長編

□05
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PM4:30。

今朝、窓に網戸を嵌めた。過ごしやすい気温が続くこの季節、窓を開けて店内にも爽やかな風を取り入れたい。ところが窓を開けると小さなムシが入ってくるため仕方なく閉め切っていたのだ。
網戸のせいで景観は若干悪くなるが背に腹は代えられない。ムシが入って来なくなったんだし感謝しなきゃ。それにエアコンを入れる季節になればまた取り外すし、僅かな間のお付き合いだ。

ふわりと風が吹いてきて、わたしは深く息を吸った。新緑のにおい。良い風。

陽も長くなりまだまだ明るい店の外を眺めていると、道を行く青い髪が目に入った。青い髪、と、その上に乗っているのは…カブトムシ?
わたしが怪訝な顔で見つめているとその頭とムシは店の前で足を止め、そしてドアに手を掛けた。

「ココ、ムシつかまえた」

第一声でそう言ったシグは、右手でむんずとカブトムシを掴みこちらに差し出してくる。

「うわわ、む、ムシの持ち込みはご遠慮願いたいんだけど…」

いらっしゃいませをいう暇もなかった、とりあえずムシを仕舞ってもらわなきゃ。

「えー、かわいいのに」

シグはカブトムシを手の甲に乗せたり腕を這わせたりしている。楽しそうなのは良いけれどいつ飛び立たれるかわからなくてひやひやする。

「ムシが苦手なお客さんもいるし、それに店の中を飛び回るかもしれないでしょ?衛生的によくないからさ」

ごめんね、と謝るわたし。シグは見るからにしょんぼりしている。髪の毛の触覚みたいな部分まで寂しそうだ。あ、そうか、籠がないのか。わたしの言葉は逃がせと言っているようなものだ。申し訳ないことをしてしまった。

「ねえシグ、これあげる!これをこうして…ほら、この中に入れておいてくれない?」

わたしは店内奥の調理場からいちごの入っていた透明なパックを二つ取ってきて、重ねて見せた。これなら小さな穴から空気が入るし、逃げられる心配もない。

「わかった」

ぱっと顔を綻ばせたシグはカブトムシをパックの中に入れた。なんだかペットショップで売られているやつみたいだ。

しばらくそれを眺めていたシグだったが、

「ココ、エサない?」

カウンターにいたわたしに声を掛けた。

「え?うーんと、フルーツならあるよ。半分傷んだいちごとかだけど…。商品には使えないから捨てちゃうんだ」

「それちょうだい」
わたしはいちごの傷んだ部分を切り落とし、シグに手渡す。シグはそれをカブトムシの目の前に置いてやった。

「ところでカブトムシっていちごも食べるの?」

「食べるよ」

立派なツノの彼はのそのそと移動し、いちごの上で動きを停止した。

「食べ、てる?」

「食べてる」

言われてみれば口の辺りを忙しなく動かしているように見える。喜んでいただけているのだろうか。

シグはそんなムシを満足げに見つめているが、そういえばまだ注文を取っていなかった。

「あの、何か食べてく?」

「んー、今日はいい。ムシを見せに来ただけだから」

な、なんと。このムシ君のためだけに寄ってくれたのか。ありがたいようなそうでないような。

シグはムシの入ったパックを網戸の嵌まった窓際に置き、肩から掛けている鞄の位置を直した。

「それ食事中だし、ココに預ける。次に来るときまでここで飼ってて」

「え、ちょっと待って」

わたしの制止も聞かずばいばい、と小さく手を振り出て行ってしまった。

どうしよう。思わぬペットができてしまった。ムシは別に嫌いじゃないけど飼ったことなんてない。というかムシ除けの網戸を嵌めた日にムシを飼うことになるなんて。

でも、我関せずといちごを食み続けるカブトムシを見つめているとなんだか可愛く見えてきた。しょうがない、しばらくはここで飼うことにしよう。幸いエサならたくさんある。

シグが早めに迎えに来てくれるのを祈りつつ、わたしはお店を閉めたらムシ籠を買いに行こうと考えていた。


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