Long Stories
□世界は君を救えるか
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黒芒楼への一歩
ドシュ、と鈍い音がする。
空を見上げれば時音の結界を足場に牙銀に接近した限が奴の腕を斬り落とした所だった。
その様子に笑った良守も放たれた炎の玉を真正面から受け止める。
ぐぐぐと力を籠めた良守は眉を寄せ、踏ん張っている。
「馬鹿! そんな真正面から受けたら…!」
「うるせぇ! アイツだって命張ってんだ、俺等が逃げてどうすんだよ…っ」
『……。』
巨大な炎の玉を見て黒凪が徐に立ち上がった。
結界の前で止まっている炎の玉に手を伸ばす黒凪に時音と良守が目を見開く。
物凄い熱気に眉を寄せた黒凪だったが、その炎に込められた力を一気に吸い取り良守も突然軽くなった炎の玉に目を見開く。
『さあて――…限!』
「うお、」
黒凪の結界が良守の結界を後押しし炎の玉が牙銀に返った。
限がそのタイミングを見計らい距離を取り、炎の玉は牙銀に直撃しかなりのダメージを与えたらしく、牙銀の動きが鈍る。
それを見た限が牙銀の背後に移動し、爪を振り上げた。
【これで終わりだ…!】
「あ、おい黒凪!?」
急に結界を作り上げ急いで限の元へ向かう黒凪。
何事かとそちらに目を向けた良守が、その視界に入った黒い影にやっと黒凪の行動の意味を理解する。
限の背後に迫っていたのは火黒だった。
【ぐっ!?】
限の体を火黒の刀が貫き、時音が口元を覆う。
黒凪はその様子に眉を寄せると、足を止めず限が止めを指し損ねた牙銀を結界で滅した。
その様子を見ていた限が痛みに眉を寄せ、背後の火黒に目を向ける。
「一応答えを聞いておこうか。」
【っ、】
「"こっち" に来る気は?」
【…はっ。ねぇよ。】
なら仕方ない。限の体に突き刺さっている刃がかすかに動く。
するとそれをさせまいと上空から降りてきた黒凪が火黒の腕を左腕で固定し、火黒の顔を見て挑戦的に笑った。
火黒はそんな黒凪の姿にまた鬱陶しげに舌を打ち、こちらもまたにやりと口元を吊り上げる。
「相変わらず邪魔ばっかだなァ。お前。」
『限は殺させない。…少なくとも ”あんたには” 。』
「あ?」
黒凪が結界で限の背中を前に押し、火黒の刀が限を逃す。
落下した限は時音がすぐさま受け止め、それを横目に黒凪の右手から念糸が大量に現れる。
それを見た火黒は目を見開くと刀を思い切り振り降ろし、刃が黒凪の胸元を斬り割き血が溢れ出した。
空中に舞った血に良守が目を大きく見開き、火黒は落ちていく黒凪の体を踏み台に跳びあがり傍にいた妖の背中に乗り上空の雲へと向かっていく。
「く、そ」
「駄目よ限君、動かないで!」
落下していた黒凪はそんな火黒の背中を見ると結界を作って落下を止め、そして徐に足場を作り雲へと向かっていく。
そんな黒凪を見て向かってくる妖達は皆彼女の絶界にやられ、黒凪は特に苦労することもなく雲の中へと到達した。
そこには姫が入る機械を護る様に立つ白、此方を睨む紫遠、そして心底面倒くさそうに肩を竦める火黒がいる。
紫遠と火黒は本能的に近付くべきではないと悟ったのか此方には近付こうとせず、黒凪の挙動に目を凝らしていた。
『狐、そこにいるかな。』
【うふふ、久しぶりねえ…】
『…随分と、弱っているらしいね。』
着物に滲んだ血が黒凪の足元を支えている結界に滴り落ちている。
白はそんな傷を負ってもなお何食わぬ顔をして歩いている黒凪を見て
得体のしれない恐怖を感じているのだろう、無表情な彼の額に汗が滲んでいた。
徐に黒凪が絶界を解き、すぐに白が虫を向かわせるが「手を出さない方が良いわ」と姫が声をかけ、白の手が止まる。
『良ければ私が治そうか? 力が必要だというのなら、それも少しぐらいなら分けてもいい。』
「止めといた方が良いぜ白。そいつ寿命と力を吸い取る。」
「近付くな…!」
不気味な力を溢れさせる黒凪に目を見開き白が彼女を突きとばす。
黒凪は触れた白の手から力を抜き取ろうとするが
それが出来ず微かに目を見開いた。そんな黒凪の目が白のものとかち合う。
