Long Stories

□世界は君を救えるか
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  裏界への一歩


「人の心など覗いても何もない。…ただ、人を信じられなくなるだけで。」



 ぽつり、ぽつりと懺悔だろうか。
 それとも過去を思い返しているのだろうか。
 感情の読めない表情のまま日永が口を動かす。



「それでも自制が効かず心を覗いてしまう自分が嫌で、…長年自己嫌悪に陥っていた。」



 …そんな時、天女の話を風の噂で聞いた。
 天女は不思議な力を持ち…願いを叶えてくれると言う。
 そしてあの時の私は…藁にも縋る思いで天女の居る地、龍仙境へと向かった。



「! (龍仙境って確か、竜姫さんの出身地…)」

「まあ、人の噂など信ぴょう性のないものばかり。結局天女はいなかったんだがな。…だが、天女の様な女には出会った。」



 あれほど美しい女がいるのかと驚いてな。…力を使えば早かったものを、必死に口説いて妻にした。
 薄く笑いながら言う日永に正守は何も言えずただ立ち竦んでいるだけだった。
 黒凪も何も言わず日永の背に手を添えて支えるだけで。



「あの時の私は初めて生きる気力というものを発揮していたんだろう。…多分、だが。」

「…多分?」

「もう覚えていないんだ。これは水月…妻の奥底に眠っていた記憶を私が読んで理解したものでな。」

「(待て、水月? それって確か記録係の目を持った女のはず…。彼女を黒凪は月久の妻、と。)」



 ちらりと黒凪を見て、そして彼女の表情を見て。
 ああ、これを彼女は言いたくなかったのか。
 そう思った。そしてこれだけではなく、もっと話を聞かないと。
 そこにはきっと、彼女がそうしたいと思うような理由が秘められているはずだと。そう、思った。



「それから龍仙境で一生を過ごしても良いと思っていたが…水月が外の世界を見たいと言ったのでな。…共に全国を旅して回る事にした。」



 それが間違いだったのだろうな。
 嘲笑を浮かべ、日永が続ける。



「やがてとある土地で異能者達の怪しげな宴に遭遇してしまった。…それを仕切っていたのが月久だった。」

「…待て、どういう事だ? アンタ達は兄弟なんじゃないのか?」



 私はずっと騙されていたんだ。
 …記憶を消され、書き換えられ。
 私とあいつは兄弟でもなんでもなかったのに。
 その言葉に正守が愕然とした様に目を見開いた。



「偶然似た能力を持っていて、あの時には奴の方が俺よりも力が強かった。…ただそれだけだ。」



 正守が息を飲む。
 そんな、まさか…。
 いや、そうだとしたなら。



「お前にも兄弟が居るだろう。兄弟だから許せない事、許せる事。沢山あるんじゃないか?」



 黒凪が眉を下げる。まるで日永の悲しみを、怒りをかみしめるように。
 …その前提条件が崩れてみろ。
 そう続けた日永の言葉を聞きながら、ゆっくりと正守がその目を黒凪に向ける。
 ―――全て許せなくなるぞ。



「何も知らずに400年も兄としてあいつに尽くし…挙句の果てにあれ程愛した妻をも奪われた…!!」



 びりびりと日永の言葉が響く。
 …ああ、これか。これを俺に聞かせたくなかったのか。正直これは、俺にはきつい。
 これを聞けば俺は…きっと彼女の様に、この人を手にかけられなくなるだろう。
 弟が居るから分かる事。自分が上の立場であるからこそ分かる屈辱。
 それは俺も、黒凪もよくわかっていることで。



「…私にはもう、あいつと出会う以前の記憶など残ってはいない。…でもあいつの記憶には残っている筈なんだ。最期にそれぐらい確認しても罰は当たらないだろう…?」



 零号の耳から日永の力である海蛇が抜け、そうして日永の元へ戻って来るとその記憶を主人に受け渡した。
 途端に日永の目が微かに見開かれ、諦めの籠った笑みを零す。



「…やはり何も残っていない、か。」



 え、と正守が思わず声を漏らす。
 その声に説明するように日永が続けた。



「私達は他人の体を乗っ取り、生きながらえることができるが…乗り換えを繰り返す度に己の記憶が変質してしまうデメリットがある。」



 まあ、ある種それは当たり前のことかもしれないがな。
 確かだった筈のものさえ年月が過ぎれば消え、歪んでいくものだから。
 大切な事も、忘れてはいけない筈の事も。…いつかは全て消えてしまう。
 ドガンッと正守の背後の建物が爆発音を上げた。
 ばっと振り返ると爆発した建物の中から巨大な黒龍が姿を現し、こちらに降りて蜷局を巻く。
 そして煙が起こるとそこには何も纏っていない水月が立ち、日永の元へとゆっくりと歩き出した。



