Long Stories
□世界は君を救えるか
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裏界への一歩
「!? …またマーキングが外されてるよミチル!」
「え、」
カケルの言葉に大きく目を見開いてミチルが大首山を覗き込む。
確かに昨晩設置したはずのマーキングが跡形もなく消えていた。
「(しまった、昨晩何者かに見られていたの…⁉)」
途端にぞくりと背中を這い上がる悪感を覚えたカケルとミチルが目を見開いて振り返った時、
物凄い勢いで迫った巨大な手が絨毯の上に立っていた弐号を捉え、そのまま地面へと叩きつけた。
「弐号!?」
【…人間風情が…】
地を這うような声と地ならしを起こしながら此方に向かってくる大男…この大首山の主、クシナダ。
ミチルが目を見開いて後ずさると彼女を庇う様にカケルが前に出て両手を祈る様に重ねる。
カケルから呪力が溢れ出し、ドタンッ! と鈍い音を立てて巨大なベルトの様な物がクシナダを地面に叩きつけた。
そして動けない様子のクシナダを見て、先ほど地面へと叩きつけられた弐号の様子を見るために絨毯を地面へと降ろしていく。
「…弐号…」
弐号は大量の血を流して倒れており、ぴくりとも動く様子がない。
あれだけの力で叩きつけられればいくら彼でももう…。
ミチルが悲しみを隠すように目を強く瞑る中、クシナダを押さえつけることに必死にカケルが彼女に目を向けた。
「ミチル、それより力を抑えたから早くコイツを…!」
【……何を、している…】
「あぁ!?」
苛立った様子でカケルが振り返り、苛立ちをぶつけるように傍にあるクシナダの頭を蹴った。
しかしカケルの何倍もあるその頭は揺れることすらなく、代わりにその頭についた巨大な目がカッと大きく見開かれた。
そしてまた「何をしている」そう呟くクシナダにカケルが眉を寄せる。
【さっさとケリを付けろ結界師…!】
「…結界師?」
「結界師ってアタシ達が育ててる…」
クシナダのその言葉に弐号を見つめていたミチルが動きを止め、振り返る。
カケルも混乱した様子でミチルに目を向けると、またその背中に悪感が走った。
『いやはや。異界への道を開くだけで命を落としてしまうような術者を結界師と? 笑わせないでおくれよ。』
カケルが反射的にミチルを突き飛ばし、ぴん、と形成された結界の中にはカケルのみが残った。
バランスを崩したミチルを壱号が受け止め、カケルから距離を取る中、カケルを囲う結界の上に立った火黒がしゃがみ込んでカケルの顔を覗き込む。
んー? と首を傾げる火黒をカケルがキッと睨みつけた。
【…なんだぁ? そんなに睨むなよ。】
「お前が前に斬った女だろ。」
数秒遅れて限が火黒の様に結界に登り、カケルの顔を見て一言そう言った。
しかし火黒には全く覚えがないらしい。
【あ?…覚えてねェなァ。】
「なんだと…!?」
結界の上でそんな会話をする限と火黒にカケルが額に青筋を浮かべた。
そんな3人の様子を見ていた黒凪が人差し指と中指を揃えたまま静かに持ち上げる。
『滅。』
【おぉっと。】
「…」
結界が押しつぶされると同時に火黒と限が跳びあがり、結界によって木っ端みじんになったカケルが立っていた場所に降り立つ。
その様子を見ていたミチルが顔を青ざめ、壱号がミチルを護るように抱えた。
「ミチル様、こちらに」
「壱号…」
「……ミチル…」
ミチルが壱号とこの場から離脱しようとした時、増悪に満ちた低く掠れた声が響いた。
途端に限と火黒の傍で砂の様な物が集結し人の形を形づくっていく。
それを見た壱号が刀を限と火黒に投げつけ、それを見て飛びのいだ2人を睨みつけながら持っていた着物をカケルの肩にかけてやる。
再生したと比喩して相違ない状態で再び現れたカケルは壱号から受け取った着物を羽織り、ゆっくりと立ち上がりそれはもうものすごい形相で黒凪を睨みつけた。
「作戦変更だ…。この結界師をメッタメタに殺してやる…!!」
『…成程。』
「ミチル! まじないを…!」
黒凪が小さく笑みを浮かべる中、カケルの声に頷いたミチルが祈る様に手を重ねた。
以前とは違って交戦する様子の彼らに閃が目を細め、縛り付けられたままのクシナダに目を向ける。
「( “もう後がない” って感じだな…。こいつらは裏会総帥が言っていた月久ってやつの腹心だろうし…)」
もう彼らには恐らく時間も、力を奪う土地もない。
そこまで考えて思わず閃は彼女らに同情した。
なぜって? だって…黒凪が相手なのに、どうやってこの場を切り抜ける?
