Long Stories

□世界は君を救えるか
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  黒芒楼への一歩


 良守の力に押し退けられてそのまま向かいの建物へ。
 物凄い勢いで膨張した力に弾かれた黒凪はその勢いのまま建物に落下した。
 絶界を身にまとっているため痛みはない。
 黒凪は眉を寄せ、その目を開いた。



『…え、』

【っ…、ってえな】

『…火黒…』



 はっと周りを見渡せば依然絶界は発動している。
 火黒自身も自信が黒凪の術の中にいることを察すると、黒凪に目を向けた。
 同じ時、城の中にいた姫が静かにその顔を上げ、そして微笑んだ。



【破壊する為に力を使うかと思えば、誰かを護るために使ったのねえ。…それにあの子…】



 目を細め、数百年前…初めて黒凪と出会った光景を思い起こし、目を伏せて呟く。



【この数百年の間に、色々と遭ったのね――】



 突然の事態に頭が追いついていない黒凪自身も何も言えず火黒に目を向ける。
 火黒もしばし黒凪を見つめた後、ゆっくりとその瞳は彼女の背後に向けられた。



【おいおい…何だありゃあ。アンタの絶界より遥かにヤバい術に見えるが】

『…術者以外が共に入る、絶界とは明らかに別の術…』

【?】

『父様を差し置いて新しい術を生み出すとは思えない。…と言う事は』



 唯一私が父様から受け継ぐ事の出来なかった術。
 火黒はその時、悲し気に細められた彼女の目を見て微かに目を見開いた。
 そして起こしかけていた体を地面に倒し、息を吐く。



【…なァ、】

『?』

【なんで俺は負けたんだ?お前等みたいな不自由な奴等に…】

『…それはもう分かってると思うんだけどね、あんた自身が。』



 黒凪が火黒の上から退き立ち上がった。
 少し背を起こしその背中を見上げる火黒。
 俺には無いものを持った奴等に負けた。
 何故負ける? 俺が捨てたものしかお前達は持っていないじゃないか。
 …だから、なのか?
 逆の発想だ。だから負けたのか? その疑問が頭を駆け巡る。



『妖に身を落とす人間は皆、何かを追い求めている。でもあんたはそれにどうも納得できていないようだから…その “何か” は求めていたものと違ったのかな。』



 求めていたものと違った? …そうだ、その通りだ。俺はあの時思った。
 妖となり長い年月を生きた末に思った。
 何かが違うと。
 何故だ? 何故違った? 一体何が、



【…】



 そしてはたと、再び己と目の前の少女を包む絶界に目を向ける。
 …そうだ――。人間だった時…この術に出会って衝動的に力を求めた。
 それはたった1つしかない己の命を懸け、あの身震いするような緊張感の中で相手を切り伏せる高揚感を、人間のままでは長く感じる事が出来ないと気づいたからだ。
 そして人間のままでは…力を持つ人間や妖…そして神にも対抗できないと、そう悟ったから。
 ならば今はどうだ? 妖となり、簡単には壊れないこの体になって――俺はあの高揚感を忘れてしまったんじゃないのか?



【(ああそうだ…そして俺は気づいたんだ――)】



 その時、既に俺には何も残っていないことを。
 そしていつしか自分を肯定するため、そして孤独にならない為に…俺と同じく孤独の中にいる奴等を…
 ――俺を置いて、孤独から抜け出そうとする奴等を許せなくなった。
 なぜなら俺は、いつまで経っても孤独のままで、失くしてしまったものを取り戻せずにいたから――。
 そして俺は、きっとこれからもずっと…



『…火黒、あんた私と来な。』

【…何?】



 私が “そこ” から引っ張り出してあげるよ。
 小さな少女の手が差し出される。
 …代わるのだろうか、この手を掴めば。
 そんなことを考えているうちに、俺の手は差し出された手を掴んでいた。
 その一本の手が、自身の手を蔦って闘争心やどす黒い殺気を一気に取り除いた。
 そんな気がした。



