Long Stories
□世界を変えたのは
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『私は何か呪いに関する様な事が起これば連絡を取れと言ったのだ』
【あと一刻もすれば総大将と珱姫様の祝言じゃ!皆抜かるなよ!】
耳に入った言葉に深いため息を吐いて目の前に座る花嫁の唇に紅を引いてやる。
そして少し離れて全身を確認するとそこまでしてまた深い深いため息を吐く。
大体私はどちらかと言えば客人の方だろう。何故花嫁の着付けを手伝う羽目に…。
心の内に秘める事もせずに呟いた黒凪に困った様に珱姫が笑った。
「ごめんなさい、妖様が人の化粧は人にやらせた方が良いのではとおっしゃるものだから…」
『適当に金を払って女を連れてこれば…』
バンッと勢いよく開け放たれた襖に振り返る。
酒瓶を片手に頬を微かに赤く染めた雪女、雪麗が立っていた。
黒凪の目がちらりと向けられ、彼女の足元にしがみ付いている小妖怪達を見て「あぁ、こんな化け物屋敷に人は呼べぬか」と納得する。
それにしても何故祝言の日に朝から酒を煽っているのだろうか、あの雪女は。彼女はぬらりひょんの側近なのではなかったか。
「あの、おかしくはないでしょうか…?」
「…ま、まあまあじゃない」
「そうですか…」
恥らった様子で微笑んだ珱姫に見とれた様に雪麗が一瞬だけ固まってしまう。
その様子を無表情で眺めていた黒凪ははっと目を見開いた雪麗が口を開くさまを黙って見ている。
珱姫、あんたね。多少鋭くなった口調の中にはまだ動揺が紛れていた。
そんな雪麗に対して「はい」と至って穏やかに珱姫がそう返せば彼女は余計に動揺した様だった。
「あんたみたいな、…あんたみたいな女はね、」
「はい」
「…っ〜、」
もうすぐで祝言なんだからね!
はい、とまた珱姫が返答を返す。
さっさと準備してなさいよ!そんな雪麗の言葉にも「はい」と珱姫が頷いた。
その素直な様子を見た雪麗は顔を真っ赤にして出て行った。
そんな雪麗の様子を見て何処と無く察した、彼女は恐らくぬらりひょんに惚れていたのではないだろうか。
『(そしてそのぬらりひょんと祝言を挙げる珱姫を少しいじめに来たのだろうが)』
「…それだけの為に来てくださったのかしら、」
『(この恐ろしく純粋な珱姫に敗北した、と。)』
心配そうな顔をして襖を見る珱姫を横目に立ち上がり黒凪がその襖に手を掛けた。
あの、何処に…?不安気な顔をして言った珱姫に振り返り微かに笑みを見せる。
珱姫が微かに目を見開いた。
『祝言までこれまでの事でも1人で振り返っていれば良い。…私は少し此処の者と話して来る』
「あ…」
珱姫の声を聞きつつも襖を完全に閉ざして歩いて行く。
足元を走り回る小妖怪達を避けて歩けば台所の辺りで湯に浸かった鴉天狗とその側の柱に凭れて立つ牛鬼が見えた。
足を止めて其方に向かえば黒凪の気配に気付いた2人が振り返る。
『祝言の前だと言うのに随分と体調が悪そうだね。先程まで祝言まで後一刻だと喚いていたろう』
【う、うむ…。少し雪女にやられてな、】
『あぁ、さっき珱姫の所に来たよ。結局彼女の純粋さに毒気を抜かれて逃げ帰ったがね。』
【そうか、祝言の前に何事も無くて何より…ハックション!】
ずず、と鼻水を啜る鴉天狗を横目に牛鬼に目を向ける。
此方を見ようとしない牛鬼に黒凪が徐に口を開いた。
京では世話になったね。…彼女の言葉に牛鬼がばっと振り返る。
【…、……。】
『そう気を遣うな。あの日は私が悪かったよ。…すまなかったね』
【…その件については京にて謝罪を受け取っている。……此方こそすまなかった。背中の傷はどうだ】
『私は死んでもすぐに息を吹き返す。…お前の一撃で息絶え、万全の状態で生き返った』
実際の痛みは一瞬だ、思いつめる事はない。
黒凪の言葉に「そうか」と呟く様に言って沈黙が降り立った。
ばたばたと忙しく走り回る妖怪達を横目に黒凪が徐に口を開く。
『これから先、君達は更に忙しくなるだろうね』
【うむ。我々は頂点に君臨した。それはつまり今まで追いかけていた立場が追われる立場となったと言う事だからな】
『…何かあれば私に連絡を寄越しては見ないか』
【!】
鴉天狗が驚いた様に顔を上げる。
黒凪は此方を見ている牛鬼と鴉天狗に目を向けようとしない。
その表情は何処か恥ずかしがっている様にも見えた。