『…人間臭いのが居るとは思っていたけど…』
「!」
『君か。』
「っ、紫遠!」
血を這う様な黒凪の声に白は後ずさり
紫遠が気だるげに立ち上がり黒凪を見ると心底嫌そうな顔をした。
【火黒。お前の刀貸せ。】
ひゅんと投げられた火黒の刀をパシッと掴み取った紫遠が雲から降りていく。
落下している黒凪に追いついた紫遠は黒凪の胸元に刀を投げ、突き刺した。
血を吐いた黒凪の目が雲から紫遠に向き、その瞳に宿る底知れぬ暗闇に紫遠が目を細めた。
【お前は此処で死ねってさ。】
『…そう。』
【…得体の知れない奴。お前何なんだ?】
『人間、かな。』
見えねぇな、そうとだけ言って紫遠が黒凪に突き刺さった刀を蹴り、黒凪の落下する速度が上がりそのまま烏森へ落ちて行く。
限はそれを見るとふらふらになりながら黒凪に駆け寄り彼女を受け止めた。
腕に飛び込んできた時には既に息絶えていた黒凪に、限が彼女をぎゅっと抱きしめる。
「志々尾! 黒凪は!?」
「死んでる。」
「は、…嘘だろ、」
「大丈夫だ。…その内生き返る。」
何言って、と良守が呟いたとき。
言い知れぬ力が黒凪から溢れだし、その傷が一気に塞がり彼女が薄く目を開いた。
目の前には虚ろな目をした限がいる。「よかった。」そう小さな声で言って限が目を閉じると、今度は烏森から力が溢れ出し彼を包み込む。
その様子を見た黒凪と良守は目を大きく見開き、黒凪がばっと限の腕から起き上がる。
「駄目だ志々尾! 死を受け入れるな!」
『…限、』
「今までありがとな。黒凪」
『……あんた死ぬの?』
薄く目を開いて黒凪を見ると限は「あぁ」と小さな声で言った。
そう、と黒凪は目を細め、彼の前に腰を下ろす。
「おい黒凪!」
『…』
良守の怒ったような声に顔を上げた黒凪の目に動揺はもう見えない。
そんな彼女を見下ろす良守の目はそれはもう、不安そうに揺れていた。
「なんで止めねぇんだよ! 志々尾が死んじまうぞ!?」
『…仕方ないよ。死にたいんだったら。』
「お前が諦めてどうすんだよ! 志々尾を止められんのはお前だけだ! …お前だけなんだよ…!」
『…私の前から消えようとする者を引きとめた所で、』
脳裏に過去の記憶が蘇る。
"置いて行かれる事は無い"? そんな事は無い。
結局一緒だ。物事にはいつか終わりが来る。
だから私はもう、天秤に物を乗せることすら止めたんだ。
『自分を置いていこうとする人を引き留めたところで…』
「だからって諦めんなよ! 人の命を、大事な奴の命をそんな簡単に諦めんな!!」
『…良守君、』
「コイツのことがそんなに信用ならねーのかよ! コイツはお前の為なら何があっても生きる! 絶対だ! そういう奴だろ!」
良守の涙が彼の膝に落ちる。
その傍にある彼の両手はそれはそれは強く握られていて、震えてさえいる。
「…お前が信じてやらなかったら、誰が…!」
涙をボロボロこぼしながら言った良守に黒凪が眉を下げる。
この子も分かっているんだ、自分がどんなに言ったって限が戻ってきてくれないこと。
私じゃないと、ダメなんだと。
限の命が消えかかっているのが分かる。限の望むがままに、烏森がその命を奪っていることが。
『(いつからだろう、私が誰かに傍にいてもらうことを諦めたのは。)』
いつからだろう、居なくなってしまうことを前提に誰かを大切にすることにしたのは。
いつから…相手の死を受け入れるようになって、努力も怠って。
今まで失ってきた人達の中に、1人も、本当に助けられた命はなかったのだろうか。
…私が諦めたことに、悲しんだ人はいなかったのだろうか。
「…!」
良守と時音が息を飲む。
視界が涙で歪み、大粒の涙が黒凪の頬を伝っていた。
本当に生きてくれるのだろうか、この子は。…私が望めば。
『…げん、』
「……」
『死なないで、どうか。』
まだ私を、置いて行かないで。
限の頬に黒凪の涙が落ちて、かすかに彼の目が開いて、涙を流す黒凪をその目に映した。
お願い。そう言って限を黒凪が抱きしめる。
「俺は、」
『生きて。』
「…何の為に」
『これは私の我儘だ。…どうか私がもう良いと言うまでで良い、それまでで良いから、…生きて。…私のために…。』
