Long Stories
□世界は君を救えるか
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裏界への一歩
『…ずっと考えていたんだ。』
徐にそう切り出した目の前に座る白髪の少女へと、己の目の前に置かれているメロンソーダから視線を映した七郎。
彼は改めて少女…黒凪を見ると、その背後に見えるカフェの内装に目を向ける。
「(凄い…目立ってる。)」
そりゃあそうだろうけれど。
自分に合わせてセーラー服を着てきてくれたはいいが、その髪は白髪。
いわく彼女が通っていた中学校、烏森学園では病気のためだとしらを切っていたそうだが、何も事情を知らないここでは異様だ。
「(学校から離れたカフェを選んで置いてよかった。ただでさえ中学生と2人きりで会ってる時点で根掘り葉掘り聞かれるだろうに…)」
『七郎君? 聞いてる?』
「あ、はい…」
危ない危ない。この人を前にすると気を抜けないけれど…何処か無意識のうちに心を許している自分もいて、自分自身どうすればいいのか分からない。
でも…きっとこの人は自分と同類の人だから、心内で少しワクワクしているのかもしれないな、そんな事を考えながら改めて目の前の少女に目を向ける。
すると彼女はまた徐に話し始めた。
『…ずっと考えていたんだ。どうして君が扇一郎を一度取り逃がしたのか。』
七郎のストローを使ってメロンソーダをかき混ぜていた手が止まる。
『閃も言っていた通り…君は仕事に関しては誰がどう見たってプロ。私情を持ち込まないし…君自身そうありたいと思っている。』
なのにどうして。
そう思っていたんだけど…君が他の兄弟たちを手にかけている様子を見て分かった。
そう言った彼女に驚いてしまう。あの結界師ばかり気にしていると思っていたけど、僕のことも見ていたのか。と。
『ただ君は、優しいんだね。』
「…優しい? 僕が?」
『うん。…思えば、私の依頼は扇一郎の暗殺。他の兄弟たちはある種無関係。』
ぴく、と七郎の片眉が動いた。
君は…最初から兄弟たちを分離させるつもりでわざと扇一郎に私の依頼を漏らした。
七郎が目を伏せる。
『これは私の想像だけど、君は勢いよく突っ込んでいけば逃げるために兄弟たちが離散すると思っていたんじゃない? それが扇一郎 ”達” の逃げるときの常套手段みたいだし。』
ただ、違った。
君の兄上は…君が思うよりも既に ”人ではなかった”。
兄弟を犠牲にして、君から逃げたんだね。
そこまで話して黒凪が沈黙する。七郎の反応を待つように。
「…。はい。」
そんな黒凪に応えるように、七郎は肯定だけをした。
その肯定を聞き、黒凪が分かっていたように眉を下げ…一言。
『辛かったね。』
そう言った。
その一言に息を飲み、七郎が己の手に目を落とす。
そしてまた暫く沈黙が降り、七郎の視線がちらりと黒凪に向いた。
「…意味不明なことを言っているように思うかもしれませんが。」
『うん?』
「僕は…直接貴方に何を聞いたわけではないですが、貴方を理解している。…ような気がします。」
黒凪の瞳が不思議気に自分に向いたのが分かる。
…そう。僕は初めて会った時から…この人は他人だとは思えなかった。
そしてこの人なら、僕の疑問にも答えてくれるんじゃないかと。
「…人は、時に僕にこう言います。この人並外れた力は、この世に必要だからあるのだと。必要だから、僕は与えられたのだと。」
『…』
「――反吐が出ます。そんな考えには。」
力が与えられたからなんだ? 喜べとでも?
この力は時に、自身に辛い現実を突きつけるのに。
時に――自身を、他人とは隔絶させるのに。
「勿論この世には、与えられた力を好き勝手に振るって楽しむ人間だっています。…でも僕は、そうなりたいと思ったことは一度もない。」
でもこの与えられた力を恨もうと思ったことは、ありません。
黒凪の瞳が微かに揺れたような気がした。
「それは、僕自身…この力と共倒れだなんてまっぴらごめんだから。」
悲しくも兄たちは僕の所為である種、異能と共倒れした。
そして結局自分自身の価値を忘れたまま死んでいった。
「だから僕は揺れることのない天秤を求めているんです。…僕はこの世界を、全ての事柄を平等に判断したい。この力や…他人が言う、運命というものに呑みこまれないために。」
…この力を、世界を恨む材料にはしないために。
貴方は、こんな風に考えたことはありませんか。黒凪さん。
まっすぐに黒凪を見据えて言った七郎に黒凪が顔を上げる。
その表情を見て、七郎はかすかに目を見開いた。
『…父も、君が持つその強ささえ持っていれば。』
「…え」
『…たった十数年でその考えに至った君を称賛するよ。私には随分と時間がかかった事だからね…。』
七郎は何も言わない。いや、何も言えない。
ただ彼は、黒凪の答えを聞きたかった。
自分が考える――天秤の、その答えを。
『…七郎君。』
「…はい。」
『君は、私の様になってはいけないよ。』
「!」
今回こうして話して、少し怖くなった。
君は本当に私によく似ている。怖いぐらいに。
『君なら分かっているだろう、私が決して幸せではないこと…』
「…」
『確かに私の天秤は揺れない。でも、これは決して良い例ではない。』
きっと私たちが目指すべき天秤はもっと他のもののはず。
そこまで言って黒凪が眉を下げる。
『…それを、君と探してみたかった。』
七郎が動きを止める。
そしてゆっくりと黒凪に目を向けると、彼女も七郎を見ていた。
「…探せば、いいんじゃないですか?」
『…。分かっているくせに。』
七郎が息を飲む。
そう。分かっている。彼女は探せないんだ。
…それはきっと、時間が、ないから。
「僕が…総帥側から離れれば時間は稼げますか?」
『ふふ。』
「!」
『天秤、傾いているよ。』
七郎が言葉を止める。
『…まあ、分からないでもないけれど。君の気持も。』
私たちぐらいにもなると、分かり合える存在は本当に少ないから。
日が沈みかけている空の見上げて黒凪がそう言った。
『…じゃあそろそろ私はお暇するね。予定もあるし。』
「…。よければ送ります。」
黒凪がちらりと七郎に目を向ける。
そして彼の目を見て小さく微笑んだ。
『それじゃあ裏会総本部まで。』
「…はい。」
人目のつかない場所まで移動して、風に乗って裏会総本部へと向かう。
七郎の手にかかれば到着まで数十分もかからないだろう。
目まぐるしく変わる景色の中を進み、見えた目的地に七郎が徐に口を開いた。
「…これ以上は進むと危険ですか?」
『ちょっとね。君なら攻撃されても大丈夫だと思うけど。』
七郎が黒凪を階段の傍に降ろし、そのまま風に乗って少し浮かび上がる。
そんな七郎を黒凪が振り返りその目に映した。
『…君の天秤が揺れるところを見られてよかった。』
「!」
『じゃあ、気を付けて。』
そうとだけ言って黒凪が裏会総本部にかけられているまじないに入り込み、彼女の姿が霧に溶けるようにして消えた。
その後ろ姿を見送った七郎は暫く沈黙すると、意を決したように顔を上げ、空を駆けていく。