『私が知る限り、君達はこれから先の世において最高の魑魅魍魎の主だ。…人に害を成さず、妖の居場所も作る』
【…まさかお主からそんな言葉が出るとはな…】
『私だって楽をしないのさ。江戸の妖達を任せられるのなら私は奴良組に手を貸す。…いざと言う時は護るよ』
【…心強いな】
静かにそう言った牛鬼に目を向ける。
その言葉、祝言の後に総大将に聞かせてやれ。
そう言った牛鬼の目には敵意も、気遣いも含まれていなかった。
…純粋に目の前の存在を認めている様な、そんな目だった。
【――それではこれより、奴良組総大将ぬらりひょん様と珱姫様の婚礼の儀を執り行いたいと存じます】
厳かに始められた婚礼の儀に黒凪は黙って目の前で行われている盃を見ている。
妖と人との契りを妙な気持ちで眺めていた黒凪は玄関に立たせていた式神が消えた事にぴくりと眉を寄せた。
目を細めた黒凪は静かに立ち上がり、玄関に気配を消して向かってゆく。
…最後尾で、と申し出た甲斐があった。
【さてさて…総大将は、っと】
『こんな日に無粋だねえ』
【あぁ?なんだぁテメェは】
それは此方の台詞だよ。全く、江戸の妖は行儀がなっていなくて困る。
黒凪の言葉に青筋を浮かべた妖が指示を出し、その部下達が一斉に襲い掛かった。
どうせ祝言だと聞いてこの屋敷に集まった奴良組を一網打尽にするつもりだったのだろうが…。
ドォンッと響いた音に婚礼の儀を行っていた鴉天狗や他の幹部達が振り返る。
そして同時にくるくると回転をしながら物凄い勢いで花道に突き刺さった武器に目を見張った。
【…どうやらどこぞの阿呆が乗り込んで来た様じゃな】
【チッ。おい大将、俺が始末してくらあ】
【おうよ。…やれやれ、堅苦しい祝言はここらで終わりじゃのう】
「え、妖様、」
振り返ってぬらりひょんにそう声を掛けるが彼は微かな笑みを浮かべて眺めているだけ。
やがて玄関にてせき止められていた妖達が傾れ込んできた。
一ツ目入道を筆頭に幹部達が1人で相手をしていた黒凪に加勢し始めた為だ。
やがて黒凪1人に集中していた敵の妖怪達は他の幹部達に飛び掛かる様になり祝言の場はぐちゃぐちゃになってしまう。
珱姫が狼狽えていると黒凪がずざざ、と花道に転がり込み珱姫が焦った様に駆け寄った。
「結界師様!」
『あぁ珱姫。心配はない、足を引っかけられて転んだだけだ。…それよりどうする、妖は一度こうなると止まらぬぞ』
「そ、そんな…」
我々には理解出来ぬ事だ、祝言と言う厳かな儀式の日にこの有様。
暴れ回る妖怪達に珱姫が眉を寄せる。
可哀相だとは思うがこれが妖と共に生きると言う事だ、少しずつ慣れて行け。
そう口には出さず目の前の乱闘に目を向けた。
【うぅ、痛ぇよお…】
「っ、大変…!」
『…何処までも優しいねえ』
倒れ込んだ妖の傷を癒す珱姫に目を細め続けざまに掛けられた「そいつは敵の妖よ!」と言った雪麗の声に黒凪が目を向ける。
その間にも珱姫に傷を癒された妖は迷わず乱闘に突っ込んで行った。
あぁ、喧嘩は…。そこまで言った珱姫の言葉など届いている筈がない。
【くそ、斬られた…!】
【あいたたた、奴等め容赦ない!】
【ひええ、私の顔がぁ…っ】
次々に転がり込んでくる妖怪達をせっせと珱姫が治していく。
その様子を横目に流石に可哀相そうだと思い始めた黒凪は一思いに一掃するか、と構えた。
しかしそれより隣にいる姫の堪忍袋が切れる方が微かに早かったらしい。
「いい加減になさい!!」
響き渡った声にビクッと妖怪達が固まった。
私に甘えるのも大概になさい、それに今日は私と妖様の祝言です!これ以上この場を荒らさないで!!
ぽかーんと鴉天狗や牛鬼、一ツ目などの幹部達と共に敵の妖怪達も固まったまま。
呆けている妖怪達の背を押す様に珱姫の背後から黒凪が己の禍々しい殺気を屋敷全体に引き延ばした。
ゾクッとした悪感を感じる妖怪達。珱姫がその様子に気付かず「良いですね!」と念を押すと彼等は「はい」と縮こまった様子で口を揃えた。
【…なんだ、あんたもう立派な姉さんじゃないの】
雪麗がちらりと黒凪に目を向けると彼女の気配がすうっと消えてゆく。
珱姫は静まった場に息を吐き、清々しい表情で振り返る。
そんな珱姫と目が合った黒凪は困った様に眉を下げ小さく頷いた。
妖怪達に臆さず怒号を響かせた珱姫。彼女は思っていたよりもこの奴良組にふさわしい姫君なのかもしれない。