Long Stories

□世界は君を救えるか
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  裏界への一歩


「この式神…」

『…ああ、守美子さんからだね。』



 途端にカラスが手紙のようなものに変化し、それを黙読する黒凪。
 そんな彼女を横目に正守が傷口を確認するように上半身のみ着物を脱ぎ、横腹に目を向けた。
 まるで何事もなかったかのように傷跡すら残さず消えている先ほどの戦いでの傷。
 …この体に残っている傷跡たちも、黒凪がもっと早く自分の傍にいれば付くことはなかったのだろうか。そんなくだらないことを考える。
 かさ、と音を立てて手紙を折り畳み、再び呪力を込めてカラスに戻し、またどこかへと飛び立って行った。



『…状況が少し変わった。正守、ロクに休ませてあげられないけど…少し話、良い?』

「ん? うん。どうする、夜行帰る?」

『うん、夜行で話すよ。』



 そして誰にも聞かれないようにと夜行にある1室の周りに結界を張り、正守は黒凪の前に胡坐を掻きちらりと彼女に目を向ける。
 黒凪は話の始め方を考えているように暫し沈黙すると徐にその口を開いた。



『烏森に関して、何か変わった事はあった?』

「…その都度報告を受けてるだけ。ウチの母親が龍を落っことして行ったぐらいだな、大きな事件と言えば。まあ、最近烏森も妙に不安定だから…それを収めようとしたんだろう。」

『そうだね。』



 黒凪が目を細め、腕を組む。
 守美子さんがわざわざそんなことをするぐらいなのだから、宙心丸もいい加減限界なのだろう。
 それに今までタブーとしていた烏森を探るものや狙うものも多くなってきている。
 そろそろ潮時とも言える。



『…神佑地狩りについての話だけど。』

「…。何か分かったのか?」

『これまでの神佑地狩りの首謀は裏会の総帥、逢海日永で間違いない。それを受けて夢路も対抗して神佑地狩りを始めていくだろう。つい今朝に咲耶姫を有する神佑地が襲われたのがそれにあたる。』

「……は?」



 突然の黒凪の言葉に正守が固まった。



「…いや、待ってくれ。そもそも総帥はなぜ神佑地狩りを?」

『夢路さんが彼を裏切った為だと思う。…日永殿は夢路さんと共に作ったこの裏会ごと全てを抹消して…その怒りを収めたい感じだと思う。』

「…裏会を破壊する為に、力を蓄えていると…?」

『うん。そしれそれに気づいた夢路さんも対抗しようと神佑地狩りに手を出し始めている…。』

「…総帥と夢路の関係は何だ?」



 黒凪が静かに言った。
 兄弟だよ、と。
 それも少し屈折した兄弟だけれど。それは言う必要はないだろう。



「兄弟喧嘩…なのか?」



 そう呆然とした様子で正守が言った。
 頷いた黒凪に正守がため息を吐いて目を覆う。



「そんなくだらない理由で…」

『…まあ、今も昔も戦争なんてそんなものだから。』

「待て、神佑地狩りの手順についてはどういう事だ? あの異界への道の開き方は俺達の様な空間支配術を使える奴じゃないと…」



 総帥も夢路さんもそう言った類の能力者ではなかったはず。
 そう言った正守に黒凪の目が向く。



『あの兄弟は精神を支配する類の異能者だからね…結界師の素質がある人間を操って無理に異界への道を開かせてるんだと思う。』

「そんな荒療治が通じるのか…?」

『…正しくは、通じたから今回の事件が起きてしまった。かな。』


 
 情報を探れば何人かの空間支配系の能力を持つ異能者に行方不明者が出ているはず。
 少なくとも8人は。
 黒凪の言葉にまた正守がため息を吐く。
 何より単純な動機とその荒いやり口に嫌気が差しているのだろう。



「裏会の上層部がやっている事だ、俺達夜行の耳にその行方不明者の情報が流れるはずもない…。」



 まただ。くだらない理由で人が死んでいる。
 なんの罪もない、人達が。



『そこで君に頼みたいことがある。』

「うん?」

『今回私はこの裏会のいざこざにはあまりかまけていられなくなる。…あんたに一任したい。』

「!…この問題よりも優先すべき事があるのか?」



 烏森の事だよ。
 黒凪の言葉に眉を下げ「後回しには?」と訊く正守。
 静かに首を横に振った黒凪に怪訝に「なんで?」と問いかけると黒凪が正守の右手の平に目を落とした。



