Long Stories

□世界は君を救えるか
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  裏界への一歩


 徐に日永が1匹の海蛇を月久の元に寄越した。
 その様子を何も言わずに見る水月と黒凪。
 海蛇は零号の体の中から1匹のクモヒトデを引っこ抜き、日永の元へと戻っていく。
 そのクモヒトデを見て水月が「月久様…」と呟いた。
 おそらくこのクモヒトデこそが、もはや体を持たない逢海月久そのものなのだろう。



「…奪われたお前との記憶を探ってみたんだ。」

「……。」



 水月が日永に目を向ける。
 その視線を受けて日永が眉を下げて続けた。



「やはり何も覚えてなどいなかったよ。…しかもあいつ、私の事を本当の兄だと思っていたんだ。」



 本当に馬鹿げた奴だ。…本当に。
 何処か悲しげに紡がれるその言葉に水月が眉を下げた。



「今になって疑問に思うよ。…初めて自分本来の身体を捨てた時…俺や月久は何を思ったんだろうと。」



 私もあいつも人と言う枠を抜け、随分と出過ぎた事を仕出かした…。
 今更それを悔やんでも意味がないほどの年月の中を。
 日永が徐に立ち上がり、正守の元へと歩いていき、その絶界の手前で足を止めた。



「墨村、この子達を頼みたい。」

「…。審判を受けるんだ。」

「もう良い、私を人間扱いするな。自分がどれだけ矮小なのか思い知った。」



 今だってお前達の前に立っている事が恥ずかしくて堪らない。
 絞り出す様に言った日永に正守がため息を吐き、その様子に日永が小さく笑う。



「ありがとう。…此処に来たのがお前で良かった。」



 そして次に彼が目を向けたのは水月。
 彼女の元へと歩いていき、その前に座った。
 そんな日永を水月が泣きそうな顔で見つめる中、日永は静かに頭を下げた。



「そもそもお前を妻に望んだ事から私には出過ぎた事だったのだろう。…すまない、こんな事になるとは思わなかったんだ。」

「謝らないで! …貴方を選んだのは私なんですから…!」



 そう言って眉を寄せ、涙をこらえる水月。
 そんな彼女の頬にゆっくりと日永の手が向かった。
 しかしその手は彼女の頬に触れることなく、引っ込んでいく。



「最初からお前を殺すつもりなんてなかったよ。」

「、待って…!」



 ズルッと遠の身体から抜け出した日永の本体である海蛇が月久を連れて正守の絶界へ飛び込んでいく。
 彼らは正守の絶界に触れた瞬間に一瞬で塵の様に消滅していった。
 日永が抜けて倒れかかった遠の身体を黒凪が受け止め、絶界を解いた正守に目を向ける。



『(なんて呆気ない。また昔なじみがいなくなった。…まあ、それも)』



 巨大な邪気が丁度黒凪達のいる上空で止まり、全員の目が其方に向かった。
 そこでとぐろを巻く黒曜の上には良守と宙心丸、守美子、繁守、そして時子。そして限、閃、火黒が居た。



【因果なものを生み出したな。】



 そう呆れた様に言った “なにか” は嫌なものでも見る様に宙心丸を睨んでいた。
 そして同じように宙心丸を見た時音がはっと目を見開いて口を開く。



「もしかしてまほら様なら宙心丸君の力をどうにか出来るんじゃ…!?」

『それは駄目だよ。…この世界に存在するものは皆…自分でしでかしたことの落とし前を付けないとね。』

【人間風情の尻拭いをする義理は無い。】



 それにその人間から力のみを抜き出すなど無理な話だ。そいつは存在自体が異質だからな。
 …だが、
 ぐいと “なにか” が宙心丸に近付いてニヤリと笑う。



【その存在ごと俺が飲み込む事は出来る。その方がお前達には都合が良いんじゃないのか?】



 その言葉に皆息を飲む。
 それに反論したのは当の本人である宙心丸だった。



「そ、それは承知しかねる…!」



 泣きそうな声が響き全員の目がぷるぷると震えながら涙を流す宙心丸に向いた。
 わしは亡き父上と母上の為、烏森の名に恥じぬ立派な人間にならねばならないのだ!
 姉上にばかりさせている様な危険な事も、いつかはわしが請け負うつもりでいる…!
 黒凪が微かに目を見開いた。



