Long Stories
□世界は君を救えるか
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世界への一歩
≪――あ、もしもし?≫
『久しぶり。そっちはどう?』
どうって…
そう言って顔を上げる良守。
その視線の先には未だ工事途中の烏森学園本校舎がブルーシートに囲われ見えなくなっていた。
この土地の中心にいた宙心丸を出した際に本校舎が崩れ落ちたためだ。
≪本校舎の工事が始まって、今中等部は小学校の校舎借りてんだ。時音はどっかのプレハブ?で勉強してるって。≫
『そっか。早く直ると良いね、校舎…』
夜行の面々が裏会の立て直しや後始末等でドタバタしている中、開いている部屋に入った黒凪は電話を片手に徐に座る。
そして携帯を改めて耳に押し当てると「方印は?消えてきた?」と問いかける。
良守は徐に手の包帯を解き大分薄まった方印に目を細めた。
≪うん、かなり消えてきた。多分明日とかには消えてんじゃねーかな。≫
『そっか。式神の方もね、明日には封印が終わるって言ってたよ。』
≪式神は大丈夫なのか? 術者と隔たる程力が弱まるんだろ?≫
『力が弱まっても良い様にあれだけ力を籠めたんだよ。私の支配が無くなっても上手くやると思う。』
そっか、と良守が眉を下げた。
…方印が消えると言う事は宙心丸との繋がりが完全に絶たれる事を意味する。
良守が徐に口を開いた。
≪なあ、…寂しくねーか?≫
『え?』
≪…その、唯一の肉親なのに…≫
『…大丈夫だよ。私には正守も限達も居るから。』
そっか。また眉を下げる。
そんな良守に笑った黒凪は「じゃあこれから楽しんで。」そう言った。
その言葉に少し目を見開いて、改めて方印に目を向ける。
『君はこれから好きな事を存分にやって、楽しい人生を送るんだよ。』
≪…相変わらずババアみてーだな、お前…。≫
『ええ、酷いなあ。』
≪…でも、ありがとな。――あ、時音に代わる?≫
じゃあ代わってくれる?
嬉しげな声に笑って良守が隣に居た時音に携帯を手渡した。
黒凪ちゃん? と彼女の声を聞いた黒凪は小さく笑い口を開く。
『久しぶり、時音ちゃん。元気にしている?』
≪元気だよ。あ、そうだ聞いてほしい事があって…。≫
『うん?』
≪私、仕事が終わってから色々考えていてね。…大人になったら高校教師になろうかなって。≫
教師?…寺子屋?
黒凪の口から飛び出した言葉に一瞬固まった時音はぷっと吹き出した。
そっか、そんな所でジェネレーションギャップが出るんだ。
そんな時音の言葉に少し眉を寄せた。
『じぇね…?』
≪ふふ、そうよ。寺子屋で教える感じ。私は数学教師が良くて。≫
『ああ、あの数字がいっぱい出るの? あれだね、閃が得意なやつ。』
≪へえ、あの子数学得意なんだ。≫
結構頭は良くってね。多分私等の中じゃ1番かなぁ。
へえー…と時音が相槌を打った時、ガラッと目の前の襖が開かれた。
黒凪が少し携帯を離して「どうしたの?」と顔を覗かせた限に目を向ける。
限は何も言わず部屋の中にある固定電話を指差した。
『あ、時音ちゃん? ちょっと電話が掛かって来たみたいだからもう切るね。また連絡する。』