黒凪の肩に顔を埋めながら限が目を閉じる。
黒凪から力が溢れ出し限を包み込んだ。
限の体につけられた傷が塞がっていく。黒凪は受け入れられた事に安心して、一層強く彼を抱きしめた。
「(…痛みが消えていく)」
『…限』
「…多分俺、」
黒凪が徐に限の顔を見て、限はそんな黒凪を見て言った。
お前が居れば強くなれるんだ。
黒凪にしか聞こえない様な、小さな声だった。
「…やりたい事がある。」
『…うん』
「姉ちゃんに会って、ちゃんと謝りたい。」
『……うん』
「お前がいてくれれば…できる気がする。」
限の体の傷がすべて塞がり、黒凪が彼から体を離す。
それと同時に良守が目に涙を浮かべながら限に飛びついた。
その勢いで限と良守は一緒に倒れ込み時音も眉を下げながら駆け寄る。
するとまだ烏森の上に留まっていた雲から巨大な尾が現れ、こちらに伸びてくる。
狐の尾だと気付いた黒凪は立ち上がり、それをまるで援護する様に溢れ出す烏森の力に苦笑いをこぼした。
『…自分勝手な。』
「十分だ」「十分楽しんだ」「もう良い」「去れ」
『――お前じゃあ、此処は落とせないよ。』
空に向かって言った。
その声は黒凪の気配と共に黒芒楼の面々に響き渡き、一瞬で無数の結界が雲を貫き、
また狐の尾は烏森の力を感じるとすぐさま逃げるように引っ込んでいき「ぎゃあああ」と叫び声が烏森に響き渡った。
【っ…!】
「姫! 姫、ご無事ですか!」
【白…、早く此処を離れて…!】
微かに震えながら言う姫に白が眉を寄せ、烏森を今一度見下ろす。
また響いた。「去れ」と。黒凪の声と混ざる様に他の声も聞こえた様な気がした。
火黒はチラリと此方を見上げている黒凪を見下し、少し口元を吊り上げる。
【なんなのよ此処…!】
「姫、」
【あの子とこの土地が共鳴してる、】
生え抜きではないにしろ、主である私とも黒芒楼がここまで共鳴したことはない。
ここまで共鳴していると…まるで黒凪自身が烏森であるように、
烏森が彼女自身であるように錯覚してしまう。
【おい! 殺られちまうぞ!】
紫遠の言葉にモニターで黒凪を確認すると、彼女の周りには目に見える程の力が溢れていた。
脅しではない。恐らく本当に滅せられてしまう。
白はすぐさま虫達に指令を送り烏森から撤退した。
その様子を黒凪達が下から見ていると遅れて正守達が姿を見せ、こちらに駆け寄ってくる。
「皆無事か!?」
「…はい、」
まず倒れていた限の様子を見て正守が安堵の息を吐き、次に黒凪に目を向ける。
そして、彼女の背中を見て動きを一瞬止めた。
「…黒凪?」
『、うん?』
黒凪の頬に残る涙の後を見た正守が近付き、恐る恐るその手が彼女に伸ばされる。
指が彼女の目の下に触れて、少し拭えば涙が指に付着した。
「(…よかった、此処にいる)」
一瞬、目の前の少女がこの烏森と同化したような、そんな不思議な感覚に陥ったのだ。
そう考えて、次は血で赤く染まった黒凪の胸元へ目が向き、そして限の体に目を向ける。
そんな風に焦り、混乱している正守の様子を弟である良守は驚きを交えてじっと見つめていた。
「限、お前炎縄印は…」
「え」
そこで限も己の体に施されていた炎縄印が消えたことに気づいたらしい。
突然のことに言葉が出ない限に代わって黒凪が口を開いた。
『多分、私の力を受けて耐えきれなくなったんだと思う。』
「…頭領、俺もうコントロール出来ます。…体ももう傷みませんでした。」
何? と訊き返して正守が黒凪を見る。
そして改めて思う。
俺が裏会に入る前、そう。まだ墨村にいた時。
嫌になるほど毎晩感じていた…烏森の力に、とても彼女が似ていると。
そんな正守の視線には気づかず、黒凪が呟く様にして限の名前を呼んだ。
生きていてくれて、ありがとう。
(こりゃあお嬢が此処に帰ってきたくなかった理由も分かる気がするぜ…。)
(…そりゃあ、長く此処にいれば飲み込まれても仕方がないからねえ。)
(だから時守様も此処の守護をあの子じゃなく、墨村と雪村に任せたんだろうよ。)
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