『良守君さ、何か言ってなかった?』

「何かって?」

『…烏森が話していた、とかさ。』

「あぁ…聞いたよ。"此処から出たい" と言っていたそうだ。」



 その言葉に黒凪が困ったような笑みを浮かべた。



『…正守、君はいつか私に言ったね。』



 私と烏森が元は1つだったんじゃないかと。
 いつか私は、烏森に呑み込まれてしまうのではないか、と。
 正守が生唾を飲む。ついに分かるのか?
 俺を…俺たち一族を長らく縛り付けていたあの土地の真実が。



『確かに私と烏森は元は1つだった。…それが分裂して、この世界に生まれ落ちた。』



 双子として。
 静かに放たれたその言葉に正守は何も言えない。
 まるで人間の話の様に話す彼女が理解できなかった。



『烏森の奥に眠っているのはね、私の双子の弟。名前は宙心丸という。』



 生まれ落ちた瞬間からその身に宿っていた弟の魂蔵には、父が注いだ神祐地の力を利用した秘術が存分に蓄えられていた。
 そしてこの世の全てをひっくり返すほどの莫大な土地の力を得て生まれた弟は、生まれた瞬間にすべての命を奪い取り、対して妖にはその身に耐えきれず破裂させてしまうほどの力を与える存在としてこの世に生まれ落ちた。



『…私はね、自分が生まれた瞬間のことを今でも鮮明に思い出せる。』



 いや、正確には生まれ落ちる前のことも覚えている。
 私と宙心丸は母のお腹の中にいる時から、世界を恨む父の思い、願いを一心に受けていた。
 特に私は父の ”思い” を、宙心丸は ”願い” を。



『生まれる前から私はこの世界を恨んでいた。そして生まれ落ちた時…私は恐怖に苛まれ、そして強く生を意識した。』



 抗わなければ殺される。
 私と同じ時に産み落とされた、隣に横たわる “理不尽” に。
 父が恨み、滅ぼしたいと心の底から願った――この世界に。
 正守は一時も気を緩めず、その話を静かに、ただ静かに聞いていた。
 そして受け止めていた。目の前の少女が抱える重く、大きすぎるその悲しみを。



『…。それから結局、宙心丸が自分の力の大きさに自覚を持ち始めた時、暴走を恐れた父、間時守は宙心丸を烏森に封印することにした。』



 ただやっぱり1人でやると何事も完璧には進まない。
 結局父の封印は不完全なまま。
 だから今回、最も強く宙心丸と共鳴している良守君と私で烏森を今度こそ完全に封印する。
 それは父の封印が消えかかる中、良守君という絶大な共鳴者が存在する “今” しかない。



「…完璧な封印なんて、出来るのか? 良守と黒凪で…」

『出来るようになったんだ。』



 黒凪の言葉に目を伏せた正守。
 自分の手の平は黒凪の手で覆われていて、今は見る事は出来ない。
 …方印なんてそこにはない。



『…正守、封印がすべて終わったら…方印のことはもう忘れなさいね。』

「…」

『方印なんて、宙心丸の共鳴者かそうでないかの違いだけ。』



 方印なんかが、あんたの価値なんて決められるはずがない。
 正守が徐に手の平に力を籠め、黒凪の手を握る。



『あんたは私が声を大にして言ったって良いほど、立派な術者なんだから。』



 沢山の人があんたを…良守君じゃなく、あんたを必要としているんだから。
 正守は何も言わない。
 でも、黒凪の手を握るその手の力だけは緩めなかった。



『…何かあれば必ず其方にも手を貸すよ。裏会の件については私が居た方が幾分も有利だろうしね。』

「…うん。」

『だから悪いけど…烏森の方に集中させてほしい。』



 今なら分かる。そんな正守の言葉に黒凪が視線を上げた。
 君が今まで400年もの間、何を目標に頑張ってきたのか。



「烏森に関しては、俺に出来ることは何もないことは分かってる。」



 それだけはやっぱり悔しさもあるけど、俺はきっと “こっち” なんだろう。
 正守の吹っ切れたような顔に黒凪が眉を下げ、「ありがとう。」と消え入るような声で言って正守を抱きしめた。
 困った様に眉を下げた正守は片手で黒凪の背中をぽんぽんと叩き、徐に自分たちを囲う結界に目を向ける。