「だがわしはまだ立派ではないから…!」

【……】

「…外に出るのは諦める! わしはこれからも強き男になる為に生きねばならぬ…! だから、」

『――もう良いでしょう。まほら様を出してください、眺める者。』



 黒凪の言葉に皆が一様に目を見開いた。
 にやりと笑った “眺める者” はぽんと宙心丸の頭を一度撫でると「まほらー!」と叫ぶ。
 すると巨大な木の中から現れたミノムシの様な存在。
 それは一瞬で黒凪と眺める者の間に移動した。



【領地の鞍替えだってさ、まほら。】



 こく、と頷く存在…この覇久魔の主であるまほら。
 微かに覗くその顔は眺める者と全く同じ顔をしていた。



『…それじゃあ私は封印の方へ。』



 そう言って背を向けた黒凪をまほらがじーっと見る。
 それに気付いた黒凪は小さく笑ってまほらの顔を覗き込んだ。



『大丈夫です。分家ではありますが確かな力を持った者達ですから。』

【……。】



 またまほらが小さく頷いた。
 その様子を見た眺める者は徐に水月に目を向け、口を開く。



【…さて、お前ももう良いだろう。俺に食われろ。】

「…はい。」



 水月がゆっくりと立ち上がり龍に変化し、迷わず眺める者に突っ込んでいった。
 そのまま彼女は眺める者に飲み込まれ、彼女の巨大な邪気が消え失せる。
 そしてふうと息を吐いた眺める者が徐に宙心丸の方へと向かっていく黒凪に目を向け、まほらに向かって口を開いた。



【まほら、先に行っていてくれ。俺は少しあいつを見ていたい。】

【…】

「では参りましょうか、まほら様。」



 黒凪と入れ替えになるように降りてきた時子の言葉に頷き、繁守だけが残った黒曜の方へと彼女と共に向かっていく。
 黒曜はまほらが乗ったことを確認するとゆるりと空を進んでいった。
 それを横目に黒凪の隣に一瞬で移動し、眺める者が黒凪に目を向けてにやりと笑う。



『何か?』

【お前の最期が見たい。】

『…悪趣味ですねえ。』

【良いじゃないか。】



 感情の読めない笑顔でそう言った眺める者にため息を吐いてその場で足を止める。
 少し離れたところには良守と守美子も宙心丸を連れて異界の中心で足を止めてこちらに目を向けていた。
 黒凪を見て限達も足を止め、そして遅れてやってきた正守に目を向ける。
 現れた正守に良守の目がそちらに向いた。



「修行は完成したのか?」

「まあ…。」

「そうか。…迷うなよ。」

「うん。」



 無想状態の良守は正守の言葉に淡々と返していく。
 限達は集中している様子の良守に声を掛けようとはしなかった。
 此方に向かうまでの間に言いたい事は全て言ったのかもしれない。
 良守を見て小さく微笑んだ正守が去ろうとした時、良守がその手を掴んだ。



「その子供、誰かに預けてさ。此処に居てくれねーか?」

「え?」

「あと、扇七郎って何処に居んの?」

「あ、ああ…何処だろう。聞いてみるけど…。」



 無想状態の良守の考えなど正守が読めるはずもなく、正守が徐に無線の電源を付ける。
 一方の黒凪は少し離れた位置で封印の準備をするように崩れた異界の修復をしていた。
 その傍を護るように限達は離れようとしない。



