Long Stories

□京紫が咲いた
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「っ、」

「井吹さん…!」



 どうにか子鈴を見つけて抱きしめる。
 しかしこの濁流の中で掴まる場所なんて見つかる筈も無く。
 何処に岩があるか分からない状況でいつまでも川の中を漂流している訳にもいかない。



「(黒凪、頼む…!!)」

『……、』



 裏切ったな



 声が響いて龍之介が目を見開いた。
 黒凪の目が薄く開いて川の濁流を見つめる。
 無意識に伸ばされる片手に黒凪の気配を感じた。



 …人間め



 また聞こえてくる声に眉を寄せる。
 裏切ったな、人間め。
 その言葉が頭の中でぐるぐると渦巻いた。
 裏切った?人間が?…コイツを?
 途端に龍之介の両目が金色に染まる。



『…。』

「きゃあ!?」

「(え゙)」



 黒凪はぼーっとしたまま抱きしめていた子鈴をぽーいと川の外に放り投げた。
 …そう、放り投げたのだ。
 絶句する龍之介に気付かない様子で川を横切る黒凪。
 草の上に落ちた子鈴の元にゆっくりと近付いて行く。
 子鈴の困惑した目が向いた。



「あ、あの…?」

『…怠い』

「え」



 ぽすっと子鈴の胸に倒れ込んだ黒凪。
 するとすぐさま龍之介が入れ替わりバッと起き上がった。
 ち、違うんだ!今のはその…!
 取り繕う様に言った龍之介に固まっていた子鈴がぷっと笑いだす。
 ふふふと笑う子鈴に龍之介も安心した様に眉を下げた。






























 子鈴と共に京を出てからもう10ヶ月は経った頃。
 2人は江戸への途中であるこの町でどうにか金を稼ぎ、やっと江戸に向けて出発する事が出来た。
 あれから黒凪の傷は完全に癒え、それから少しして子鈴に彼女の事を全て話した。
 彼女は最初こそ驚いていたものの今では黒凪と良き友人となっている。



『(…。離れてるな)』

「(だから何がだって随分前から聞いてるだろ。)」

『(分からないって言った筈だけど?)』



 ぐぬぬ、と1人で眉を寄せる龍之介に子鈴が眉を下げた。
 またおっしゃってるんですか?と彼女が問うと龍之介が「あぁ」と頷く。
 京から離れる度に黒凪が思わずと言った風に呟く「離れている」と言う言葉。
 何から離れているのかは本人も分かっていないらしい。



「ま、そうは言ってもそろそろ江戸だ。江戸に着いたら暫く落ち着くんだし、そこで思い出せば良い」

『(…んー…)』

「…ったく。まだ唸ってやがる」

「ふふ。…それにしてもすっきりしましたね。髪を切ると。」



 優しい手つきで髪を撫でた子鈴に龍之介も思わずと言った様に微笑む。
 とても長かった髪はつい数日前に切り揃えた。
 その髪型を見ては子鈴は毎日の様に「切ってよかった」と笑うのだ。



『(…ケッ。いちゃいちゃしてさ)』

「(うるせー)」

『(ふん。)』

「おや千鶴ちゃん、そんな恰好で何処に行くんだい?」



 そんな声が耳に入り黒凪が耳を澄ませた。
 京に行くんです、と可愛らしい声がする。
 …京、か。
 ボソッと呟いた黒凪は顔を上げ子鈴の顔を覗き込んだ。



『(…もう邪魔だもんな、私)』

「え?」



 ん?と目を見開いて振り返る。
 龍之介が居ない。
 …代わりに光の下に立っているのは茶色の髪を束ねた女の子。
 女の子は突然の声に驚いた様に周りを見渡していた。
 そんな視界の隅に龍之介の青い髪が入り込む。



『(龍之介――!?)』

「?…また声が…」



 気の所為かな、と呟いて歩いて行く女の子。
 黒凪は意識を集中させ次に自分が入った人物が女性である事と鬼である事を知った。
 そしてその子の名前が雪村千鶴だと言う事も。



「(おい、急に黙るなよ黒凪。…黒凪?)」

「!…龍之介さん?」

「…黒凪が居ない」



 え?と子鈴が目を見開いた。
 何処行った…!?と頭を抱える龍之介。
 そんな龍之介の声を背に黒凪が目を伏せる。



『(…ま、丁度良いか。)』

「黒凪!…黒凪!!」

『(これからは邪魔者の居ない2人で仲良く暮らせ、龍之介)』



 さよなら。
 ボソッと呟いた声を千鶴が思わずと言った様に復唱した。
 さよなら…?と語尾に戸惑いを持った声を聞いた龍之介はバッと振り返る。




 さようなら。


 (そして)
 (初めまして。)


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