「…良守は封印を手助けさせるとして、時音ちゃんは?」

『…時音ちゃんには封印場所になる神佑地の主と話を付けて貰う役目を任せるつもり。』

「…時音ちゃん1人に任せるつもりか?」

『うん。…その為にはあの子にも修行が必要だけれどね。どうにかするよ。』



 …そう、か。
 数秒の間を開けて正守が呟く様に言った。
 そんな正守の腕の中で暫く黙った黒凪は意を決したように顔を上げ、立ち上がる。



『よし、うだうだしてられない。とりあえず動かないと。』

「…そうだな。俺もやること山積みだし。」



 黒凪に合わせるようにそう言った正守に黒凪は小さく笑い
 徐に結界を解除した。



『限、閃、火黒。』



 何も言わず姿を見せた3人に黒凪は微笑み正守を振り返った。



『正守。頼んだよ』

「…あぁ、分かった。そっちも気を付けて。」

『うん。…何かあればすぐに連絡を入れるんだよ。』

「分かってます。」



 眉を下げて言った正守に黒凪は微笑んだまま部屋から出て行く。
 正守は深いため息を吐いて空を見上げた。
 一方の黒凪は3人、特に限と閃に荷物をまとめるように指示をして、やがて3人で庭に出る。
 そして徐に式神を取り出した黒凪を見てまた式神で移動すると感づいたのだろう、すぐに3人の手が差し出された黒凪の手に向かう。
 そんな中、火黒が徐に言った。



「次は何処に行くんだァ?」



 その言葉に黒凪が小さく笑みを浮かべて3人に目を向け、静かに応える。



『私の父親の所へ。』

「え」

「!」



 黒凪の言葉に閃と限は驚いた様に目を微かに見開き、火黒は面白そうに口元を吊り上げた。
 そうして式神に力を流し込み、また瞬きをした瞬間には目の前の光景が180度変わっていた。
 先ほどと違うのは目の前に人…嫌、幽霊が立っていることだろうか。
 黒凪が宙を舞う式神をつかみ取り、それを胸元に閉まって目の前の幽霊に顔を向ける。



「裏会の方も忙しそうな中悪いね。まさか日永が神佑地狩りを始めるとは思わなかったもので。」

『…本当にね。』



 しみじみとそうとだけ言葉を交わした黒凪とその父である間時守。
 そんな2人は限、閃、火黒に2人同時に目を向け、そのよく似た笑みを浮かべる。



「とりあえずこの家に暫く待機してくれるかな。すぐに良守君が烏森の力の根源を連れてやってくるから。」

「え、烏森の力の根源? てかなんで今良守が出てくるんだよ?」



 ちんぷんかんぷんな様子で言った閃を見て時守が何も言わず黒凪に目を向ける。
 その視線に肩を竦めた黒凪は「すぐに説明しておきます。」と言い、その言葉を聞いて時守が満足したように頷いた。



「それじゃあ積もる話もあるだろうし、どうぞ中へ。」



 時守に促され、限達3人が家の中へと入っていく。
 それに黒凪も続こうとした時「ああそうだ」と時守がわざとらしく言った。



「黒凪、あの術を…」

『ああ、これのこと?』



 黒凪が振り返らず構え、真界を作り上げる。
 目の前に形づくられた真界をその目に映した時守は暫し口をつぐむとその口元を吊り上げ、黒凪に目を向けず言った。



「合格」



 …と。




 障害物多数。


 (んなー!? 殿様を出したら学校が壊れるなんて聞いてねーぞ!?)
 (あら言ってなかったかしら)
 (言ってねーよ!)

 (…もしもし。時子さん)
 (はい、時守様。)
 (折り入って頼みがありまして。)
 (………。…解りました。謹んで承ります。)


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