「力の差を思い知れ…! アタシ達は最強なんだ!!」
カケルの力がミチルに流れ込み、クシナダの拘束が強まる。
クシナダが苦しげに声を漏らし黒凪を睨みつけた。
『君が持つそのチート…決して君だけのものだとは思わないことだよ。』
目を細めて笑った黒凪の側に限が着地し、彼の背中を黒凪がぽんと軽く叩いた。
途端に流し込まれた力を受けて限を強大な邪気が包み、一瞬で完全変化を遂げる。
限は微かに唸り、踏み込むようにその場にしゃがみ込んだ。
『クシナダ様を拘束しているまじないを絶ち斬ってきて。』
【…解った。】
『火黒はあの2人を。』
【はいよ。】
限が目にもとまらぬ速度で走り出し、火黒も同様にしてその場から姿を消した。
まもなくして張りつめられた糸がちぎられたような鋭い音を起こしてまじないが破壊され、カケルとミチルが大きく目を見開いて振り返る。
そんな中、閃がぴくりと空を見上げ黒凪の服の袖を引っ張った。
「…黒凪、すげー力を持った人間がこっちにくる。」
『… ”人間” ?』
空飛んでんのかな…、半端ない速度だ。地形なんて完全に無視して進んでる。
閃の言葉に空を見上げるとフッと月の前に小さな人影が見えた。
手をポケットに突っ込みこちらを優雅に見下ろすその姿には見覚えがある。
「止めろ! ミチルに近付くな…!」
【…泣けるねェ。】
カケルの声にそちらに目を向けた黒凪の視界に大きく両腕を広げてミチルを護るように火黒の前に立ち塞がったカケルが入る。
しかし糸も簡単にその背後を火黒が取り、その刀が振り上げられた。
まさに火黒の刀が振り下ろされる先…そこに立っているミチルは一瞬だけ恐怖で顔を歪めたが、すぐに諦めた様に目を閉じる。
「ミチル様――!」
壱号が刀を振り上げて火黒へと向かっていく。
しかしそんな彼の右腕を今しがたまじないを破壊したばかりの限が斬り落とした。
刀を持ったまま自分の体から離れていく右手を見て思わず振り返った壱号は背後で目を光らせる限に目を見開き、途端に彼に蹴り飛ばされて地面を転がっていく。
カケルは壱号が蹴り飛ばされた際に生じた鈍い音に振り返るとミチルへと振り下ろされていく刃を見てこれでもかというほどのその両目を見開いた。
「ミチル…!!」
「――カケル。もう良いの…。」
ミチルの右肩から左足の付け根にかけて斜めに火黒の刃が通り抜けていく。
それを見たカケルの目から涙が溢れ出し、その場に膝をついた。
倒れ込んだミチルを見た火黒は刃に残った血を振り払い、立ち上がったクシナダに目を向ける。
限は倒れて動かない壱号を一瞥し、ボロボロと崩れるように消えて行くまじないを片手に黒凪の元まで歩いて来た。
『ご苦労様。』
「…あぁ。」
自身の頭を撫でた黒凪の手に目を細め、変化を解いた限。
その様子を見て小さく笑った火黒も黒凪の元へと歩いていく。
一方、倒れたミチルの側に座り込み只管彼女の身体を揺するカケルはちらりと血まみれになったまま動かない壱号に目を向ける。
そしてこの絶望的な状況に顔を青ざめ、またミチルに縋るように目を向けた。
【…死に晒せ…】
途端にまた地を這うような低い声が辺りに響き、途端にクシナダの首が大きな雄叫びを上げる。
その雄叫びから逃れるように両耳を塞ぎ、カケルが叫んだ。
閃や限も思わず眉を寄せてその雄叫びに耐える中、黒凪がゆっくりとカケルに近付きその額に触れる。
『…ねえ。そこにいるミチルが死んだ今…貴方はどうしたい?』
涙でぐしゃぐしゃになった顔をカケルが持ち上げ、その瞳が黒凪を映す。
そんなカケルを見て黒凪は微かに目を細め、カケルの前髪を片手で掻き分ける。
直に触れた黒凪の手はとても冷たく、カケルが怯えるように少したじろいだ。
「…死にたい。ミチルが居ない世界なんて…アタシは要らない…!」