「――いやあ、異界に大きな穴が開いていたから来れましたけど…こんなところまで来るように言うなんて、どうしたんです?」

「良かった。だから異界に穴を開けたんだ。」

「おい、いい加減に教えてくれてもいいんじゃないか? どうしたんだよ。」



 式神に遠と遥を預けた正守がやってきた七郎を隣に良守にそう声をかけると、良守がちらりと黒凪に目を向けて口を開く。



「…もう志々尾達には話したんだけどさ、黒凪多分…此処で死ぬつもりだと思うんだ。」



 正守の動きが止まる。
 しかしそんな彼の隣で七郎は分かっていたように眉を下げ、口を開いた。



「そう、だろうね…。」



 そんな七郎の言葉に正守が目を向ける。
 良守も同じようにしながら続けた。



「多分、時守も黒凪も罪滅ぼしのつもりでいるんだと思う。」

「…だからって、何も死ぬことは…」



 今まで縛られ続けて、やっと自由になれるのに。
 そう呟くように言った正守に七郎が目を伏せて口を開く。



「きっと僕らには理解できない何かがあるんでしょうね。何百年もの間、あれだけ巨大な力を持ちながら生きてきた彼女にしか分からない何かが。」



 そりゃあそうだろう。
 400年間も、この瞬間の為だけに生きてきたんだ。
 たくさんの人の死を経験して、ひたすらに気の遠くなるような日々を。



「俺はあいつに死んでほしくない。それに死ぬべきでもないと思う。」



 まっすぐな良守の言葉に正守が顔を上げる。
 しかし七郎は良守に反論するように口を開いた。



「それは僕も同意見だけど、彼女の意志もあるし…。僕は邪魔をするべきではないと思うけどね。」

「…お前はそれで後悔しねえの?」

「!」



 七郎が言葉を止める。
 また彼の天秤が微かに揺れる音がした。



「俺だって今まで理不尽なことを沢山見てきたし、経験してきた。…けど、諦めることだけはしたくない。」



 だって黒凪は俺の大事な友達だから。諦めたくねーんだ。
 七郎が眉を寄せ、拳を握る。



「(だけど、それでダメだったら? 俺だって、兄たちを諦めたくはなかった。だけどこの世にはどうしようもないことだってある。…あの人を、止められるか?)」

「俺達が止めれば、黒凪を止められると思う。」

「っ、何を根拠に…!」

「だってあいつ、兄貴のこともあんたのことも大好きだろ。」



 七郎が動きを止め、その瞳が揺れる。
 正守も驚いたような表情で一瞬固まり、そして小さく笑った。



「志々尾も、影宮も、火黒のこともあいつ、大好きだしさ。…生きるには十分じゃね?」



 だから大丈夫だろ。
 自信満々に言った良守に正守が笑みを浮かべたままで一言、



「良守、…ありがとな。」



 そう言った。
 そんな言葉に表情こそ変わらないものの少し驚いた様子の良守は「ああもう、」と呟いた七郎に目を向ける。



「分かったよ。…自分なりにやってみる。」



 確かにその方が後悔しないだろうしね。
 そう七郎が言った時、異界の修復を終えた黒凪が振り返った。



『――良守君、始めよう。』

「…あぁ。」



 ふと、黒凪の視線が七郎と正守に向かう。
 そして彼女は静かに微笑んだ。



『あんた達も居てくれるの? ありがとうね。』



 ひどく優しいその言葉に、背中が冷える。
 ――ああ、この人は本当に此処で終わらせるつもりなんだ。
 良守が構え、それを見た正守と七郎が少し距離を取る。
 途端に巨大な力が良守から溢れ出し、瞬きをした瞬間、辺り一面は真っ白な結界に包まれていた。




 さて――お別れだ。


 (思えば、私も宙心丸もこの世界には拒まれてばかりだった。)

 (逸脱した力を持って生まれてしまった私には)
 (…世界を手放す事に、恐怖は無い)


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