「黒凪ー!」



 黒凪が火黒から視線を外し、改めて良守が作り上げた青白い球体状の結界に目を向けた。
 目を凝らして中を覗けば結界の中で限と閃が黒凪を呼んでいる。



『…火黒、傷は痛む?』

【別に死にゃしねェよ。行ってきな。】



 ありがとう。
 そう言って結界を足場に良守たちの方へと近づいていく黒凪。



「正守さんー!」

『正守?』



 時音の声に振り返り空を見上げる。
 そこには黒芒楼の上空に浮かぶ巨大なムカデがこちらの様子を伺うように彷徨っていて、その上には正守の他に繁守と複数の夜行の戦闘班や諜報班の異能者が乗っていた。
 蜈蚣が出した小さなムカデが時音の元へ向かい彼女を巨大なムカデの元まで連れて行く。
 その様子を横目に黒凪は深呼吸をするとゆっくりと結界に手を伸ばした。



「黒凪、これって触って大丈夫なやつなのかよ!? お前さっき押し出されて…」

『…大丈夫。私はこの術をよく知っているから。』



 黒凪の手が結界に触れた途端、そこを中心に結界の表面に水の波紋のようなものが広がっていく。
 術の掛かり方、結界の構造。出力、そして術者の状況。全てを読み確実に覚える。
 大丈夫。こんな荒療治は昔何度もやって来た。



『…読めた。』



 やはりこの術は私が…いや、父が待ち望んでいたものだった。
 1匹の小さなムカデが黒凪に近付き、黒凪がそちらに目を向けて眉を下げて微笑んだ。
 その上に乗り正守達の元へ向かう途中、ちらりと火黒を見れば彼は此方に呑気に手を振っていた。



「黒凪、あれは何だ?」

『あれは結界術の1つ。本人が自分の意志で解けないとなると、無理に破壊するしかないだろうね。』

「…中にいるのは限と閃だな?」



 小さく頷くと正守が蜈蚣に目を向け、ムカデが結界に近付いて行く。
 目を凝らせば結界の真ん中に倒れている良守とその側に居る閃と限が目に入った。



「限、閃! 無事か!? 良守はどうした!」

「なんか動かなくて…! 目ぇ開いたまま倒れてます!」

「おい墨村。墨村!」

「全然反応無いです…っ、それに息してない!」



 じいっと結界を見ていた黒凪は腕まくりをするとムカデから降りて結界の真上に移動した。
 正守の焦ったような目が黒凪に向けられる。



『正守、とりあえず中に入ってくるね。』

「…分かった。」


「!…雪村の小娘、よく見ておけい。恐らく間殿は今から "空身" をなさるつもりじゃ。」

「うつせみ?」



 黒凪が徐に目を閉じ、そして結界から飛び降りる。
 ふっと黒凪が身に纏う力が消え、他のものに入れ替わった様な気がした。
 そして彼女の体は良守の結界に波風一つ立てることなく、その表面をすり抜けていく。
 限がすぐさま走り出し、黒凪を受け止めて着地した。



『正守、あんたは外側から結界に圧力をかけて。私は内側からやるから。』



 正守が静かに頷き、同時に黒凪と彼が絶界を発動する。
 外側の面々は正守の絶界の威力に、内側にいる限達は黒凪の絶界の威力に少し後ずさった。



『あんたたちは良守君を叩き起こして。』

「わ、分かった」



 黒凪の言葉に頷き限と閃で良守を起こしに掛かる。
 そしてほぼ同じタイミングで正守と黒凪が絶界を良守の結界にぶつけた。



『…ん、の…!』

「ぐ…!」

『(予想以上に密度が濃い…狐に貰った力を全て注ぎ込んである…っ)』

「…黒凪ちゃん、正守さん!」



 時音の声に2人同時に顔を上げると、先程黒凪が空身をした位置に時音が立っている。
 彼女の表情を見た黒凪は時音の意図を理解し一言「いいよ」と言い放った。
 時音は息を吐き飛び上がり、落下しながらその右手を真っ直ぐに結界に伸ばす。