「…水月…」

『…、離しますよ』



 水月を見た黒凪が日永を支えていた手を離し、徐に正守の元へと歩いていく。
 そして正守が纏う絶界の中へ入り込み、静かに見下ろしてきた正守に黒凪が顔を伏せたまま口を開いた。



『…ごめんね』

「いや、…全部分かってるよ。」



 ありがとう。
 そう目を伏せて言った正守に黒凪は眉を下げ、徐に水月と日永に目を向けた。



「月久様を葬られたのですね。」

「あぁ」

「…気はお済みになりましたか」

「…何故最後に裏切った? お前が身を隠したのは月久に頼まれた為だろう。」



 貴方を止める為です。
 即答した水月に自虐気味に日永が笑った。
 そして次に飛び出した日永の言葉に水月の顔は泣きそうな程に歪んだ。



「お前は私などより、あいつの妻として生きた年月の方が遥かに長いからな。」

「っ、私はこうして戻って来たではありませんか!!」

「!」

「私は月久様への復讐だけなら最後まで付き合おうと思っていたのです、なのに貴方は…!」



 日永が珍しく声を荒げる水月に目を見開いて固まった。
 私が裏切る事が怖いなら、信じられないと言うのならこんな生殺しの様にして苦しめるよりいっそその力で支配してしまえば良かったではありませんか!
 栓が抜かれた様に捲し立てる水月の言葉は止まらない。
 私をこんな状態で放っておくから、貴方は…!
 眉を寄せて俯いた水月に日永の表情が変わる。



「…私は…お前が途中で逃げ出すならそこで復讐など止めようと思っていた。」

「え、」

「お前の事は、…お前の意志では無いとは言っても許しきれない。だが月久のお前への仕打ちはそれ以上に酷いものだ。」



 体を改造までさせて、散々利用して…。
 自信がなさげに震える声で言う日永に徐々に水月が目を見開いて行く。
 そして日永以上に不安定な声を水月が発した。



「…まさか、貴方の復讐は私の為に…?」



 何も言わない日永に水月の目に涙が浮かんだ。
 馬鹿な人…!
 悲鳴の様に吐き出された言葉に正守が目を伏せ己の羽織りに手を伸ばした。
 日永本人から記憶を見せられた黒凪は知っていたのだろう。
 彼が己の大事な人の為だけに動いていた事など、全てを。



「(俺だって、良守がもしも本当の弟じゃなかったら…)」



 いや、考えるのを止めよう。
 そう自分に言い聞かせて正守が羽織を水月に投げて寄越した。
 バサッと肩に掛けられた羽織に水月が振り返り日永が小さく笑う。



「ありがとう。」



 そんな日永のお礼を聞き、小さく頭を下げる正守。
 そして先ほど水月が現れた方向から微かな足音がこちらへ向かっているのが分かった。



「お兄ちゃん!」



 たたた、と幼い少女が走り寄ってくる。それは日永が憑代としている遠(えん)の妹である遥(はるか)だった。
 遥は日永の胸元の傷を見るとその目に涙を浮かべ、彼の腕に抱き着いた。



「元に戻るよね…、そうだよね?」



 譫言の様に遥が言った途端に日永の体の傷が塞がり始め、それを見て正守が目を細めた。



「成程、この子が神佑地狩りの力すべてを蓄えている魂蔵持ちの…」

『あぁ。あの子の中にはまだかなりの力が蓄えられている。』



 人が持つべき力の量じゃない。
 呟く様に言った黒凪に目を伏せ、正守が一歩踏み出した。



「総本部へ連行する。そこで審判を受けろ。…良いな。」



 静かに言った正守に目を向けず日永が「審判、か」と呟いた。
 するとその言葉の意味をそれとなく理解した様子の遥の目から大粒の涙が零れ出す。



「やだよ、お兄ちゃん何処かへ行っちゃうの…?」

「…遥、」

「…いやだ。…いやだあ…!!」



 ざわ、と日永が己の身体に駆け抜けた悪感に目を見開いた。
 途端に今までとは比にならないほどの速度で塞がり始める傷口と、それから狂ったように暴れ始める日永の力…海蛇達。
 ざわざわと海蛇達は日永の意志とは関係なく、一斉に正守と黒凪へと向かっていく。



