隙ありっ Short Stories

□隙ありっif
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「…お姉さん!」

『っ!』



 聞こえた声に思わず過敏に反応して振り返る。
 駆け寄ってきた少年は少しずれた眼鏡を直していた。
 …どうして。
 自分を追ってきた少年、江戸川コナンに固まる。
 どうして、どうして私を追って――…。



「あの、安室さ…店員さんがおつりをって…」

『!』



 すぐさま遠目に見えるポアロを睨む。
 小五郎達に珈琲を差し出した安室が此方に目を向け、にっこりと微笑んだ。
 っ、もう!零君ならこんな事しないと思っていたのに…!



「…あの、お姉さん?」

『!…ええ。ありがとうボウヤ。助かったわ』



 ふわ、と香った優しい匂いに少しだけ目を見開く。
 しゃがんでいた黒凪が立ち上がった。
 そんな黒凪にコナンが焦った様に「ちょっと待って!」と声を掛ける。
 黒凪は足を止めて振り返った。



「…あ、えと…」

『…?』

「ら、ライ・ウイスキーって好きだったりする!?」



 コナンのその突拍子もない質問に黒凪の顔色が変わる。
 …やっぱり似てる、灰原に。
 しかも今の反応…。



《…灰原、何見てんだよ》

《な、何でもないわよ》



 以前は見るだけでも苦しそうにしていた姉の写真を笑顔で眺めていた。
 見覚えのない電話をずっと手元に持っている。
 …そんな灰原には、ずっと引っかかっていたんだ。
 それにさっき香った匂い…。



《ねえ、赤井さんがいつも持ってるハンカチって女性ものだよね…?》

《あぁ…。あれはシュウの彼女の遺品よ。組織の人で、…ジンに殺されちゃってね》

《…ジンに…?その人の名前って、》

《宮野黒凪。組織の中ではわりと重要な人物だったらしいわ》



 赤井さん、と手をポケットの中に入れている赤井に声を掛ける。
 彼はコナンの声に振り返ると目線を合わせる様にしゃがんだ。
 赤井さんがいつも持ってるハンカチ、ちょっと見せてくれない?
 そう言うと彼は案の定「何故」と少し怪訝に問い返してくる。



《いつも大切そうに持ってるから気になって…。嫌なら良いんだけど、》

《…。袋から出さずに見る分には構わない》



 ポケットから袋の中に入ったハンカチが取り出される。
 ずっと袋に入れている理由は、ジョディ曰く彼女の"匂い"が消えてしまわない様にする為らしい。
 こっそりと少し袋を開ければ優しい香りがふわっと漂ってきた。
 …ずっと宮野黒凪が持っていたものなのだろうか。
 そう思って袋を閉じた事は記憶に新しい。



「(この人の匂いはハンカチと同じだった)」

『…ごめんなさいね、私お酒は苦手なの』

「シェリーってお酒が好きな僕の知り合いがお姉さんみたいな人を探してるって言ってたんだ!」

『(コードネームばかり大声で…)』



 背を向けて歩き出そうとしたのを今度は表情を変えずに振り返る。
 その人に、会ってみてくれないかな。
 真剣な顔をして言うコナンに黒凪が再び背中を向けた。
 そうして歩いて行く黒凪にコナンが必死で食らいつく。



「多分お姉さんだと思うんだ!会いたがってる人がいるんだよ!」

『……』

「っ、ずっと同じハンカチを持ってる!匂いが消えない様にしてた!忘れたくないからって!」

『…っ』



 追い掛けながらコナンが携帯を開いた。
 そしてその携帯の画面を見て通話に出た事を確認してから画面を黒凪に向ける。
 そして彼はゆっくりと口を開いた。



「今でもきっと、ずっと大好きだと思うよ。…宮野黒凪さん」

『…違うわ』

≪!≫

『死んだ人間のハンカチをいつまでも持ってるような人よ…私と会ったら、あの人もう私から離れられなくなる』



 もう彼は私を愛してない。でもきっと罪悪感から私の側にずっといるわ。
 …そんなの可哀相じゃない…。
 コナンに背を向けたまま、声を震わせて黒凪が言った。
 その声を通話越しに訊いていた赤井は帽子を深くかぶりマスクを着けて玄関を開く。



≪――ボウヤ、何処だ?≫

「ポアロから博士の家の方向に進んだ1つ目の路地」

『っ!』

≪了解≫



 走り出した黒凪をコナンが走って追いかけ、彼女の手を掴む。
 離して、と焦る彼女にコナンが踏ん張り黒凪を見上げた。
 そんな事赤井さんは思ってない…!
 眉を寄せて言うコナンを振り切り黒凪が走り出す。
 しかし目の前に現れた胸元に足を止めばっと顔を上げた。



「…俺の足の速さは知ってるだろう」

『っ、しゅう…』

「…っ」

『…いち、』



 抱きしめられて黒凪が眉を寄せる。
 赤井は縋り付く様に彼女を抱きしめると「はー…」と息を吐いてすん、と鼻を啜った。
 その様子に一瞬だけ固まって黒凪がぎょっとする。
 コナンも目をひん剥いていた。



『…え、うそ』

「……」

『ちょっと、貴方まさか泣いて…』

「もう会えないと思っていた恋人が戻って来たんだ。…泣くに決まってる」



 嘘でしょ…、眉を寄せて言った彼女の声は揺れている。
 …もう恋人じゃないでしょう。
 そう言った彼女の声は相も変わらず揺れていた。



「恋人だ。俺はお前を愛してるんだから」

『…そんなうそ、いらない』

「嘘じゃない。…何とも思ってない女に会って、泣くタチだと思うか」

『おもわない、けど』



 泣きながら話す2人からコナンがいそいそと離れて行く。
 頼むからもういなくならないでくれ。
 俺の側に居てくれよ。
 肩を震わせて言った赤井に黒凪の頬を涙が伝う。
 …彼女の手が背中に回った時、赤井は嬉しそうに眉を下げて笑った。




 やっと戻ってきた、


 (馬鹿な人ね。ハンカチなんかも捨てられないで)
 (…本当に、馬鹿な人。)


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