『限、時音ちゃんが来る! 受け止めて!』

「っ…!」



 再び限が走り出し、結界に入り込んだ時音を受け止め着地した。
 時音は限から離れすぐさま良守の元へ。
 彼女も良守を揺さぶるが、彼の目は依然虚ろなまま。



「良守、良守…!」

『キスでもなんでも良いから早く起こして!』

「キ…!?」

『早く、っ…!』



 時音が困った様に眉を下げ良守を覗き込む。
 ぐらぐらと焦点の合っていない良守の目を見て眉を寄せた時音が徐に良守をぎゅっと抱きしめた。



「良守、戻ってきて…!」



 ハラハラと良守を見ていた閃の動きが止まる。
 良守の目の焦点が合ったためだ。
 お願い…! そんな切実な時音の声に良守の目が彼女に向いた。
 途端に結界がぐにゃりと歪み、黒凪と正守が絶界越しに目を合わせる。



「今だ !」

『よし、』



 一気に絶界を押し込み、途端に結界が破壊されガラスのように飛び散った。
 そして降り注いでくる細かい破片に触れた時、その中に混ざっていた姫の力が一気に黒凪に流れ込む。
 目を見開いて結界を足場に着地する黒凪。



「全く…無茶するね。時音ちゃんも。」



 少し上空では正守がムカデに乗って時音、良守、限と閃を乗せている。
 そんな彼らから目を離して黒芒を見渡した黒凪は徐に目を伏せた。
 大きな音を立てて城が崩れて行っている。



「よし、戻ろう。早くしないとこの異界が滅びてしまう。」

「はい!」



 正守の声と夜行の面々の返事が耳に届く中
 夕方の様な空を見上げ黒凪は目を細めた。



「黒凪、どうした? 早く…」

『正守、先に帰っていてくれるかな? 私は此処を修復してから向かうから。』



 正守が一瞬驚いたように言葉を飲む。
 …確かに異界の修復は結界師の仕事だ。
 だけど…此処までダメになった異界を立て直すつもりか?



「…危険だ。」



 正守の静かな声に黒凪が笑顔を向ける。
 でも、誰かがやらないと。
 その言葉に正守の表情が歪む。しかしすぐに彼女の自信満々な顔にその表情を崩した。



『大丈夫。前にも異界から一緒に切り抜けたでしょ。』

「…分かった。」



 その返答に黒凪が更に笑みを深めた時
 ムカデの上に乗っていた限と閃も黒凪の傍に飛び降りた。



「おい! お前等まで何してる!」

「俺達も黒凪と残ります。」

「絶対戻ります。…お願いします。」



 限と閃を眉を下げて見る正守。すると異界の崩壊が進み、繁守が彼を呼ぶ声がする。
 その声に振り返った正守は3人に「必ず帰って来い」と声を掛けてムカデに乗り込む。
 そのままムカデは来た道を引き返すように、時子が作ったであろう穴へと入り込んでいった。



『よし、やってみようかな。』

「本当にこの異界の修復なんて出来るのか?」

【修復? へぇ。碧闇が言ってた事も強ち間違いじゃなかったんだなァ。】



 現れた火黒にすぐさま殺気を放った限と閃。
 しかし黒凪が目を向けるとそれが萎んでいく。
 そして目を閉じてその魂蔵に蓄えられた力を解放する黒凪に限と閃の目が向いた。



『(…この術が出来れば完成する。…私の生まれてきた、意味が。)』



 目を見開き一気に力を放出した途端、そこには先ほど良守が作った結界と同じものが何倍もの大きさとなって黒芒楼全体を包み込んでいた。
 その光景に目を見開く限と閃を横に火黒はニヤリと笑うと「何だ、あんたも出来たのか」と黒凪を振り返る。
 その言葉に黒凪が小さく笑って言う。



『私、センスだけは良いから。』



 そんな風に彼女が軽口を叩いている間にも、崩れていた城が徐々に再生していき、そして。
 負傷したり瀕死状態になっている妖達の傷も癒えていく。
 それは勿論、此処の主である黒芒の化け狐も。


 
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