≪分かった。またね。≫
『うん。』
通話を切ると「固定電話?」と限を振り返る。
するとすぐさま携帯が着信を知らせ「うわわ」と携帯を持ち上げた。
そこに表示された名前は "扇七郎" …共に日永に支配されていた裏会を打ち破り、限達と共に宙心丸の封印から私を連れ戻してくれた1人。
あんたが伝えに来てくれたのも、七郎から? と限を見れば彼は何も言わずに頷いて襖を閉じた。
『――もしもし、七郎君?』
≪ああ、やっと出た…。随分長く通話してたんですね。≫
『良守君達と話が盛り上がってね。どうしたの?』
≪父さんが今夜正式に俺に家督を譲るらしくて。≫
微かに目を見開いて「あ、そうなんだ…」と返す。
すると七郎は「えー、それだけですか?」と笑い交じりに返事した。
『ああいや、驚いただけ。…お披露目はいつになるの? 行くよ?』
≪別に良いですよ。バックレるつもりなんで。≫
『そうなの? まあ、今時そんな風習ほとんど意味のないものだしね。』
≪そうですね。…所で黒凪さんって今夜行に居ますよね?≫
え? うん…。そう返すと、外から「ギャー!」と閃の声が聞こえた。
そして遅れて「黒凪ー!」と助けを呼ぶ声も。
ため息を吐いて襖を開くと「あ、居た。」と閃を隣に上空に浮いている七郎。
『いらっしゃい。』
「どうも。ちょっとお時間良いですか?」
『良いよ。』
「やった。…あ、どうもありがとうございました。」
ぽいと閃を降ろして黒凪と共に飛び上がる七郎。
空に浮かんだ2人を恨めしげに見上げる閃の側に火黒が音も無く着地した。
あの2人さァ、と声を掛けて来た火黒にビクッと反応する閃。
「てかあの七郎? アイツ明らかに黒凪ばっかり構ってね?」
「…それは黒凪もだよ。あいつも明らかに扇七郎の事目にかけてやってるだろ。」
「なんで?」
「知るかよ。…でもま、似てるからじゃねーかな。お互いの境遇とかさ。」
ふーん。と火黒が目を細めた。
一方の黒凪と七郎は遥か上空に飛び上がると顔を見合わせくす、と小さく笑う。
『なんだかんだで封印から帰った後に話せていなかったもんね。』
「ええ。話しかけようとした途端に倒れちゃいましたし。」
そう。実は封印を終え、皆で帰ろうとした時…私はぶっ倒れた。
確かに蓄えていた力を一気に放出したり眺める者のおかげで人間じゃなくなったり…とにかく、キャパオーバーを起こしたのだろう。
『あの時は驚いた?』
「それはもう。」
まさか貴方が顔を真っ青にして倒れている状態を見る事が出来るなんて。
笑い交じりに言った七郎に黒凪も目を細めて言った。
私もまさかあんなに壮大にぶっ倒れる事があるとは思ってなかったよ。
倒れそうになったら限や閃が受け止めてくれたりしたから。
『あの時はバタバタしてたからね。2人もかなり焦っていたし。』
「ま、僕も受け止められたら良かったんですけど。」
『はは、ありがとう。…それから、宙心丸の鞍替えのために繭香様を殺めてくれたのは君なんだってね。』
「ええまあ。…貴方に頼まれた事ですから。」
元々父さんも厄介な土地神だって嫌ってましたしね。結果オーライですよ。
そう、元々烏森に居た宙心丸は今回裏会総本部にある覇久魔に移動した。では覇久魔の主は何処へ?