「遥、待て――」



 小さく舌を打って遥に向かって黒凪が走り出し、彼女へ手を伸ばす。
 そんな彼女の掌が遥に届く一寸前。ひゅん、と軽やかな音を立てて黒凪の目の前を何かが通り抜けた。
 そしてその影が止まった上空に目を向ければ、遥を持った ”なにか” が時音を背に乗せたまま暴れる遥に目を向けている。



【…人間にしては随分と持ってたな。】



 途端にその胸元に手を伸ばし、そこから光り…というよりも、遥が蓄えていた力を引っこ抜いた。
 遥の体から力が抜け、ぐったりとした彼女に一部始終を見ていた時音が焦ったように “なにか” に声をかける。



「ちょ、まほら様…!?」

【よくもこれだけ盗めたものだ…】



 この理解しがたい状況に正守や日永…水月も言葉が出ない。
 そんな中、日永が時音の言葉を聞いて納得したように目を細めて言った。



「まほら、と言う事は覇久魔の主か。」



 そして徐にそちらへと向き直り、静かに頭を下げる。
 そんな日永をまほらと呼ばれた “なにか” がぎょろりと目を向けた。



「神佑地狩りを行ったのは私です。その子は利用したに過ぎず…何も悪くない。…どうかその命、お返しください。」

【…お前等の事情など知らん。】

「代わりに私の命を差し出しますから…!」



 続けて放たれた日永の言葉に目を細め、呆れたように “なにか” が言う。



【勘違いするなよ。お前ごときの命1つで取引が成立するのはせいぜい人間相手が良い所…。お前の様なチンケな存在が俺と取引出来ると思うな。】



 失せろ。
 情も無く放たれた言葉に何も言えず俯く日永。
 そしてその “なにか” は遥の亡骸を捨てるように放り投げ、それを受け止めた水月が顔を上げた。



「では私の命を…この子の代わりに。」



 その言葉を聞いてまたぎょろりと視線が水月に移動する。
 そして暫し水月を眺めていた “なにか” が水月の元へ近づき、その頭を掴んだ。



【ほう、お前…。】

「水月…!」



 焦って立ち上がる日永だったが、水月の目を見てその動きを止める。
 そして彼女が本気だと理解したのだろう…彼の表情が歪んだ。



【やはりそうか。生き物としては高位の力を持つ上に格別記録を溜め込んでいる。…良いだろう。その記録ごと俺に食われろ。】



 俺は目覚めるごとに世界の変容を眺める必要がある。
 静かに言った存在に水月が小さく頷いた。



「…遥ちゃんの命を返して下さるのなら。」



 それを聞いた存在はちらりと黒凪に目を向けた。



【この力、お前にやる】

『え』

【この世界を平定しようと奮闘した結果…力を大分逃がした様だからな…。】



 ぽい、と遥の中から奪い取った力の塊を黒凪に投げ、そしてもごもごと口元を動かし始める。
 そしてぷっと唾を吐くようにして小さな生命を吐きだし、それはまっすぐに遥の胸元へと入っていった。
 途端にけほ、と息を吹き返した遥に水月が笑顔を見せた時、大きな地震が起きたように異界全体が揺れる。
 その衝撃を受けて黒凪が顔を上げ、目を細めた。



『…入り口を教えてあったのに、宙心丸がごねたかな。異界を突き破って入ってくるなんて。』

【来たな…1番の力の塊…。】



 眉を下げ、先ほど受け取った力を黒凪が呑み込んだ。
 そして立ち上がった黒凪を見て日永がぼそりと言う。
 行くのか、…と。
 その声に振り返った黒凪は水月と日永の元へ近付いた。



『もう少し私が早く生まれていれば良かったのに。』

「「!」」

『そうすれば…もう少し違った道があったかもしれない。』

「…どうしようもない事だ。」



 どうも出来なかった。
 …私にも、水月にも。…お前にも。
 そう言った日永に困った様に笑った。



 
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