべた。



『じゃあ、そちらに行くから待っていて。』

≪あ、それでしたら僕が…って、≫
「もういらっしゃってますね。」



 結界を足場に徐々に自分の元へ向かってきている黒凪を見て笑顔を見せ
 七郎は指をくい、と己の方に折り曲げると黒凪を風に乗せて
 自分の目線のあたりまで彼女を持ち上げた。



「おはようございます。すみません、こんなに朝から…。この時間帯にしかお時間がないと聞いていたもので。」

『ううん、こちらこそ君にわざわざ来てもらう形になってしまってごめんね。それで早速依頼の話になるんだけれど…』

「はい。依頼内容は…扇一郎の暗殺。」

『その辺りの手段は君たち一族の中で決めてもらって大丈夫。ただ私は君の兄上殿の邪魔が目に余るだけで。』

「ええ。心中お察しします。何せ兄は…」



 あなた方が護る、烏森をも狙っているそうですから。
 黒凪の目を見て言った七郎に、黒凪が感情の見えない
 貼り付けた笑みを見せると「これはただの世間話としてだけれど」と徐に口を開く。



『二蔵にも訊いたのだけれど、君の兄上が ”そうなってしまった” 理由は?』

「…父も同じ様に答えたと思いますが…。元々兄にはそう言った気質がありました。まあ、それに拍車をかけたのは僕でしょうけど。」

『うん。…私も長く生きているけれど…こういった部分だけは、人間はどうも成長できないようでね。』



 この世界のちっぽけな仕来りや風習が
 その人の人生や人格までも歪めてしまう様を私は幾度となく見てきた…。
 悲しい人だね。彼も。そう黒凪が小さく呟いた。
 その様子を黙って見ていた七郎は黒凪から目を逸らさずに口を開く。



「他人事ではないようにおっしゃるんですね」

『うん?』

「…それほどの時間を生きてきた貴方の心の天秤は…物事を判断する時に揺らいだ事はありますか。」



 唐突なその質問に黒凪の目がちらりと七郎に向けられる。
 七郎は黒凪を試すような、そんな挑戦的な目をしていた。



『…君は?』

「ありません。」



 即答した七郎に黒凪が暫く考え込むように空を見上げる。
 日が出始め、空が徐々に明るくなってきていた。
 何やら考えている様子の黒凪を見て、徐に七郎が口を開く。



「人の心の天秤は…大概の場合どちらかの側へ傾きます。でも僕の天秤は傾くことが無い。相反するものが同量反対側に乗って上手くバランスを取ります。それが僕の標準です。…貴方はどうですか?」



 そう。傾くことのない天秤…。いや。
 傾く必要のない天秤。
 それを持っている人間こそ、僕が考える "完璧"。
 この人はどうだ――?



『…この世界と何かを天秤に掛ける事は多かった様に思うけれど…どちらかに傾いたことは特にはなかったかな。』

「…世界を天秤にかけて、ですか?」



 半信半疑な七郎の目が黒凪の瞳を捉えた。
 彼女の目は、揺るがない。
 だって、そう言って目を細めた黒凪から暗く冷たい力が溢れ出した。
 七郎は寒気を覚え、思わずといった様子で黒凪から少し距離を取る。
 そしてそんな自分自身の行動にかすかに目を見開いて、そして黒凪を見た。
 黒凪はそんな七郎に微笑みかけていた。まるで子供を見つめるような、そんな目で。



『この世界は大きく、脆い。むしろ世界なんて無いに等しいのかもしれない。』

「…」

『だって私たちは…いつだってこの世界を手放すことができるのだから。』



 風が七郎と黒凪の間を通り抜けた。
 七郎が徐に下に広がる街に目を向ける。
 …彼女にとっての "世界" とは何だろう?



『この世界に生きるすべての生命はとても儚い。』



 それは言えている。
 自分も今まで依頼を受け、どれだけの人や妖をこの手にかけてきただろうか。
 どれもすべて、僕にとってはとてもたやすいものだった。



『――そんなもののために何かを犠牲にするほど…縋りつくほど空しいことはない。』



 七郎の目が改めて黒凪に向けられる。
 そして暫し彼は考え、その口を開いた。



「つまりあなたの天秤には…」

『うん。…最初から何も乗ってなどいない。って言うのが私の答えかな。』

「…」



 君は明日、自分が死ぬと分かっていて。
 それでも天秤に何かを乗せて、その価値を吟味する?
 黒凪が目を細めて笑い、それを見た七郎はごくりと生唾を飲み込んだ。



「(…僕は、今まで様々な人を見てきた。でもこの人のものは…そのどれでもない。これは何か、僕には到底理解できないものだ。)」



 これが僕の思い描く"完璧" なのか?
 どこか空しく、悲しい感情を抱いたような…この人が?



『…でも、もし。そんな私が天秤に物を乗せると、そう決めたとき。』



 七郎がゆっくりと黒凪の表情に目を向ける。
 この人が、"完璧" ?
 僕はこの人の様になりたいのだろうか?



『…君はどうなると思う?』



 何も言葉が出ない様子の七郎に黒凪は自分の真下に目を向ける。
 そろそろ限が心配になってきた。
 もう下に戻ろう。



「…ぁ、そろそろ時間、ですね。」

『うん。そうだね。降ろしてくれるかな?』

「…はい」



 出会ったばかりの時とは違って、少しぎこちない様子で黒凪をエスコートする七郎。
 黒凪の足が地面についた時、離れようとした七郎の手を黒凪が掴み取る。



『七郎君。…私は君の天秤が、君が死ぬまでの間に1度でもいいから揺れることを願っているよ。』

「!」



 ひらひらと手を振ってアパートに入って行く黒凪。
 その背中を見送った七郎はすぐさま上空に跳び上がり息を吐いて
 腕の鳥肌を撫でた。


 
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