覇久魔の主であるまほらを移動させたのは扇一族の本家の裏にある嵐座木神社。そこには元々繭香が住んでいたので、主を挿げ替えるために七郎に彼女の殺害を依頼したのだ。
七郎の言葉に薄く笑って言った黒凪も小さく笑って周りの景色を見る様に目を逸らした。
白い髪が風に揺られてキラキラと太陽の光を反射する。
「…どうですか、この世界は。まだ恐ろしく嫌なものですか?」
『うん。まあ、そんなに急によく見えるものでもないさ。でも今私には君や…』
下を見下した黒凪の視界に限や閃が映る。
彼らがいてくれるから。もう怖くはない。
こらー! 手伝え火黒ー! と閃の声が聞こえた。
『…それでも怖いのは、君たちがいなくなってしまうこと。』
「…。」
今まで何百年も生きて来て、何度も人の死を目の当たりにしてきた。
私は誰かに裏切られる事や嫌われる事より置いて行かれる事が酷く嫌いで。
だから人と次に関わる時には私が置いて行こうと思っていた。
『だけど結局私はつかの間の君たちとの時間を精一杯生きることを決めてしまった。…これからきっと、楽しくもあり…悲しくもあるのだろうね。』
あの人が生きていたら、…また話せたなら。
会いたいと思ってしまえば涙が止まらなくなる。
それが嫌で、…嫌で嫌で消えてしまおうとしたのに。
「…初めて貴方と出会った時、貴方は僕とは全く次元の違う存在だと思っていました。でも違う。…貴方も僕や他の人たちと同じ、どうしようもない事に恐怖する、只の人だった。」
そんな貴方にそれ程の力を与えたこの世界はやはり残酷で無慈悲だ。
眉を下げて言った七郎がゆっくりと近付いてくる。
『…分かってるんだよ。この世界から消える事を止めて向き合う事にしたとして、』
「自分の運命に従う事を心に決めたとしても。」
「『決して世界は我々を救ってはくれない。』」
七郎が腕を伸ばし黒凪を抱き寄せた。
貴方が恐れている事を僕は振り払ってあげられない。
手が真っ白な髪を撫でた。
「…それでも僕は、貴方に戦う道を選んでほしい。もう貴方の側には彼等が居る。…1人じゃない。」
その中にいつか僕が居なくなってしまうのが若干癪ですが。
ぱっと手を離して七郎が笑った。
「…僕も負けません。力を持った事、選ばれた事。…それに貴方のおかげで理想の天秤を見つけられましたし。」
その七郎の言葉に黒凪が改めて彼に目を向ける。
彼は穏やかな表情で言った。
「やっぱり貴方の天秤が理想だった。」
『え?』
「だって貴方の天秤は…片方に大切なものが乗りすぎて、動かないんですよ。」
最初から何も乗っていないんじゃない。
もう片方に何を乗せても、それが揺るがないほどに…もう一方の天秤の皿は沢山のものを乗せているだけ。
それは妖混じりの彼らや、墨村さんや…。
黒凪が微かに目を見開いていく。そして彼の言う天秤を想像して、小さく笑った。
「なんて優しくて、強い天秤だろう。僕はそう思います。」
他人からすればそれは恐ろしく冷たく、自分勝手なものかもしれない。
だけど僕にとってはそれがとても美しいものの様に見えます。
だから、そこまで言った所で言葉を止めた。
黒凪が笑っている。見た事が無い程穏やかに。
『うん。…それじゃあその天秤を大切に…今この時を必死に生きるとするかな。』
この時代、時間、場所、…世界。
此処でしか出会えなかった人と少しでも幸せな日々を。
…だから君も負けないで。
『運命に押し潰されそうになったら私を呼べば良い。…この世界で君に最も近しいのは私だから。』
「…はい。」
『お披露目会は必ず行くよ。その後も遊びに行く。』
「――あ゙、おい!」
始めて会った時、怖がらせてしまってすまなかったね。
そう言った途端に側に結界を作る黒凪。
その上に火黒が着地した。
「そろそろその子を返してくれるかな? 色男クン」
「ええ、勿論。」
「黒凪ー! 頭領が呼んでるー!」
だってさ、と笑った火黒に「はいはい。」と困った様に笑って黒凪が火黒に手を伸ばした。
そして黒凪が火黒に抱き着く形になったところで彼女を今まで持ち上げていた七郎の風が解かれる。
しっかりと抱きとめた火黒は七郎をチラリと見て結界から降りて行った。
それを見送った七郎は着信を知らせた携帯に目を向け開いて耳に押し当てる。
「紫島?」
≪旦那様がお呼びです。恐らく儀式やお披露目についてかと。≫
「分かった。」
≪…一体何処へ行ってらっしゃったんです?≫
…大事な友達のトコ。
言葉を止めた様子の紫島に「あ、あの子達の所じゃないよ」と釘を刺しておく。
高校帰りによく遊んだ女の子達とは家督を譲られると聞いた日に縁を切ってある。
≪では一体どなたと…≫
「別に良いだろ。…当主になっても付き合ってて損のない相手だよ。」
諦めると言うよりは
(立ち向かおうって決めたんだ。)
(はい?)
(恵まれた事に俺は1人じゃないみたいでさ。)
(なんでも1人でやって捻くれた親父とは違った当主になるよ。俺は。)
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