『そう。…分かるよ。その気持ち。』
眉を下げて言い、目を閉じた黒凪。
途端にカケルの目が静かに閉じられその場にぱたりと倒れていく。
そして地面にその体が衝突した途端、砂の様に崩れて消えた。
『…さて、後は――』
ドスン。鈍い音が響く。
ちらりと目を向ければ先程まで壱号が倒れていた場所にはクシナダの巨大な拳が落とされている。
拳の下から血が流れていた。
その様子に目を閉じ、黒凪が上空に目を向ける。
ゆっくりと月を背にこちらに降りてくる影を見た限が黒凪を護るように彼女を背に隠した。
『…満足な報告は出来そうかな?』
そんな親し気な黒凪の言葉に限がちらりと彼女に目を向ける。
一方そう声をかけられた本人…七郎も微笑み黒凪に返す。
「…ええ。」
いやあ。ホラー映画を見終わった気分です。怖い怖い。
そう大げさに言って七郎が改めて大首山の惨状に目を向ける。
血塗れで倒れているミチル、弐号、そして壱号…。
そんな中、閃が焦った様子で七郎を指さして言った。
「扇…七郎…!?」
「…あれ? 知り合いでしたっけ?」
きょとんと首を傾げた七郎に閃がごくりと生唾を飲む。
「知らねぇよ! でも扇七郎だろ!? あの扇一郎を殺したって噂の…」
やだなぁ。その一言の内に閃の目の前に移動した七郎。
目を見開いた限がすぐさま走り出し閃を護るように爪を振り降ろした。
しかしそれを回避し次はまた黒凪の目の前に立っている七郎。
その目にもとまらぬスピードに火黒が口元を吊り上げ、ゆっくりと刀を手のひらからはやしていく。
そんな火黒を止めるように黒凪が腕を伸ばし、七郎に目を向けたまま口を開いた。
『日永に雇われてるの?』
「まあ、そんなところです。」
「…誰だ?」
「裏じゃ “死神” って呼ばれてるチート級の異能者だよ…! ほら、頭領と一悶着あった扇一族の…」
ははは、と閃と限の会話に爽やかに笑う七郎。
そんな七郎に閃と限は警戒したように彼を睨みつけ、そんな視線を受けた七郎が困ったように肩を竦める。
「死神は分け隔てなく依頼を受けるのでね。そりゃあ裏会の総帥様にも雇われる事はありますよ。」
『…ちなみに何の依頼を?』
「秘密です。」
そう言って笑った七郎にふうん、と目を逸らした黒凪も薄く笑いその冷たい空気が七郎へと向けられる。
火黒も片手から出した刀で肩をトントンと叩いていた。
『別に何をしようと君の勝手だけど…身の振り方には気を付けた方がいいよ。』
「…分かってますよ。貴方の邪魔は死んでもしません。」
【死んだらどうなる?】
七郎の喉元に火黒の刀がものすごい勢いで向かっていく。
そんな火黒を一瞥してその首に刀が接触する寸前に姿を消し、次の瞬間には上空に飛んでいる七郎に黒凪が顔を上げる。
「じゃあ信用して貰う為に1つだけ情報を提供しますよ。」
そう言った七郎に黒凪が片眉を上げる。
「総帥は本日中に逢海月久を討つそうです。」
黒凪が微かに驚いた様に目を見開いた。
今日? そう訊き返した黒凪に頷く七郎。
舌を打った黒凪は空に向かって「黒曜!」と叫ぶ様に名を呼んだ。
その声に応えるように現れた黒龍に七郎が「おぉ」と声を漏らし、結界を足場に乗り込んだ黒凪達に目を向ける。
「ではまた。お気をつけて。」
『ねえ七郎君。』
「?」
去ろうとしていた七郎が微かに振り返った。
君さ、そう言った黒凪の表情を見た七郎は彼女が次に言わんとした言葉を恐れる様に目を逸らした。
『今度仕事場以外で会おうよ。』
「…え」
『ちょっと話そう。ね?』
「…構いませんけど…。」
でも…出来ればイヤだなあ…。
そんな雰囲気を醸し出しながらも煮え切らない様子の七郎に黒凪はにっこりと今日一番の笑顔を彼に向けた。
その笑顔を見てヒク、と表情を引きつらせ、七郎が黒曜と共に裏会総本部へと向かう黒凪を見送る。